『アドルフに告ぐ オリジナル版』別冊所収の解題を公開!

 今年2月に刊行後、大好評を得ています手塚治虫畢生の大作『アドルフに告ぐ オリジナル版』。〈オリジナル版〉というのは単行本版とどう異なるのか気になる、という方は多いでしょう。そこで、本書別冊収録の解題を特別に公開いたします(相当長いです)。執筆は本書企画編集者の濱田髙志さんです。実際の漫画を参照しながら読むことを前提にした内容ですが、雑誌掲載版と単行本版の違いや『アドルフに告ぐ』の歴史がよく分かるのではないかと思います。なお、手塚プロダクションのWEBマガジン〈虫ん坊〉では、本書について小社担当編集者のインタビュー〈雑誌連載版『アドルフに告ぐ』復刻の意味!!〉と、本書デザインを担当した米川裕也さんのインタビュー〈手塚復刻本、ブックデザインの秘密に迫る!!〉が掲載されています。また、濱田髙志さんが本書と同時に企画編集を進行していた『手塚治虫アーリーワークス』(888ブックス)の制作チームインタビュー〈手塚治虫の原点にさかのぼれ!〉も読み応えあります! 以上の記事も併せてお読みいただければ、『アドルフに告ぐ オリジナル版』の全貌が明らかになることでしょう。(文=樽本周馬[国書刊行会編集部])

書影

本書函カバー。鉤十字の中には本書の主要登場人物が閉じ込められています

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                        ©手塚プロダクション

 
『アドルフに告ぐ』解題 

                                                                                                 濱田髙志

 本書には、手塚治虫が《週刊文春》一九八三年一月六日号から八五年五月三十日号にかけて連載した『アドルフに告ぐ』全一一三回を、初出時の形で完全収録した(但し、連載途中、八四年十二月十三日号から翌年二月十四日号までは休載。これは手塚が十一月二十二日に急性肝炎と胆石で半蔵門病院に入院したためだ)。これまで出版された本作の単行本は、すべて手塚自身が再構成した最初の単行本を底本としており、連載時のままの構成で刊行されるのはこれが初めてである。そのため、本書によって、毎週十頁という限られた紙幅で、手塚がいかにドラマを盛り上げ、読者を惹きつけるために工夫を凝らしたかを改めて確認することが出来る趣向だ。連載時の読者には、先の見えない展開に胸躍らせた当時の興奮を、初見の読者には、連載形式を追体験しながら頁を繰る醍醐味を味わって頂きたい。また、本書では雑誌サイズ(B5判)をやや大きめに掲載し、現存原稿の再調整を施した上で、緻密な描写をより鮮明に印刷すべく高級紙を採用した。刊行後三十五周年記念出版としての愛蔵版を謳う所以である。
  
 手塚が自作を単行本化する際に、コマ割りや頁の入れ替えをはじめ、人物や背景の描き変え、それにセリフの調整を行うことはよく知られているが、本作もご多分にもれず、随所で様々な手入れが行われており、現存する原稿は、すべて切り貼りされた改編後の状態で残されている。よって、本書の編集にあたっては、その原稿を基に、失われた箇所は掲載誌と合成することで初出時の構成を復元した。一番目立つものとしては、単行本化の際に取り払われた連載時の冒頭タイトルロゴの復元である(単行本化の際には背景を描き加えたり、コマの順序を変更している)。そして、長期連載のために掲載されていたあらすじ紹介部分(当然ながらこの部分の登場人物の絵は単行本初収録)、描き変えられた建築物や軍服、人物の顔(一巻四頁四コマ目と六頁四コマ目の峠草平、一巻三四四頁一コマ目の由季江、二巻二七一頁五コマ目のゲッベルスなど)も復元した。但し、文字の誤植やトーンとベタの明らかな漏れ、吹き出しの描き間違い、そして主要人物名の変更・混在は、単行本に準拠して整合性を持たせた(長期連載のため、人物名には不統一が見られる)。具体的には、アドルフ・カミ→アドルフ・カミル(連載第一回の墓碑は「カミ」となっている)、マチ→由季江、本多ユキ→本多サチ、ローザ・ホーファー→ローザ・ランプ、ハリー→ケンペル(本多芳男のスパイ名)などである。ちなみに殺害されるヴァイオリニスト、ユーリ・ミーフェンは単行本ではユーリ・ノルシュテインと変更されている(ご存じの通り、手塚が親交のあったユダヤ人アニメーション作家の名前である)。
 
 本作の単行本化に際しては、手塚自身がインタビュー(別冊収録)で述べているとおり、連載時には描ききれなかった部分が多く、全体で約五十頁に及ぶ増補、描き下ろしがなされている。特に、ヒットラー出生の謎をめぐる物語にリアリティをもたせたゾルゲ事件については、手塚自身思い入れが深く、単行本版で五頁も増補された(第二十五章冒頭。なお、本書三巻三十三頁に出てくるゾルゲ関連メンバーの尾崎秀実は手塚が本書のために取材協力を仰いだ評論家の尾崎秀樹の異母兄にあたる)。
 一方、本作には単行本化の際に削除された頁、つまり本書でしか読めない場面が複数ある。以下、目立った削除場面にふれておく。
 
 まずは一巻から。連載第二〇回(一九一頁)の扉頁、病床のカウフマンと由季江の会話、第二三回(二二一頁)扉頁、アドルフの万引き指南の場面、第三一回(三〇一頁)扉頁、峠と由季江の会話、第三六回(三五一頁)、峠と赤羽刑事の決闘場面(ゴミを食わされる峠の描写がより明確)。続く二巻の、第四一回(二一頁から二五頁)で描かれた由季江と本多大佐のやりとり。これは本編中最も長い削除場面である。続く三巻では、第八三回(六八頁から七〇頁)で描かれた、本多芳男の葬儀での由季江と峠の再会場面。ここでは、由季江の峠に対する想いが細やかに描写されている。そして第九九回(二二一頁から二二二頁)のこれまでのあらすじ紹介。これは二ヶ月の休載を経ての再開回なので、より詳しいあらすじ紹介となった。ほかにもコマ単位での抜き差し、トリミングなどが複数あるのは前述の通り。また、一巻三二九頁から三八〇頁や三巻一七六頁などの英語・ドイツ語の日本語訳(欄外)は単行本ではカットされている。
 しかし、初出版と単行本の最大の違いは、大胆な構成の変更だ。開幕と終幕の場面が単行本化の際に描き直されたのは明白で、とりわけアドルフ・カウフマンが「黒い九月」に加入し、二人のアドルフの決闘に至るまでの場面は大幅に増補されている。これについては、別冊にそのまま再録したので併読されたい。
 また、冒頭とラストの墓碑の場面は、単行本版のほうがより劇的な効果を上げているのは言を俟たないが、初出版では第一回一頁目の上半段と最終回最終頁の上半段が同一ポジションで描かれていて絶妙な対称性が味わえる。
 
 ほかに認められる大きな構成の変化としては、単行本版では冒頭の峠勲殺害から始まり峠草平がそのミステリーを捜査し、やがてゲシュタポに捕らえられるまでを一気に繋げているが、初出版では、連載第三回の段階で主役の二人のアドルフを紹介する流れとなっている。単行本版では、物語における峠草平の狂言回し的な役割を明確にし、三人のアドルフと同様の存在感を示しているが、雑誌版では、峠パートとアドルフパートを交互に見せることで、群像劇としてのダイナミズムが表現されていた。
 一方、セリフの改変で異なる印象を与える例を挙げると、例えば、第二一回(一巻二〇四頁)由季江が病床の夫ヴォルフガング・カウフマンに対して芸妓の絹子を殺害したかを問いかける場面、単行本では夫が昏睡間際に「そうだ……」と認めているが、初出版では、「……」となっているため、由季江は真相を知ったのか知らないままなのか明確にせず物語が展開する。また、第一〇九回の冒頭、アドルフ・カウフマンが憲兵隊と共に本多大佐邸で峠を拘束しようとする場面(三巻三一三頁)。初出版では、峠がアドルフに彼の母である由季江が重態だと伝える間際に憲兵の平手打ちで言葉を遮られ、アドルフは、ヒットラーの死を知らされたあとに母の容態を知ることになるが、単行本ではその段階で峠が「おまえの母さんが重態なんだ」と伝えるも、アドルフはそれを意に介さない(あるいは文書探しに執心しているため耳に入らなかったと捉えることも出来る)。一見、ささいな違いだが、機密文書を手に入れた後にヒットラーの死を知らされ、さらに追い討ちをかけるように母の容態を知って正気に戻る初出版のほうが、感情の起伏がより明確に伝わるのではないだろうか。こうしたちょっとした変化にも目配せしながら通読すると、初出版と単行本版で、それぞれの良さが感じられるだろう。
          
  本作執筆時の状況については、別項(池田幹生インタビュー)でも紹介したが、当時、手塚プロ漫画部でチーフを務めていた福元一義の著書『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(集英社新書)によれば、「異例の“連載前試写会”」の項で次のような記述がある。
 ある日手塚から内線で試写会に行く旨の連絡があり、それを受けた福元は〈なんの映画だろう、西部劇かSFか、それともギリシャ史劇か……。それぞれ勝手なイメージをふくらませていると、先生がこちらの気持ちを見透かしたように降りて来られて、「観るのは娯楽映画ではありません。一九三六年のベルリンオリンピックの記録映画で『民族の祭典』と言います。来年より週刊文春で始まる『アドルフに告ぐ』の冒頭のところでオリンピック会場が見開きで出てきますので、当時の雰囲気や服装をよく観てて下さい」と言われたので、それまでのウキウキした気分はいっぺんに固まってしまいました〉。そして、かのヒットラーお気に入りの女流監督レニ・リーフェンシュタール監督・脚本による記録映画を、アシスタント十人を引き連れて鑑賞したのだという。このように連載前にここまでの下準備をした作品はないそうで、それだけ手塚の本作に傾ける情熱は熱く、深いものだった。作画面でも奇抜な表現技法や読者サービスを一切排除し、真正面の正攻法で作品にリアリティを持たせているのが本作の特長といえる。その表れのひとつが、手塚が得意とするスターシステムの封印で、お馴染みのキャラクターとしては、ランプとハムエッグ、それに田鷲警部がほんの少し登場する程度だ。本来ならヒゲオヤジを始めとする面々が演じたであろう役柄も、新たに描き起こされたキャラクターが演じることで、作品をよりシリアスに仕立て上げた。
          
 手塚は、本作の連載終了後に複数の媒体でインタビューに応えているが、そのなかで、本作でドイツと日本を舞台に選んだことを次のように述懐している(【  】は引用者注)。
 〈当時の日本とドイツは典型的な全体主義国家で、わりと描きやすいということがありました。ヒトラーと東条英機という二人の独裁者に率いられた両国の国民の置かれていた立場、状況が似かよっていましたからね。ぼくがあれ【『アドルフに告ぐ』】で狙ったのは、独裁者もしくは全体主義国家の領袖が叫ぶ正義とはいったい何かということです。同じ全体主義国家でも日本とドイツの正義は若干違うわけです。(……)それを追求していくと、一種の国家エゴイズムに突き当る。これはぼくの昔から好きなテーマでして、これまで繰り返し描いてきているんです。ただ、思いどおり描けて成功したという点では『アドルフに告ぐ』がいちばんでしょう〉(《Voice》一九八六年七月号「21世紀へのコンセプト 漫画は国境と文化を超える」より)
 
 なお、ヒットラーの出自の秘密にヒントを得て着想された本作だが、〈ヒットラー=ユダヤ人説〉はもちろんフィクションである。ヒットラー評伝の決定版とされるイアン・カーショー『ヒトラー(上):1889­­ー1936 傲慢』(川喜田敦子訳、石田勇治監修、白水社)によれば、もともとカフェの噂話を一九三〇年代に外国メディアが広めたもので、第二次世界大戦後にナチの有力法律家だったポーランド総督ハンス・フランクの処刑前の回想録が信憑性を持って流布するに至った。ヒットラーの父方の祖父が誰なのか不明点が多いのは事実で、「回想録によれば、ヒトラーから家系調査を命じられたフランクは、マリア・アンナ・シックルグルーバー【ヒトラーの祖母】がグラーツのフランケンベルガーというユダヤ人家庭で調理人をしていた時期に出産したことを突きとめたという」(『ヒトラー(上):1889­­—1936 傲慢』三十六頁)。フランケンベルガー家はその生まれた子供の養育費を払い続け、「マリア・アンナとフランケンベルガー家のあいだでは長年にわたって手紙のやりとりがあったとされる」(同書同頁)。このあたりは本書でも紹介されているエピソードだが、一八三〇年代にはグラーツにはフランケンベルガーという家はなかったなど、根拠のない事象の羅列で裏付けに乏しいことが判り、現在では〈ヒットラー=ユダヤ人説〉は完全に否定されている。しかし、ヒットラーに関してはいまだ解明されぬ謎が多く、それだけに、創作に適した題材としての魅力が備わっているのだろう。
          
 最後に連載終了後の動向について書き留めておこう。本作の単行本は、連載終了直後に文藝春秋から横山明による装画をあしらった四六判ハードカバーで単行本化され、文芸書に交じって書店で平積み展開し、ベストセラーに名を連ねた。第一巻が一九八五年五月三十日、第二巻が同年六月三十日、第三巻が同年八月一日、そして最終巻となる第四巻が同年十一月十日に刊行(ラストの描き下ろしのため刊行が遅れた)。この好評を受けて、各社が「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック」などを四六判ハードカバーで単行本化、手塚治虫ブームが巻き起こった。また、翌年六月二十日、『アドルフに告ぐ』は、第十回講談社漫画賞(一般部門)を受賞。その後、一九九二年四月に文藝春秋より文庫化され、空前のベストセラーとなっている。これを機に手塚の過去作品が続々と文庫化、マンガ文庫ブームの火付け役となったのである。なお、そのほかの単行本については末尾に記した。
 一方、他媒体では、一九九三年三月十五日に、TBSラジオで初の三時間ラジオドラマとして放送され、同作は第三十回ギャラクシー賞(ラジオ部門)、第九回文化庁芸術作品賞(ラジオ部門ラジオドラマの部)を受賞している。主なキャストは以下の通り――峠草平=柄本明、アドルフ・カウフマン=風間杜夫、アドルフ・カミル=上杉祥三、由季江・カウフマン=二木てるみ、小城典子=倉野章子、赤羽警部=大塚周夫、アセチレン・ランプ=村松克己ほか。ちなみにこのラジオドラマを企画したのは、五輪真弓のマネージャーを務めるなど、音楽業界では知る人ぞ知る敏腕プロデューサーの永井良司。ドラマは同年十一月に三枚組でCD化された。
 また、舞台に目を向ければ、本作は劇団俳優座によって初舞台化、一九九四年一月九日から二十六日まで、同劇団の創立五十周年記念公演として上演された。スタッフは、脚本・原徹郎、演出・亀井光子、音楽・三枝成彰、キャストは峠草平=中野誠也、アドルフ・カウフマン=てらそま昌紀、アドルフ・カミル=森優介、由季江・カウフマン=河内桃子、本多大佐=滝田祐介、小城典子=木村実苗、赤羽警部=児玉泰児、アセチレン・ランプ=松野健一ほか。同公演のパンフレットには、手塚の妻、手塚悦子と元《週刊文春》編集長の白石勝の寄稿が掲載されており、前者は「手塚がドイツを旅行した際にヒットラーにユダヤ人の血が入っていると耳にして本作の着想を得た」こと、後者は「天才との格闘の思い出」として、連載当時を回想している。
 そして、俳優座に次ぐ舞台化が、二〇〇七年十二月二十日から三十日まで上演されたスタジオライフによるもので、こちらはのちに再演も行われた。本舞台については、別項に掲載した、劇団主催者である倉田淳の寄稿を参照して頂きたい。
 かように本作は連載終了後も様々な媒体で取り上げられ、単行本も幾度となく再販されてきた。本作は、間違いなく今後も読み継がれる手塚にとって晩年の代表作といえるだろう。
(二〇二〇年二月六日記)

★アドルフに告ぐ 単行本一覧(*印=コンビニ向け廉価版)

アドルフに告ぐ(全4巻) 1985年 文藝春秋
アドルフに告ぐ 文春コミックス(全5巻) 1988年 文藝春秋
アドルフに告ぐ 文春文庫ビジュアル版(全5巻) 1992年 文藝春秋
アドルフに告ぐ 手塚治虫漫画全集(全5巻) 1996年 講談社
アドルフに告ぐ My First WIDE(全2巻) 2003年 小学館*
アドルフに告ぐ 手塚治虫の収穫(全3巻) 2008年  小学館
アドルフに告ぐ 文春文庫 新装版(全4巻) 2009年 文藝春秋
アドルフに告ぐ 手塚治虫文庫全集(全3巻) 2010年 講談社
アドルフに告ぐ 集英社ホームリミックス(全2巻) 2011年 ホーム社/集英社*
アドルフに告ぐ SAN-EI MOOK 黒の手塚治虫シリーズ(全2巻) 2014年 三栄*
アドルフに告ぐ 秋田トップコミックス・ワイド(全2巻) 2016年 秋田書店*
アドルフに告ぐ 手塚治虫ベストセレクション(全5巻) 2019年 ゴマブックス*
アドルフに告ぐ オリジナル版(全3巻+別巻) 2020年 国書刊行会

なお、本解題が掲載された今回の別冊(全98頁)の内容は以下の通りです。

「手塚治虫と戦争」中条省平
『アドルフに告ぐ』三次元化への道」倉田淳〈スタジオライフ〉
『アドルフに告ぐ』二代目担当編集者:池田幹生インタビュー
手塚治虫が語る『アドルフに告ぐ』
 *単行本あとがき
 *アドルフに告ぐ――『観たり撮ったり映したり』より
 *『アドルフに告ぐ』回想(「手塚ファンmagazine」掲載)
 *著者に聞く(「中学教育」掲載)
 *著者インタビュー(「女性セブン」掲載)
解題 濱田髙志
『アドルフに告ぐ』単行本ラスト(単行本版描き下ろしページ)
『アドルフに告ぐ』関連資料(キャラクター・デザイン、原稿下描き他)

1巻

本書第1巻カバー

2巻

本書第2巻カバー

3巻

本書第3巻カバー

別冊

本書別冊カバー



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