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空飛ぶ酸素ボンベ

 今日は酸素ボンベの話をしたいと思います。 

アンビューマスクとジャクソンリース、どっちを選ぶ?

 以前、私が医学生の頃、病院実習で救急をローテートしているときに、アンビューマスクとジャクソンリースとの違いを教わりました。現在は自治医大 麻酔科で教授をされている鈴木昭広先生の指導でした。シチュエーション・ベースのシミュレーションで、他階にあるCT室へ患者を病棟から移動させるというシナリオでした。その際に「アンビューマスクとジャクソンリースどっちを選ぶ?」と質問されました。
 皆さんなら、どちらを選びますか? またその根拠は何ですか? 

 無知だった当時の私は、なんとなく誘導に乗っかってジャクソンリースを選びました。ジャクソンリースの最大の利点は用手的に陽圧換気をかけることが出来る点にあります。そして何となくジャクソンリースを選んだ場合のシナリオは、エレベーターで各階に停まっているうちに、酸素ボンベの酸素が尽きてしまうという結末を迎えるというものでした。 
 このケースを通じての教訓としては、アンビューとジャクソンの違いを知ることに加えて、道具の性質・特徴を知らずに使うと痛い目に遭う(自分が被害を受けるのではなく、患者に被害を与えて痛い思いをするという意味)ということです。また、酸素ボンベの残量に気を付けることの重要性についても学ぶことができます。(かれこれ十年以上経った今でも、その実習の記憶が残っており、その教えが今も生きているという点で、鈴木先生の教育のoutcomeは有効だったと考えます。) 

酸素ボンベ内の酸素残量は?

 医師国家試験において、酸素ボンベ内の酸素残量について、もしかしたら計算問題で出題されることがあるかもしれません。(2021年現在、出題はありません。看護師国家試験では出題がありました) 通常、皆さんがよく目にする酸素ボンベは黒色で鉄製のものでしょう。内容積は3.4Lのボンベが多いので、今度、実習の最中にでも機会があれば確認してみると良いでしょう。そして、残量についての単位は気体の容積(単位:リットル)ではなく、圧で代用されていることに注意しましょう。
 ずっと昔、高校化学でやったような、遠い記憶の彼方のボイルの法則ですね。「温度が一定ならば、気体の容積と圧力との積は一定になる」というものです。3.4Lしかない器の中に、高圧の酸素を吹き込むことでその100倍以上の量の酸素がボンベに含まれているのです。 
 したがって、残量を評価するためには、容積内の気圧から判断しなければなりません。単位はMPa[メガ・パスカル]かkg/㎠かで表記されておりますが、今回はMPaで考えることにします。 

 ただの比例計算なので、そんなに難しくは無いと思います。出題されるにしても、必ず但し書きが明記されると思います。例えば、「10Lの酸素を1L容積の酸素ボンベに圧縮して詰め込んだ場合には、1MPaの圧力を示す」というような前提条件が示されることが予想されます。あとは、ボイルの法則に従うだけで、比例計算できるという知識で十分でしょう。 

=== 練習問題 ========================
3.4Lの酸素ボンベの圧力計が、5MPaを指している。10L/分の流速で酸素を使用した場合には、何分間の使用で酸素が底をつくか? 
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※ 解答・解説は文末に記載しています。


空飛ぶ酸素ボンベ

 さて、今日ではない過去のいつかに、上記のような計算をするような場面に出くわしました。在宅人工呼吸器の患者さんが北海道から県をまたいで転院するということになったためです。陸路の可能性も考えたのですが、時間や途中の引き継ぎを考慮して空路という選択になりました。

 社会人と学生との違いは、いろいろとあるとは思いますが、社会人になると物事の行程・段取りを具体的にイメージして準備しなければならない場面が格段に増えるというのが個人的な感想です。したがって、空路で移動すると決めた以上、今度は具体的なプランが必要となります。結果的には病院から民間救急車(民間の法人)に引き継いで、後は全てその法人がコーディネート・プラニングをしてくれるという流れになったのですが、そこに至るまでの段取りを具体的に考えて、各種方面に電話がけをして調整をしました。 

 まずは受け入れ先の病院を探すのは、通常の転院調整と同様なのですが、他には人工呼吸器の業者に電話をかけたり、酸素をうっすら使用しているので酸素ボンベの業者にも電話をかけました。北海道ではA社という酸素ボンベを取り扱っている業者が多いのですが、実は県によって色々な酸素ボンベ業社があるようで、ボンベの回収等で手続きが必要になるかもしれないという話になりました。結論としては、その移動先の都道府県においてもA社の支社があるようで、そこが回収するということで話がまとまりました。 

 もし現状の酸素流量のまま、酸素を機内に持ち込むと、3.4Lボンベです1本だと、150分しか持たないという計算になりました。150分だとギリギリです。途中で痰の吸引等の場面で酸素流量を上げるという時間を想定した場合、1本だと心もとないような印象を受けます。実は、赤い色の航空会社にも電話を事前にしており、3.4Lボンベだと機内には1人の患者につき2本という制約があるという話を既に聞いておりました。 

 結論としては、退院前の時点で何とかroom airの状態にまで出来ないかを試みたところ、うまくいったので酸素は保険的な意味合いで機内に持ち込むことになったのです。そして、タイトルにあるように北海道から持ち出した酸素ボンベは機内に持ち込まれ、飛行機に乗って道外へ旅立ちました。 

 MSWに任せれば良いのでは?という意見もあるかと思いますが、MSWだと医学的な内容を突っ込まれたときに無責任には答えることが出来ないのが通常です。すると、私たち医師の方にまた連絡・相談が来るだろうことを踏まえると、医師が電話した方が事は早いのです。 最悪、自分が機内に同乗しなければならないのかなとも思いましたが、民間の搬送サービスも世の中にはたくさんあるようで、経験も豊富で頼もしい限りでした。最終的には何のトラブルもの無く、患者を安全に搬送できたので、ホッと安堵しました。

結語

 医療は、いち病院で完結するものではないので、病院の外にも繋がっているという意味では、とても奥が深いのです。今回は酸素ボンベの話題で、ちょっとしたコラムを紹介しました。

[2017年6月18日 メールマガジン 医師国家試験の取扱説明書 より]


練習問題の解答解説

正解) 17分 

解説) 
1Lの酸素ボンベだと仮定すると、
ボンベに封入する酸素10Lは1Mpaになるので、
10 [L] : 1 [MPa] = X [L] : 5 [MPa] 
X =  50 [L] 

実際の酸素ボンベの容量は3.4Lであり、
上記の3.4倍の酸素が残っていることになる。

酸素残量 = 50 [L] × 3.4 = 170 [L]

酸素流量は10L/分(=1分で10L流れる)なので
求める時間は、170[L] ÷ 10[L/分] = 17分