名匠トレヴァー、最後にして最高の短篇集『ラスト・ストーリーズ』

                                                                   文=樽本周馬(国書刊行会編集部)

世界最高の短篇小説家と称されるウィリアム・トレヴァーの短篇集 『ラスト・ストーリーズ』が刊行となった。2016年に88歳で亡くなったトレヴァーの最後の短篇集である(原書は2018年刊)。今までの小社刊のトレヴァー短篇集(『聖母の贈り物』『アイルランド・ストーリーズ』『異国の出来事』)は、すべて訳者栩木伸明によるセレクトによる日本オリジナル編集であり、本国の短篇集をそのままの形で刊行するのは今回が初めてである(ただし『ふたつの人生』は本国でも中篇2篇の作品集として刊行されたもの)。

本書の原書刊行時のこと。トレヴァーに駄作無し、と言われているものの、没後に刊行された短篇集ということでそのクオリティはどれほどのものか、トレヴァーといえども老いの影響はないだろうか、と心配になり、版権を取得するまえに、訳者の栩木さんに読んでもらった。数日後、栩木さんより送られてきたメールを本人の許可を得て以下に引用する。

〈トレヴァーの『ラスト・ストーリーズ』、読了しました。
短篇集ですが、読み飛ばすことはネイティブスピーカーにも不可能でしょう。行きつ戻りつしながら、ぎっしりつまった中味を読み解き、トリッキーな表現のピントを測定していていくことによって、ひとつひとつの短篇が中編以上の重みを持ちはじめます。二〇〇ページの本ですが六〇〇ページくらい読んだ気持ちです。
今までにないほど語りに企みのある作品が多く、ほとんど推理小説かと思われるような省筆と謎かけを仕込んでいます。これはまさに、トレヴァーは最後まで駄作を書かなかったことが証明される作品集で、間違いなく傑作です。八十歳を過ぎて、これだけの作品群を残したことは驚異だと思います。
翻訳しようとすると難所が多いですが、他の訳者にはできないやりかたで難所を越えていける自信はあります。
版権を是非おとりいただきたいと思います。〉

実に頼もしい、ワクワクする、興奮せざるをえない返事ではないか。すぐさま版権を取得すべくエージェントに連絡したのは言うまでもない。その後数年を経て、いま257頁の本として形となり手元にある。

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ガラス細工のように構築されたトレヴァーの文章は翻訳が難しく(その作品の本邦での紹介が遅れた要因でもある)、特に本書では、栩木さんが書いているとおり、最小限の言葉でいかに物語が豊かに作りあげられるかの実験が炸裂しているため、翻訳の精度を高めて磨き上げる作業は大変な時間と神経をつかうので(ほかの仕事はストップしてしまう)、終わると訳者・編集担当者ともども、グッタリする。無事刊行できて良かった。

帯おもての惹句は、実は原書の袖の紹介文を栩木さんに訳してもらったものである。「魂の深さを測るために測鉛を降ろす」はトレヴァーの技を的確に表現していて、しかし帯の文句にはそぐわないハードボイルド感があり、それが変だな、面白いな、と私は思ってそのまま載せた。同じように引っかかってくれる読者がいることを願っている。帯うらにある錚々たるメンツの作家による称賛も原書裏に記載されたものである。帯うらに掲載した紹介文と称賛の言葉を以下に引用しておこう。

2016年に惜しくも逝去した名匠トレヴァー、最後の短篇集がついに登場。妻の死を受け入れられない男と未亡人暮らしを楽しもうとする女、それぞれの人生が交錯する「ミセス・クラスソープ」、一人の男を愛した幼馴染の女二人が再会する「カフェ・ダライアで」、ストーカー話が被害者と加害者の立場から巧みに描かれる「世間話」、記憶障害をもった絵画修復士が町をさまよい一人の娼婦と出会って生まれる奇跡「ジョットの天使たち」など、ストーリーテリングの妙味と人間観察の精細さが頂点に達した全10篇収録。
〈すごい作家だった。文章をそっと裏返して、デリケートな部分を一瞬のうちにさらけ出せるのだ。彼の作品はいつも静かな共感にあふれていた〉エリザベス・ストラウト
〈素晴らしい書き手……彼の作品に出会わなければ、私はそもそも作家にならなかっただろう〉イーユン・リー
〈偉大な短篇作家のひとりで、最高の作品はチェーホフに比肩する〉ジョン・バンヴィル
〈作家としての彼は油断なく、感傷に陥らず、脆さと悪意を見逃さなかった。名匠である〉アン・エンライト
〈ウィリアム・トレヴァー、その人物——その仕事——は異彩を放ち、格調があり、予想外で、頼もしく、精密で、飾りがなく、しばしば悲しく、ときには可笑しく、ぎょっとさせ、卒倒させかねないほどだった〉ロディ・ドイル

収録作品は全10篇。それまでのトレヴァーの短篇集はどれも12篇収録で、それにならって日本オリジナル編集も12篇にしてきた。今回なぜ10篇なのか――最後の短篇集を編むにあたって、10篇選んだところで作業が止まったのか、あるいは厳選した結果、この10篇となったのか……真相はわからない。

さて、全10篇、どれも凄いので、どうか上記の紹介文を読むにとどめて、まさらな気持ちで頁をめくっていただきたい。とはいうものの、ラストの「女たち」だけは是非読んでほしいので少しご紹介。同じ会社の同僚同士で退社後も同居している五十代の女二人を主人公とした短篇で、良い感じのシスターフッド小説だな?と思いきや、トレヴァーでしか有り得ない予想外の展開をする作品なのである。私は初読時、あまりの容赦のなさ、恐ろしさ(ホラーではない)に「うう……」と声が出てしまった(そういうことはあまり無い、というか初めてかもしれない)。その他、読後に身体になんらかの症状があらわれる(ため息が漏れる、涙がにじむ、興奮で体が熱くなる等々)佳品が揃っていることをお約束する。

装幀について一言。デザインは刊行継続中のトレヴァー・コレクションと同じ中島かほるさんによるもので、コレクションの1冊ではないため、ハンマースホイの装画を使わず原書に寄せたものにしてほしいとお願いして、このような全面金箔押しとなった(原書は、実はそんなに箔を使っていない)。*以下写真=本書カバー/カバー袖/原書カバー

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箔押しは面積で費用がかかるので、袖まで入れるというのは普通ありえない、というかお金がかかりすぎる、のだが、コロナ禍のどさくさに紛れて、やってしまった次第(再版などは箔押し不可となりただの茶色ストライプになる可能性あり)。用紙はざらざらしたマーメイド。ネットでは分からない、箔と紙のハーモニー、ぜひ本屋さんで手にとって確認してほしい。以下写真=本書表紙/目次

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なお〈ウィリアム・トレヴァー・コレクション次巻の『ディンマスの子供たち』(宮脇孝雄訳)は現在鋭意進行中である。『ラスト・ストーリーズ』で初めてトレヴァーを読んで驚いた方、もっと読みたい!と禁断症状が出てしまった方は、すぐさま他のトレヴァー作品集をご購入いただきたい(以下特記なきものは栩木伸明訳)。最初にベスト・コレクションとして刊行した『聖母の贈り物』、最後の長篇となった『恋と夏』(谷垣暁美訳)、ベスト・コレクション第2弾にしてアイルランドが舞台の作品を集めた『アイルランド・ストーリーズ』、逆にアイルランド以外の国々を舞台の作品を集めた『異国の出来事』、強烈な中篇2篇(「ツルゲーネフを読む声」「ウンブリアのわたしの家」)をカップリングした『ふたつの人生』、いろいろ取り揃えております(『アイルランド・ストーリーズ』のみ現在品切)。

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ラスト・ストーリーズ

ウィリアム・トレヴァー 著
栩木伸明 訳

定価:本体2,400円+税

ISBN978-4-336-07032-6

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