なんで勉強するの?と聞かれたら
誰しも一度は思ったことがありますよね。
「なんで勉強するんだろう?」
教員時代、めちゃくちゃ聞かれました。
「彼氏いるの?」の次に多い質問だったかもしれません。
なんで勉強するの?にどう答えるか
もし聞かれたら、なんて答えますか?
私は…
答えません。
子どもに聞かれたら、
「なんでだろうね。なんでだと思う?」って聞き返しちゃいます。
なぜなら、そう聞いてくる多くの子が、
「勉強しないでいい理由を探してる」だけだから。
「なんで勉強するの?」って聞いてくる子には、共通点があります。
何かに行き詰まっている。
たとえば、勉強。
なんでこんなに勉強しないといけないんだ。
つらい。めんどうだ。
勉強しなくても生きていける。
だから、真っ向から「こういう理由で勉強するんだよ」と答えたとしても、びっくりするぐらい響かないんです。(悲しい…)
「こういう理由があるんじゃない?」と答えると、「そんなことないでしょ」とか「結局役に立たないんでしょ」と反論することに必死になってしまう。勉強しない自分を正当化させようって気持ちが出てきているんですよね。
単純な疑問というよりは、ネガティブな意味を含んだ反抗心。
それが「なんで勉強するの?」の本心なのかなと思っています。
でも、小さいころって、勉強する意味なんて考えていなかったことないですか?
漢字が書けるようになったり、足し算ができるようになったり、新しく何かを知ることが楽しくて、なんで?って思いはなかったと思うんですよね。
でも、難易度が上がっていって、自分の理解が追いつかなくなるときがある。
そのときに、「なんで勉強するの?」が出てくるような気がします。
でも、そう思うのって悪いことじゃないと思うんです。
それでもなんとか勉強に向き合おうとしているから。
端的に「勉強なんてやめた!」って放置せず、ギリギリのところで持ちこたえているような気がするから。
「なんで?」と立ち止まって、そこでネガティブではない理由を探せたら、その先に進んでいけるのではないかなと思います。
だから、「なんで勉強するの?」に私は答えません。
そのかわり、一緒に考えます。
なんでだろうね。あなたにとって勉強が必要な意味って何だろうね。
もしかして何か、気がかりなこととかあったりする?
勉強がわからないとか。
進路が決まらないとか。
なんかやる気でないとか。
勉強でなくても、ぼんやりした悩みがあったりします。
明確に「これで悩んでてさぁ!」って子はあまりいない印象。
よくわからないけど、不安。
そして、その不安ってすぐに解決できるものでもなくて。
解決できるものならしてあげたいですけどね。
でも、すぐに答えを見つけなくてもいいんじゃないかな。
やっていけば見えてくることがあるかもしれないし、今出した答えが本当に正解なのかはやってみないとわからないじゃない?
最終的に答えを見つけるのは自分なんだから、その疑問とうまく長く付き合っていけばいいんじゃないかな。
気がかりなことがあったら、とことん付き合うからさ。また話そうよ。
で、しばらく時間が経った後、
「そういえば、勉強する意味、見つかった?」って聞いてみると、
「わからないけど、まぁ、そういうものかなって。」って答えが返ってくることも。
仕方ないなぁ、勉強してやるかぁ。
そのくらいのモチベーションでいいんじゃないですかね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?