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朝日新聞の伊藤律捏造会見事件を1990年代以降に例えると

朝日新聞の歴史を問題視するにおいてほぼ列挙されるであろう伊藤律捏造会見事件。朝日新聞が1950年9月27日付の報道で団規令違反で逮捕状が出て地下潜行中だった日本共産党幹部の伊藤律と兵庫県の山奥のアジトで一問一答の会見に成功したと報じたが、捜査機関が調べると目隠しされて案内された山奥のアジトを特定できず辻褄が合わないことも多かったが最終的に会見が行われたとされる時刻に実際には朝日新聞記者は旅館にいて現場に行ってないことが判明し、会見記事はハナから捏造だったことが判明した事件でした(その後、朝日新聞記者は懲戒免職され、占領法規に違反したとして刑事裁判で有罪になりました)。

この朝日新聞の伊藤律捏造会見は1990年代以降に例えればオウムのナンバー2の村井秀夫が地下鉄サリン事件の殺人罪で逮捕状が出て指名手配になって高橋克也ばりに逃亡を続け警察が総力を上げて捜索中に新聞記者が国内の秘密アジトで村井との一問一答の会見に成功したくらいのビッグニュースがハナから捏造だったレベルと言えば衝撃度が今の人に理解されるでしょうか。

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