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Kokugo_Note 高2 現代文B・国語表現 #53

夏目漱石『こころ』の続き

 定期考査で出題した論述問題で、子どもたちの解答としてよく考えられたものをまとめてみた。問いに対してどのような推論を働かせるのか、どのような根拠をもとにそこに辿り着くのかを自問自答するというのが、この課題の目的だ。

 どのような推論の仕方をすれば良いのか。そのようなテクニックを、文章を読むときに「?」を作りながら解きほぐしていく力を、「読解力」と呼ぶ。その「?」にあたるものを言語化してみると、例えば、こうだ。
 「通例ならこうするはずなのに、なぜそうなのだろう?」/「その言葉の意味は、本来はどういう意味なのだろう?」/「文中の獄の対義語を当てはめてみるとしたら、具体的にどのようなものになるのだろう?」/「もし、◯◯したらどうなるのだろう?(What if ?)」などの疑問文を、逐一、照らし合わせてみるのだ。

  さて、その設問とは、次の3点のうち、各自に選択させて回答するというものである。

 ① 「私」はなぜ軽蔑されることをそれほど恐れたのか?
 ② 「K」はなぜ遺書を「抽象的かつ簡潔に」書いたのか?
 ③ 「K」はなぜ「お嬢さん」の名前を遺書に一言も記さなかったのか?

 子どもたちの回答から、ふむふむと首肯してしまうものをピックアップしてみる。


▼ ① 「私」はなぜ軽蔑されることをそれほど恐れたのか?


 ✔️ 「私はがたがたと震え出した」という表現から、自意識過剰で利己心が強く、周囲の目や評価を、人一番気にしているのだと考えた。なぜなら、「K」は自殺してしまった時に、周囲に 軽蔑され、寂しい人生を送ることを、「K」に対する罪悪感より恐れていたからだ。

 ✔️ 「お嬢さん」と夫婦生活をしていくときに、結婚生活を破綻させてしまうのは、「軽蔑」という感情であり、かつて叔父が裏切ったときに「私」が故郷と訣別(けつべつ)したように、「お嬢さん」に見限られることが最も恐ろしかったのだ。

 ✔️ 「自分で自分を認めている私」という表現から、「私」は自己評価が高いと考えた。そのために、「私」は決して軽蔑されるような人間ではないと自分に言い聞かせていたために、ひどく恐れることになったのだろう。

 ✔️ 「私」自身の後悔の表れだと考えた。「K」に対する嘘や本心を伝えなかった罪悪感、制御できなかった利己心がその感情を招いたのだろう。正直に言いたかった気持ちもあり、怖くて言えなかった気持ちもあった。そのいずれも「軽蔑を恐れる」ことに繋がっているのだ。

 ✔️「私の未来の信用に関するとしか思わなかった」という表現から、「お嬢さん」たちに見られると「先生」でいられなくなると思ったのではないか。尊敬を維持することが、「私」が「私」であるために必要なことだったのだろう。


▼ ② 「K」はなぜ遺書を「抽象的かつ簡潔に」書いたのか?

✔️ 「苦しんでいる自分が恥ずかしい」という表現は「知られたくない」という感情が読み取れる。「K」は常に自分がどうなるかを考えて生きている人間だ。精進する理想を果たせず苦しむ自分を知られたくないために「抽象的」で「簡潔」な遺書を書いたのだ。

✔️ 「K」の自殺の原因は道を究められなかった自分への罰ではないか。また、自分の遺書がどのように読まれるか解らないので、敢えて抽象的に表現したのだろう。

✔️ 「K」は今まで他を顧みず、精進してきたために、今さら「私」を悪く言うことはできず、また「私」に余計な詮索(せんさく)をされることも好まなかったから、このような遺書になった。

✔️ 「薄志弱行」という表現から「K」は「私」を非難して同情してもらおうという意思はなかったのではないか。なぜなら、「K」は長年の生き方の通りに、最後にはその第一信条を取り戻して、死を選び、遺書に残したからである。


▼ ③ 「K」はなぜ「お嬢さん」の名前を遺書に一言も記さなかったのか?

✔️ 「K」が自殺した理由は恋に破れたためではなく、意志薄弱なためであることを示すために「お嬢さん」には一切触れず、最後まで「私」を守ってあげたかったから。

✔️ 「K」が鋭い自尊心を持つことから自分の恥を隠そうとしたのだろう。すべてを犠牲にできなかった「K」は自分のことを大いに恥じて、「お嬢さん」のことを考えたくなかったに違いない。

✔️ 「すぐKがわざと回避したのだと気付きました」という表現にあるように、「私」が気づくことを前提としていたのだと考えた。なぜなら、「私」がしていることは「私」しか知らないからであり、「K」はかつての「私」と同じように「すべてを知っていた」 人間として死ぬからである。

✔️ 遺書は捨てない限り一生残るもので、「私」が「K」の遺書を手元に置く人物になることを考えると、そこに「お嬢さん」の名前があればずっと気にかけてしまうことになる。「K」が自殺する前に、既に結婚しているために、自分のことを書くのは良くないと思ったのだろう。

✔️ なぜ今まで生きていたのだろう」という表現から、「K」は「私」と「お嬢さん」の恋愛を邪魔したのではないかと悩んだのではないか。なぜなら「K」が自分の生き方を貫いていればふたりの間に入ることはなかったからだ。

 以上が回答の抜粋である。

 日本史Bで、ちょうど明治時代を学んでいたことも相乗して、当時の市井の人々を実感してもらおうと考えて、この作品をこの時期に合わせた。冬季休暇は、姜尚中さんの『漱石のことば』集英社新書、2016年 を一括購入して与え、それをきっかけにして、青空文庫から漱石の作品を読むという課題を設定した。『坊っちゃん』『吾輩は猫である』など明るい物語と、職業作家としてのデビュー作『三四郎』に始まる『それから』『門』の前期三部作、そして、苦悩に満ちた『彼岸過迄』『行人』『こころ』などの後期三部作、ほかにも『硝子戸の中』など、今まで馴染みのない作品にもチャレンジしようという読書体験を期待した。

 ちなみに、読書感想文という形態、自分自身の体験を言語化するきっかけとしての読書は数年前に取りやめた。原稿用紙のマス目を埋めることばかりに意識を向ける生徒が増えたからである。推敲を疎かにして、勢いで書き殴る生徒も多かったからである。

 それよりは「自分の心が大きく揺れた文章の抜粋」と「自分のこころがなぜ動いたのか?を内省する」ことだけを記す断章という形式に変えた。最終的には、自分の癖、どういうことに興味関心を抱き、他の人たちとどのような違った視点を持っているのか、を気づいてもらうのが狙いである。とりあえず、今年はこれでおしまい。お疲れさまでした。読んでもらってありがとうございました!

 ※そのためのフィードバックのまとめはいつも大変だが、致し方ない、、、。


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