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効果的な子どもの学習の仕方 実例編1 自己覚知

 前回の「効果的な子どもの学習の仕方」で実例を交えた解説ができなかったので、今回は効果的な子どもの学習の仕方 実例編「自己覚知」をお伝えできればと思います。

 効果的な子どもの学習の仕方として、
1 .子どもを知る
2 .子どもの発達段階を把握する
3 .子どもの発達段階にあった学習を行う
4 .評価をする
5-1.良い結果だった場合
5-2.悪い結果だった場合
6 .話し合いましょう
 とお伝えさせて頂きました。

 今回はそれらを更に掘り下げてお伝えさせて頂けたらなと思います。
 また、理論は知っていても、なかなか実践をするのは難しいものです。私自身も、まだまだ勉強不足な面もありますが、意欲があれば少しずつでも実践できるものです。

 そして、今回お伝えさせて頂くことは、社会生活スキルとしてお子様の教育のみならず、仕事、家族関係、アクシデントなど、様々なものに応用して頂けるかと思いますので、生活のなかで活用して頂けると幸いです。
 ※色々と偉そうにすみません

【① 自己覚知】
 お子さんの教育を開始する前に、まず、自分自身を知りましょう。
・自分は子どもから、どう見えているのか
・子どもは自分のことを、どう思っているのか
・自分が教育の場面に立ち会う時、どんな態度をとるのか
・自分は負の感情の時、どんな行動をとるか⇒子どもはどんな反応をするか
・自分が正の感情の時、どんな行動をとるか⇒子どもはどんな反応をするか

※「負の感情」とは「不快な感情」を指します。具体的には怒り、悲しみ、憎しみ、恨みなどがこれにあたります。正の感情はその逆を指します。

 自己覚知で得て欲しいのは自分自身の特徴と、子どもにどの様に映っているのか、また、特定の行動をした時の子どもの反応はどうかと言うことを知識としてインプットすることです。

 可能であれば、自身の評価だけではなく、第三者からの客観的評価も含めたうえで「自分自身が子どもに与える影響」として認識して頂けると効果的だと思います。

 これらをしっかりと認識することで行動の修正や、対処技能を身に付けていきましょう。

 ≪例≫
 大人になると、男性は特に舌打ちの様な音を出す方もいます(舌打ちではなくとも、相手がその様に誤認してしまえば同じです)。している本人は、癖であったり、自身の口腔内の不快さを取り除くためにしているかもしれません。

 しかし、周囲にいる人間が全てその様に理解してくれるとも限りませんし、理解してくれていても不快なことには変わりません。

 そのため、教育の時間だけでも、できるだけその様な行為は我慢しましょう。長時間我慢ができない場合等は、中座してでも、できるだけその場で行為に及ばないようにしましょう(状況により子どものことを考えて行動の選択をしましょう)。
 ※状況によっては傍にいたままの方が良い場合もあります。

 特に男性の場合は、音、臭い、存在感、テレビやゲームなどで子どもの教育時間の阻害要因になることをできるだけ、行わないようにしましょう。
 また、万が一の場合を考えて、対処技能を考えて実践できるように備えましょう。

 対処技能は子どもの不快感や、委縮などが認められた場合、もしくは行動が止まってしまった場合、子どもが反射的にビクンと反応した場合などは外部刺激により集中力が切れたことも考えられますので一旦、リセットをしてリフレッシュすることも選択肢に入れましょう。

 30分の集中できない学習より、5分の集中した学習のが大切です。

 リセットやリフレッシュの手法は、子どもの性格特性によりけりですが、笑いや好奇心を誘うような対処技能を用いるのが無難かなと思います。

≪演習①≫
「ちぃっ、」
「びくん」
「ダーチーズが食べたいなー(チェダーチーズが食べたいな)」
「なにそれー」

≪演習②≫
「ちぃっ、」
「ねー、ぱぱ止めて」
「ちぃっ、ちぃっ、コリー、ちぃっ、コリー、チサーンサマンマ」
 ↑60代前後の方に聞くと分かります。
「なにそれー」

 対処技能を使用する必要になった場合、お父さんは(今回の実例では)5分間くらい、子どもの気持ちの切り替えに全力を尽くしてください。可能な限り正の感情に持っていって下さい。 
 ※ただし、これは学習が習慣化するまでです。

 この少し喜劇的なこと(喜劇でなくても大丈夫です)をするのは学習=不快感という感覚を少しでも減らすためです。子どもは感受性が豊かであり、視野が狭いため、目の前の出来事を多面的な刺激で捉えてしまうこともありますので、学習習慣が身に付くまでは特に気を配りましょう。
 ※特に注意が必要なのは早期学習です。就学前教育の頃には上記の配慮は必要のない発達段階に達している子も多く見られます。

 特に小学校お受験を目的にしている家庭は、学習の習慣がついてからは意図的に学習中にストレスをかけることも必要になります。これはお受験対策の行動観察や他の受験者との共同作業という試験内容で役立ってきます。

 因みに、私は「叱る」行為は推奨派です。また、別の回で綴っていきたいと思いますが、特に社会規範(道徳観念・倫理観)の部分は社会生活を送るうえでとても重要なことになるので、時に厳しく「叱る」という行為も必要だと思います。

 個人的な体験談で言えば、私は社会規範の教育に関しては「叱る」行為を取り入れていましたが、他は、ほぼ強制も、「叱る」行為もしませんでした。

 学習に関しても、したくないなら、しなくていいよ、でも、するならここにいるよ、とか、なら一緒に自分の仕事しよう、とかそんな感じでした。

 近年は「叱る」ことは子どもを委縮させるという考え方もありますが、私見ですがそうは思いません。むしろ、叱らないことによる増長の方が弊害になる恐れがあります。

 例えば、高度経済成長期を支えてきた大人達は委縮していたかと言うと、経済社会の発展のために日夜活躍していたと思います。上下関係の厳しさはありましたが、委縮ではないと思います。そして、そんな方たちは体罰などが当たり前の家庭、教育制度、社会のなかで育ってきました。

 体罰を肯定するわけではありませんが、「叱る」行為にまで過敏に反応して「悪いものは悪い」と言えないのは子どもの健全育成には大きな弊害になるかと思います。

 やはり、詳細を掘り下げていくと結構な文字数になってしまっていることに驚いています。一気に綴っていくのは相当の気力と時間を要するので、ここまで読んで頂いた皆さん、初のシリーズ化にしてもよいでしょうか。

 大変申し訳、御座いません。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今回のコラムも私の個人的な知見に基づく仮説ですので、必ずしも正しいとは言えませんし、他で主張されている理論を批判するものではないことをご理解いただいたうえで、一考察として受け止めて頂き、大切なお子様の教育に役立てて頂けたらと思います。


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