【国宝探訪】御旗楯無も御照覧あれ!

この探訪記は2013年10月27日のものです。当時の探訪記に補足すると、国民文化祭の催しで待ちに待った「楯無の鎧」(正式名称:小桜韋威鎧)を見ることができると思っていたのですが、季節外れの台風の影響で中止が決定。しかし、台風が通り過ぎたとのことで、予定していた3日間のうち最終日だけ急きょ公開されることになったのです。ひょっとしたら柔軟な対応をしてくださるかもしれないと情報を集めていたところ、どうやら公開されそうとの情報をキャッチ。そんなことってあるのですね。普通なら諦めるところですが、何度も行っている塩山なので、時間が読めたのがよかったです。


台風一過の晴天の下、塩山まで行ってきました。急きょ、「楯無の鎧」が見られると知って、パニック状態で、何も手に付かず。危うくお金を財布に入れるのを忘れるところでした。無意味に駅まで小走りして、電車に飛び乗って、やっと落ち着きました。

塩山駅に着いたのが本当にいい時間で、菅田天神社に着いたら、ちょうど午後の公開が始まったところでした。滅多に公開せず、今日だけ公開、しかも、午前・午後2時間ずつという。
しかし、それが武田家の家宝「楯無の鎧」となれば、その扱いも納得です。
なんと言っても、出陣するときなど大事な時には「御旗楯無も御照覧あれ!」と信玄公が誓っていた、その「楯無」なんです。
「御旗」の方は30年近く前、子どもの頃に観ていて、ずっと気になってたんですよね。で、「楯無」がまだ現存していて、それが国宝指定されていると知ってから20年近く、ずっとずっとこの日が来るのを夢見てました。
その間、2度ほど観られるチャンスもあったのに、それを逃し、以前は予約制で拝観できたのもできなくなり・・・。それが今日、台風で二転三転したものの、ようやく見ることができました。しかも、誰もいなくて独占状態でした。なんという幸せ。

拝観した感想としては、思っていたより小さかったですが、古式ゆかしい鎧でした。当世具足なんかよりずっとカッコいいです。兜に鍬形が無いのが気になりました。平安時代後期に作られ、源氏八領にも数えられる由緒正しい楯無の鎧ですが、武田家滅亡のときに土中に埋められたり、江戸時代に盗まれたりと苦難を乗り越えてきたんですよね。長い歴史が垣間見えた気がして感動しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?