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乃木坂46をずっと好きでいるコツ

僕は乃木坂46が大好き。

2020/08/30、僕はあることがきっかけで乃木坂46が大好きになりました。

それから2023年5月現在に至るまで、一度も乃木坂46への愛が途切れたことがありません。むしろ、日ごとに乃木坂46への愛が確実に強くなっている感覚さえあります。

僕は何かを好きになってもそれに対する愛が長く続いた記憶が少なく、熱しやすく冷めやすい性分だと自覚していました。それだけに、自分がこれほど一つのものを愛し続けていることに驚いています。

なぜ僕はこんなにも乃木坂46を大好きでい続けられるのか。

その命題で自己分析をしてみたところ、僕は知らず知らずにうちに乃木坂46を愛し続けるための施策を実行してきたからではないかと考えられます。

今回はこの自己分析をもとに、僕が乃木坂46を愛し続けるために実行してきた施策を方法論にまとめてアウトプットしてみます。

乃木坂46だけでなく多くのものに共通する方法、乃木坂46だからこそ実現する方法、僕だからこそ採用し得た方法を厳選して紹介します。

この記事を読んだ方がいずれかの方法を実践して、乃木坂46や他の何かを愛し続けることに多少なりとも寄与できれば嬉しいです。

ちなみに、2023/05/17から2日間に渡って開催された齋藤飛鳥卒業コンサートを以って、齋藤飛鳥さんが正式に乃木坂46を卒業しました。ついに乃木坂46からオリジナルメンバー全員が完全に卒業したのです。

この日以降、乃木坂46は新乃木坂46とでも言える別の組織に生まれ変わったとも言えます。

この生まれ変わりは、新乃木坂46に試練をもたらします。

オリジナルメンバーがいなくなった乃木坂46や齋藤飛鳥さんが卒業した乃木坂46に対して、ロスを起こしてしまうファンは少なからず出てくるでしょう。

これこそが新乃木坂46が直面している試練であり、上手に対処しなければ乃木坂46の人気が衰退していく原因になってしまいます。

ここから先は下り坂なんてことはあってはいけません。であれば、乃木坂46はファンのロス発生をどうにかして回避する、もしくは最小限に抑えられるように働きかけていく必要があります。僕はこれにもどうにか寄与したい。

だからこそ、特にロスを起こしそうなファンに対してこの記事を届けたいと考えています。彼らのロス発生を予防あるいは最小限に食い止め、引き続き乃木坂46のファンであり続けてほしいのです。

乃木坂46がその試練を乗り越えてこれからも成長し続けていけるように、このような形でファンの立場からそれに寄与できればと考えています。



1.好きだと言語化し続ける

これは多くのものに共通する方法です。

人間の感情は思考から発生しています。そして思考は言葉によって構成されています。

そのため、言葉を読んだり声に出したりすると、それは構成要素として思考に直接影響を与えます。その思考から感情が発生すれば、最終的にその影響は感情にまで及ぶと言えます。

この記事の便宜上、このような現象を言霊と表現します。

何かを愛し続けたいのであれば、まずは言霊を活用しましょう。要するに、自分はそれが好きだと言い続けるのです。非常に簡単で誰でもすぐに実践できる方法です。

実体験として、言霊の活用は僕が乃木坂46を愛し続ける上で非常に良い効果がありました。

僕は職場の同僚や友人と雑談する時等の場面で、自分は乃木坂46が大好きであると頻繁に公言しています。その行為によって生まれた言霊は、僕の乃木坂46に対する愛を生み出し続けています。

宗教的な話をするつもりはないのですが、乃木坂46が大好きだと言語化するたびに自分の中に乃木坂46を愛しているが故の幸せを感じます。

また、人間とは自分が幸せになれるように行動する生き物であり、僕が幸せになるための行動の一つは乃木坂46を愛することです。

つまり、僕は乃木坂46を愛しているが故に幸せでいられるし、幸せでいられるが故に乃木坂46を愛しています。このような好循環に身を置いているからこそ、僕は乃木坂46をずっと大好きでいられるんですね。

これを実感出来るのは明らかに言霊の為せる業です。自分に言い聞かせるという行為や座右の銘には確かな効果があることが分かります。

ここからは余談ですが、僕はこれに付随した効果もいつしか実感するようになっていました。乃木坂46を大好きだと憚らずに公言できる自分を誇らしく思うようになっていたのです。

何かを大好きになった経験がある立場から述べると、何かを大好きになるという時点でそれは才能なのではないかと思います。

人間、何かを大好きになることはそう簡単に出来ないでしょう。

にも関わらず、労力を一切必要としないままそれをやってのけています。しかも、対象への興味や楽しみを尽きることなく見出し続けています。労力を一切必要としないのは、もともと備わっていた能力だからではないでしょうか。

自分には能力があると実感した時、人は自信をもち、より良い人生を歩むことが出来ます。

僕は乃木坂46に出会うまで、大好きだと公言できるものがありませんでした。何に対しても興味や楽しみを見出だせず、面白いことがない灰色の毎日を過ごしていました。

好奇心を失っていたのです。

そして、無気力で何も行動を起こすことが出来ず、生きていても楽しくありません。生まれてしまったからただ仕方なく生きている状態でした。

しかし、大好きだと公言できる乃木坂46に出会ったことで僕の人生は彩りを得たのです。

気づいた時には乃木坂46のことを考えており、絶えず乃木坂46やその活動に興味や楽しみを抱き続けています。それらについて好奇心の赴くままに頭を働かせ、このようなnoteの執筆等の生産的な行動に時間を使い、何かを作る楽しみを食べながら毎日を生きています。

大げさなことを言うつもりはなく、僕の人生は乃木坂46によって一変したのです。大好きだと公言できる存在に出会えたこと、これは僕の人生において本当に幸運な出会いでした。

僕が乃木坂46に向ける愛には、僕の人生を変えてくれたことに対する感謝が含まれています。そんな気持ちを懐いたら、愛さずにはいられない。


2.愛を込めた成果物をアウトプットする

これは多くのものに共通する方法です。

ちなみに、この記事で述べる方法論の中で最も難易度が高い方法です。なおかつ、最も共感する人が少ない方法でもあるでしょう。そして僕が最も効果を実感し、最も強く推奨する方法です。

確かに、前章で述べた言霊の活用は効果的ではあります。しかし、残念ながら中長期的な効果はあまり期待出来ません。

言葉というものは発して自分の思考に影響を与えた瞬間に消えてしまうのです。持続時間があまりにも短いため、その効果を実感しにくいのは当然でしょう。

自分に言い聞かせることに本当に効果があるのかどうか懐疑的になってしまうのは、それには瞬間的な効果しかないからだと思います。だからこそ、効果を実感するためには頻繁に実行し続ける必要があります。

とはいえ、より確実で中長期的な効果を望むのであれば、言霊の活用に加えて別の方法も実践すべきです。

それこそがこの章で取り上げる方法です。何かを堅実に愛し続けたいのであれば、それに対する愛を込めた成果物を世に放ち続けましょう。

なぜこの方法に何かを愛し続けるための中長期的な効果があると言えるのか。ここから詳細を述べていきます。

まず大前提として、発した言葉が一瞬で消えてしまうのに対し、成果物は半永久的に残り続けます。この性質を有しているという時点で、言語化よりも中長期的な効果を期待出来ます。

次に、成果物を作り上げる人の心理に注目してみます。

そのような人は一般的にクリエイターと呼ばれています。クリエイターは成果物に対して我が子も同然であるほどの強い愛を抱くものです。それほどの愛であれば、成果物が半永久的に残り続けることで、それに対するクリエイターの愛も半永久的になるでしょう。

そしてこの方法論が正確に実行されていれば、その成果物には何かに対する愛が込められていることになります。

成果物に込められた愛は、クリエイターが成果物に向ける半永久的な愛によって半永久的になります。これが最も重要な理論です。

この理論は僕の実体験に基づく主張・見解です。こればかりは感覚の話であり、もはやこれ以上理屈で説明することが出来ません。

しかし、成果物に向ける半永久的な愛によって、成果物に込められた愛が半永久的になるという感覚を僕は確かに実感しており、否定のしようがありません。つまるところ、それが愛を込めた成果物を作るクリエイターの性であると理解してもらう他ないでしょう。

僕と同じように、愛を込めた成果物を作った経験があれば共感してもらえるのではないでしょうか。そして、たとえそのような経験がない人でも決して想像に難くないと思います。適当な例で考えてみましょう。

Aという作曲家がいたと仮定します。Aはマイケル・ジャクソンのファンです。

Aはマイケル・ジャクソンへの敬意を表し、彼の楽曲を自分の音楽性で再構成して、それを収録したアルバムを制作することにしました。いわゆるトリビュート・アルバムというものですね。

Aは作曲家というクリエイターです。自らが作った成果物を半永久的に愛する性質をもっています。であれば、Aはそのアルバムやアルバムに収録されている楽曲に半永久的な愛を懐くはずです。

そして、トリビュート・アルバムが完成して世に放たれた時、アルバムやその楽曲に込められたAのマイケル・ジャクソンに対する愛は、アルバム完成以前よりも強く、半永久的な強度になっていることが想像出来るのではないでしょうか。

クリエイターは成果物を半永久的に愛する。だから、その成果物に込められた何かに対する愛も半永久的になる。よって、クリエイターの何かに対する愛が半永久的になる。

この構図に身を置くことは、何かに対する愛を堅実に持続し続ける上で非常に良い効果をもたらします。僕はまさにその当事者でした。

僕は乃木坂46が大好きであり、乃木坂46に対する愛を込めたnoteを著して公開しています。これこそが僕の成果物です。

僕は自らのnoteの価値を、読者が乃木坂46の魅力や知識を得られることや僕の考察によって何かしらの感動を得ることと定めています。それらを実現するための文章を書き、何度も何度も読み返しては書き直し、多くの時間と労力を費やして記事を制作しています。

そのようなある種の苦行とも言える工程を経てようやく作り上げられたnoteには、愛を懐かずにいられません。そして乃木坂46への愛が込められたnoteを書き上げて公開するたびに、乃木坂46への愛が以前よりも一層強くなっていることを実感しています。

このように、僕は乃木坂46への愛が込められたnoteを書くことで乃木坂46への愛を強化し続けています。

ちなみに、各記事を読み返してみると頻繁に「僕は乃木坂46が大好き」という言葉を用いていることが見て取れます。

特に意識してこの言葉を多用しているわけではありません。読者に対して自分の思いや考えを少しでも正確に伝えようとしたり、分かりやすい文章を書こうとしたりすると、自然とこの言葉を用いています。

執筆の工程でこの言葉を何度も読み返すことは、前章で述べた方法そのものです。

そして、noteがサービスを終了したりnoteのサーバが破損したりしなければ、僕がnoteに著した言葉は視覚情報として半永久的に残り続けます。本来はすぐに消えてしまう言葉の保存方法として非常に有効ですね。

しかも、上述した通り、僕はそのnoteを読者が乃木坂46の魅力や知識を得られるように書いています。それを自ら読み返すということは、僕が見出した乃木坂46の魅力や知識を再確認する行為に他なりません。

これらの行動を繰り返していれば、乃木坂46への愛が更に強化され続けるのは極々自然なことだと思います。

以上のように、何かへの愛が込められた成果物を世に放つことは、何かを愛し続ける上で非常に効果的です。それが成果物であるならば、文書・動画・音声等の形式は問わず、自分が得意な手法で制作して問題ないと思います。

ただし、最も気をつけなければいけないことがあります。

この方法を有効化するには、自分が作ったものが成果物でなくてはならないということです。これについても詳しく述べていきましょう。

この記事で述べる成果物とは、誰かに対して何かしらの価値を提供する性質を有しているものを指しています。この性質を得るには、作ったものが下記の2条件を同時に満たしている必要があります。

条件1.他者へ公開されていること
条件2.事前に定義した価値を提供していること

つまり、たとえ僕と同じように愛を込めたnoteや文書を書き上げても、非公開にして自分だけがそれを読むのであれば成果物とは言えません。条件1が満たされておらず、あくまで自己満足の作品です。

また、たとえ条件1が満たされていても、それが他者へ意図的な価値を提供していなければ成果物とは言えません。条件2が満たされておらず、やはり自己満足の作品です。

なお、自己満足の作品やそれを作ることが悪だと主張するつもりはありません。あくまで、この記事で述べる方法論には該当しないということを述べています。

なぜこの方法を有効化するには、作るものが自己満足の作品ではなく成果物でなければならないのか。なぜ条件1と条件2を同時に満たしている必要があるのか。

成果物でなければ、つまり条件1と条件2を満たしていなければ、自らが作ったものに半永久的な愛を懐くことが出来ないからです。

実際にクリエイターを生業にしている人であればより強く共感してもらえると思いますが、条件1と条件2を同時に満たすには相当な苦労が強いられます。

まず、一見すると条件1を満たすのは非常に簡単に思えるかもしれません。しかし、他者に見せれば良いだけと捉えるのは大間違いです。なぜならば、条件1を満たそうとするなら生半可なものを作るわけにはいかないからです。

たとえ金銭でなくとも、他者は作ったものを消費するための時間を対価としてクリエイターに支払います。対価を受け取る以上、それ相応の価値を提供する義務があります。

つまり、条件1を満たすためには、対価を受け取るに相応しい価値を有しているものを作る必要があります。

それに加えて条件2を満たそうとするなら、ああでもないこうでもないと頭を悩ませ、何度も試行錯誤と修正を繰り返し、多大な時間と労力を費やすことになります。前述した通り、その工程はある種の苦行と言えます。

そうやって手塩にかけて作り上げるからこそ、クリエイターの成果物に向ける愛は半永久的になるのです。条件1と条件2を同時に満たすことには、成果物の品質を高めてそれに向ける愛を半永久的にする効果があります。

そして成果物への半永久的な愛がなければ、成果物に込められた愛も半永久的にはなりません。

故に、この方法を有効化するためには作るものが成果物でなければならない。条件1と条件2が同時に満たされていなければならないのです。

いきあたりばったりで作ったものや気の赴くままに作ったもの、単純作業で量産したもの等には、たとえ愛を懐けたとしてもそれほど長い期間持続しないでしょう。

確かに、いきあたりばったりで作ったものや気の赴くままに作ったものに価値が帯びることはあります。特に制作者が有名人であるほどその傾向が強いと思います。

有名人にはファンがつくものです。そしてファンは、有名人が何気なしに作ったものであっても、それに価値を見出してくれます。

芸能人のTwitterやInstagramへの投稿が分かりやすい例ですね。ファンにとってはその芸能人が何かを投稿すること自体が嬉しく、価値があるのです。たとえその場の勢いで撮影した何気ない写真を投稿するだけでも、ファンはそれに大きな価値を見出してくれるでしょう。

しかし、そのような気楽な環境は多くのファンを抱える一部の人達だけが得られるものです。

残念ながら、自分はそのような環境を簡単には得られないと考えておくほうが無難でしょう。であれば、成果物を作るという手法を消去法的に選択せざるを得ません。

なにより、この方法を有効化するには条件1と条件2を満たすための工程が必要不可欠です。繰り返す通り、手塩にかけて作ったものだからこそ成果物に対する愛が半永久的になり、それに込められた愛も半永久的になるのです。


3.無理にお金を使わない

これは乃木坂46だからこそ実現する方法です。

そして、ロスを起こしそうな乃木坂46のファンには是非とも採用を検討してほしい方法です。これによってロスが最小限に抑えられるかもしれません。

消費者としての自分を分析した時、僕は乃木坂46に対してかなり財布の紐が堅いです。乃木坂46の商品で本当に欲しいと思ったものだけを買い、ほんの少しでも躊躇いが生じたらその商品は買わないようにしています。

乃木坂46を愛し続けたいのであれば、乃木坂46に対して無理にお金を使わないようにしましょう。乃木坂46に対するお金の使い方にはより一層慎重になるべきだと思います。

振り返ってみると、この方法は僕が乃木坂46を愛し続ける上でとても重要な効果を発揮していました。どういうことなのか、例を交えながら解説していきましょう。

乃木坂46が発売している最も代表的な商品と言えばCDですね。

しかし、僕は乃木坂46が大好きではあるものの、基本的に乃木坂46のCDは買いません。なぜならば、たいていの乃木坂46の楽曲はCDを購入せずとも聴くことが出来るからです。

乃木坂46はYouTubeに乃木坂46公式チャンネルを設けています。このチャンネルでは、多くの楽曲のMVが全尺で公開されています。つまり、このチャンネルで公開されているMVを再生すれば、乃木坂46の楽曲は無料で申し分なく聴けるんですね。

たいていのMVはこのチャンネルに全尺で公開されています。最新の楽曲であっても例外ではなく、それを聴くためにCDを購入する必要はなくなっています。乃木坂46のほとんどの楽曲は無料化していると言えるでしょう。

ちなみに、僕はいつもスマートフォンでこのチャンネルに公開されている動画を再生して乃木坂46の楽曲を聴いています。以前の記事で紹介した通り、スマートフォンでインストリーム広告を排除する方法を用い、完全に無料で不自由なく快適に乃木坂46の楽曲を聴くことが出来ています。

これらのような状況は僕だけではなく、多くの人に共通しています。

しかし、乃木坂46のファンの中には特に最新楽曲のCDを購入している人が大勢います。より熱狂的なファンは、同一のCDを数十枚という単位で大量に購入することもあります。

CDを購入する必要がない環境があるにも関わらず、なぜ彼らはCDを購入し続けているのでしょうか。

彼らの第一目的は、CDの特典である握手券やミート&グリート券を獲得することです。その券があれば、定期的に開催されているイベントで好みのメンバーと数秒間直接交流が出来るんですね。

それを最終目的として、彼らは本来不要なCDを購入し続けているようです。

そのようなお金の使い方は本人さえ了承しているならば特に問題はないでしょう。ただし、僕個人は付属品を得るために不要なものを買うというお金の使い方を了承出来ないので、同じ消費行動はしません。

確かに、好みのメンバーと直接会話が出来たらとても嬉しい経験になるでしょう。それは経験者として理解出来ます。

まだ前田敦子さんが現役だったころ、僕は友人に誘われて一度だけAKB48の握手会に参加したことがあります。あの握手券は友人から譲ってもらったものでした。そして、実際にメンバーと握手して言葉を交わした時、途轍もなく嬉しかったことを覚えています。

しかし、僕は自らの支出で不要な商品を購入してまでその経験を得ようとは思いません。

YouTubeの乃木坂46公式チャンネルが現体制で運営され続ける限り、僕にとって乃木坂46のCDは不要な商品です。握手券やミート&グリート券を目当てにそれを買った時、僕はきっと浪費を実感してしまうでしょう。乃木坂46やその商品に対してそんな感覚を抱きたくはない。

CDを買わない結果、特典の券が得られないのは致し方ないことです。無条件にその機会を得られるならば、是非とも僕も各メンバーと言葉を交わしてみたいものです。

また、CD以外の商品においても僕は無理にお金を使いません。乃木坂46のグッズにはアクリルスタンド、キーホルダー、ステッカー、缶バッジ、うちわ、カードホルダー、生写真、ポスター等があります。

僕にとってそれらは不要な商品なので一切購入しません。

最近買ったものと言えば、現地参加するLIVEを楽しむための推しメンタオルやサイリウム、気に入ったデザインの帽子くらいです。それらは本当に欲しいと思ったので購入しました。

このように、自分が完全に了承できるお金の使い方を徹底しているからこそ、僕は無理なく、そして違和感なく乃木坂46を愛し続けることが出来ています。

さて、なぜ僕がこの方法を徹底的に実行しているのかというと、乃木坂46への愛に疑問が差し挟む余地を生まないためです。

僕は乃木坂46が大好きです。僕の人生を変えてくれた存在であり、これからもずっと乃木坂46を大好きでいたいと考えています。

しかし、もしも僕が完全に了承できないまま乃木坂46の商品を購入した場合、本当にこのお金の使い方で良いのだろうかという疑問が生まれてしまうでしょう。

それは蟻の一穴です。同じ行為を繰り返していればその疑問はどんどん大きくなって存在感を強めていき、やがて後悔の感情を生み出します。

乃木坂46が好きだから乃木坂46の商品を買って、その結果、後悔している。

そんな文脈が成立してしまうと、後悔の根本的な原因は乃木坂46への愛ということになってしまいます。しかも、その原因を取り除く方法は乃木坂46のファンをやめることです。これほど悲しいことがあるでしょうか。

このように、完全に了承できない状態で乃木坂46の商品を購入すると、最終的に乃木坂46への愛が阻害されてしまう危険があります。

だからこそ僕はその疑問がほんの少しでも生じないよう、徹底的にこの方法を実行しています。目的はお金の節約ではなく、乃木坂46を愛し続けることです。

乃木坂46へのロスを起こしそうなファンの方は、是非とも自分が乃木坂46に無理にお金を使っていないかどうか考えてみてほしいと思います。

何も難しいことはありません。乃木坂46の商品を買おうとしている時、本当にそれが欲しいものなのかどうか、本当に必要なものなのかどうか、購入後に絶対に後悔しないかどうかを吟味すれば良いのです。

もしも乃木坂46の商品を買うことが負担に感じるならば、それが後悔に変わってしまう前に断ち切るべきだと思います。その解放によって、これからも快く乃木坂46を愛し続けられる可能性が高くなるはずです。

費やした金額と乃木坂46への愛は必ずしも比例しません。CDやグッズを買わなくても乃木坂46を愛し続けることは出来ます。そして、CDやグッズを大量購入したファンが偉いわけでもありません。

ちなみに、乃木坂46のファンの中には生活費までもCDやグッズ購入の資金に当てる人が一部います。好みのメンバーと会話出来たり、好みのメンバーが写された商品を獲得できたりするならば、自らの生活水準が低下することは厭わないようです。

繰り返す通り、本人さえ了承しているならばそのお金の使い方に問題はありません。

何を購入し何を購入しないのか、その決定権は各消費者にあって誰にも侵害されるものではないです。本当に必要だと判断したのであれば、CDやグッズ等はむしろ購入した方が良いと思います。

ただ、僕にとってその消費行動は狂気的です。

もしかしたら、当の本人でさえ多少なりともそのように自覚しているかもしれません。であれば、いつかそのようなお金の使い方に対する疑問が抑えきれなくなり、最終的には後悔のあまり乃木坂46のファンをやめてしまう日が来る危険性はあります。

そうなる前に、今のお金の使い方をこれからも継続すべきなのかどうか冷静に考えてみるべきだと思います。

そして僕は、乃木坂46への愛がいずれ冷めてしまったり、その危険性を抱え続けたりするくらいなら、CDやグッズの購入を節制して本当に欲しいと思ったものだけを購入する消費行動に切り替えた方が良いと考えています。


4.恋しない、愛でるのみ。

これは僕だからこそ採用し得た方法です。

アイドルとファンの関係は疑似恋愛と表現されます。乃木坂46は女性のアイドルグループなので、主に男性のファンとの関係がそれに該当します。

僕は男性なので、一見するとこの関係に当て嵌まるように考えられます。

しかし、僕はたとえ疑似と言えども乃木坂46やそのメンバーに対して恋愛感情をもったことがありません。俺の嫁なんて考えたこともありません。

僕は乃木坂46やそのメンバーを愛でているのみであり、彼女達に恋はしていないのです。

よく考えてみると、これはロスの回避方法であり、僕が乃木坂46を愛し続ける方法として機能していました。どういうことなのか、これについても詳しく述べていきます。

まず考えてみたいのは、疑似恋愛とはどのようなグループの愛し方なのかということです。

基本的に、擬似といえども恋愛は1対1でするものでしょう。であれば、疑似恋愛をするという愛し方をより詳細かつ正確に表現すると、乃木坂46に所属している特定のメンバーを好むということだと考えられます。

これはいわゆる推しメンという概念ですね。そのような愛し方は、乃木坂46のファンの間ではごく一般的なものです。

しかし、推しメンをもつという愛し方にはロスを起こしやすいという危険が伴っていることが分かります。

推しメンをもつという愛し方は、推しメンが所属している乃木坂46が好きという形態になりやすいと思います。では、その推しメンが乃木坂46を卒業した時、引き続き乃木坂46を好きでいられるでしょうか。

好みのメンバーがいなくなってしまった以上、それは難しくなってくると思います。たとえ好きでいられてたとしても、推しメンが所属していた時ほどの愛を乃木坂46に懐くのは無理かもしれません。これはまさにロスの発生です。

このような自体を回避するためには、推しメンをもたないままに乃木坂46を愛するという方法が必要です。

推しメンをもつという愛し方に対して、それは箱推しと言われています。僕の乃木坂46の愛し方はこれに分類されるでしょう。

僕は乃木坂46が大好きです。彼女達が一生懸命に頑張っている姿や、一緒に苦難を乗り越えてきた仲間同士で仲睦まじくしている様子が本当に愛おしく、彼女達には幸せになってほしいと思っています。

このような心持ちだからこそ、彼女達が幸せな未来を見据えて卒業を決断した時には、それを忌避することなく受け入れて尊重することが出来ています。そしていざ乃木坂46として最後の日を迎えたメンバーに対して、彼女の未来に幸あれと祈ることが出来ます。

また、乃木坂46に新しくメンバーが加入する際には、そのメンバー達がこれからどんな活躍をしてどのように成長していくのか、ワクワクしながら見守ることが出来ています。

このように、僕は乃木坂46という組織そのものを愛しているからこそ、たとえ卒業と加入でメンバーが入れ替わってもロスを起こすことなくその変化を受け入れられています。

推しメンをもつことに問題はありません。むしろそれが普通だと思います。しかし、より良い順序はあるでしょう。

推しメンを作ったその延長線上で乃木坂46を愛するのではなく、乃木坂46を愛したその延長線上で特定のメンバーを好むという順序であれば、たとえその推しメンが卒業しても引き続き乃木坂46を愛し続けることが出来ます。

乃木坂46を愛し続けたいのであれば、根本的に乃木坂46という組織そのものを愛の対象とするのが良いです。ある意味当然と言えば当然のことですが、それこそが乃木坂46の変化を受け入れていく態度であり、ファンが能動的に取り組めるロスの防止策です。

乃木坂46は複数人のメンバーで構成されています。ということは、乃木坂46という組織そのものを愛せば1対1という関係が成り立たなくなります。それを土台とした疑似恋愛という関係も成立しません。

その結果、各メンバーに対して恋愛感情ではなく愛情をもてるようになります。恋しない、愛でるのみとはこういうことです。

では、なぜ僕は根本的に乃木坂46そのものを愛することが出来たのでしょうか。一言で言うならば、それは幸運としか言い様がないと思います。

僕が乃木坂46を大好きになったきっかけ、それは生駒里奈さんが主演する舞台を観たことでした。舞台に感動した僕は生駒里奈さんに興味をもち、彼女がどんな人物なのか調べました。

生駒里奈さんの芸能人生は乃木坂46の1期生から始まっています。つまり、生駒里奈さんについて調べることは乃木坂46の歴史を原点から辿ることとほぼ同義でした。

そして観劇当時、彼女はすでに乃木坂46を卒業していたのです。

生駒里奈さんが乃木坂46に所属していたままであれば、僕は彼女を推しメンとしていたでしょう。しかし既に卒業していたことで、推しメンの第一候補になるべきメンバーをもたないままに乃木坂46の歴史に触れていったのです。

その結果、特定のメンバーに拘ることなく、平等な視点で乃木坂46の歴史を知ることが出来ました。そして気がついた時には原点から現在に至るまでの乃木坂46そのものが大好きになっていたのです。

1期生の卒業生を入り口にしたからこそ、メンバーの入れ替わりに左右されないまま乃木坂46を愛し続けることが出来ています。やはりこれは幸運としか言い様がなく、僕だからこそ採用し得た乃木坂46を愛し続ける方法です。


まとめ

文中で述べた通り、この記事の中で僕が最も推奨する方法は、やはり2の「愛を込めた成果物をアウトプットする」です。

特に、いわゆるオタクと呼ばれている方達には是非とも実践してみてほしいと思っています。

悲しいかな、オタクという呼称には若干ながら蔑みの意味合いが込められているように感じます。それも相まって、オタクと呼ばれている人達の市民権は、昔ほどではないにせよ、まだまだ弱いように思います。

なぜ、彼らにはそのような評判がついて回るのでしょうか。

僕の考えでは、彼らが徹底して消費者だからだと思います。彼らは消費においては恐ろしいほどの熱意と能力を発揮します。とんでもない金額の商品を自らの生活を犠牲にしてでも獲得しようとします。もはや愛がなければ成立しない行動です。

しかし、何かに対してそれだけの愛を懐けるにも関わらず、その愛は消費にだけ作用して、なぜか生産には向いてこないようです。

この記事で述べた成果物の生産は、誰かに何かしらの価値を提供することに相違なく、社会貢献の一つです。そして、オタクと呼ばれている人達は基本的に生産はせず、消費でしか社会に貢献しない。

確かに消費も一つの社会貢献ですが、その貢献度は生産に劣ります。

社会への貢献度が低いから一定の市民権を得られないということであれば、その状況は自然なことのように思います。もしこの考察が正しい場合、この記事で述べている成果物を生産しさえすれば、その状況を脱することが出来るはずです。

確かに、消費よりも生産の方が遥かにしんどいです。しかも、成果物に対して好意的な評価が得られるとは限りません。時には批判も覚悟しなければならないでしょう。

それらに対する恐怖心故に生産的な行動に踏み出せないということは、かつてその一員だった人間として大いに理解出来ます。また、たとえ現在の僕でも未だに自らのnoteに対する批判全てを穏やかに受け入れられたことはないです。

しかし、成果物を生産し終えた時の達成感は人生を充実させます。しかも、その成果物に何かに対する愛が込められていれば、その愛をより増幅させることが出来ます。その結果、今よりも遥かに溌剌とした人生を生きることができるはずです。

また、成果物の生産を繰り返していけば、いずれ批判に対しても寛容になれると思います。たとえ好意的ではなくとも、自分の成果物に時間を使ってくれたことに感謝できるようになるでしょう。実際に僕は以前に比べてそうなってきています。

自分の人生を充実させるためにも、成果物の生産には是非とも挑戦してみてほしいと思います。自分が思い描いたものを少しずつ形になっていくのはとても大変で、とても楽しいことですよ。

以上、「乃木坂46をずっと好きでいる方法」でした!!

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