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フィリピン貧困地区の訪問 〜最低限の生活とは〜

たくさんのことを考えて、上手くはまとまらないけど感じたこと、考えたことのまとめ。


*山岳地域と海上スラム

フィリピン政府は2020年までにスラムをなくすことを目標にしてる。
でも実際はそんなの無理で、追い出すことで達成しようとしてる。

スラムは主に水辺にできる。
その理由は水があると排泄物やゴミを捨てることもできて、船の荷下ろしの仕事を手伝うことによってその日限りでも収入を得ることもできるから。

政府はスラムをなくすために強制移住させる。
その移住先に指定されたのが山の地域。
見た目は山の方が自然豊かで穏やかな生活をしているように見えた。海辺の家は水が見えないくらいゴミで埋め尽くされている上に家が建ってたから。
でも実際は山の方が生活に不便で、街に出るのも大変。親が仕事にいくのも、子どもたちが学校まで行くのも時間がかかる。

スラムをなくしたいっていう政府の思いもわかるけど、ただ移住させるだけだと何の解決にもならない。生活に不便になり、不便だからってまた便利な水辺にスラムを作られ、また移住させて…ってキリがないのではないかな。
中には追い出すために焼け出された地域もあると聞いて衝撃的だった。もっと根本から解決しないといけない。わかっているけどできないのかもしれない。とりあえずその場しのぎでの対策なのかもしれない。
でもそこには生活している人がいて、生きている人がいる。もう少し人として、人が生きている場所として考えてあげることってできないのかなと思った。

海辺のスラムでは子どもたちと話せて、「Face book持ってる?」って聞かれた。こういう場所に住んでて行政から食事配給受けてるくらいなのにどうしてFacebookなんて持ってるんだろうって疑問に思った。でも家にパソコンがあるわけでも、親が携帯を持ってるわけでもなくて、学校のパソコンで使っているそう。家の周りを歩いた時にテレビがついているお家もいくつかあって、ゲーム機なのかタブレットなのかを使っている子どももいて。
生活が整ってないっていう考え方しか出来ていなかったけど、この子達も現代の子どもで、テレビやインターネットにアクセスしてその楽しみを知っている。

衣食住が整ってないのになんで?、テレビやインターネットは贅沢品ではないの?という気がしてたけど、それは私の勝手な思い込みだったのかな。
インターネットに関していえば、このネット社会では衣食住と同じくらい、もしくはそれ以上にインターネットが必要でそれにアクセスできないことの方が人々を社会から乖離させてしまうのかな。
そもそも衣食住が整うって何だろう。
生きるために必要な条件って何だろう。
私が勝手に作り出した基準で物事を考えていたかな。と考えさせられた。

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