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考えるより先に足が動いていた。元英語講師・長田恵理 | 私が学ぶ「私的」な理由

学ばなければではなく、学びたい、知りたいから学ぶ。自身の体験や問題意識に基づいた理由があると、学びはもっと豊かになる。学び直す道を選んださまざまな職業人に、学びのスタイルと「私的」な理由を伺います。

國學院大学人間開発学部の准教授・長田恵理さんは、もともと私設塾や小学校で子供たちに直接、英語を教えていました。それが現在では「英語をいかに教えるか」の理論を追究し、小学校の英語指導者を育成する立場へと身を転じています。

日本語、英語、イタリア語を操る自称「語学マニア」。趣味のK-POP好きが高じて、現在は韓国語を学習中だそう。常に言語に寄り添い、学び続けてきたように見えるそのキャリアはしかし、一直線ではありません。そこに彼女の人生観、学習観が見え隠れします。


夢なんてなくても人生は楽しい

——もともとは英語教室の先生だったと記事で読みました。

あの記事ではそこからスタートしていますけど、もう少し遡ると、大学を卒業して最初に就いた仕事はプログラマーなんです。

——そうなんですか。全く違う仕事ですね。

「プログラミング言語」というように、プログラミングも一つの言語ではある……というのは半ばこじつけで、就職した理由は全然違います。当時は就職氷河期がようやく明けたくらいの時期。まだ男女雇用機会均等法もなく、四大卒の女性が仕事に就くのは簡単ではありませんでした。運よく大手企業に採用されても、事務職はお茶くみからという時代でした。

——その時代にプログラマーになるというのは……

当時はまだ専門学校でも必要数を輩出できておらず、全く畑違いでもこの仕事に就けました。だから、女性でも比較的入りやすい職業でした。

——入りやすかったから入った。

そうなんですよ。いまの若者は小学校時代からキャリア教育をされ、常に「夢を持て」と言われて育つじゃないですか。私はそれに違和感を感じていて。私自身は夢なんてないから、小学校の卒業文集にも、周りの子たちに合わせて「(将来の夢は)歌手」と書きました。その後も「あっちかな、こっちかな」と探りながら手繰り寄せていく人生。「夢なんてなかった。それでも人生楽しいけどな」って思ってます。

大学ではイタリア語を専攻しました。語学は確かに好きだったけれど、それも親の影響です。父が勤めていた会社の近くに大阪外国語大学があり、そこへ進学するのがいいと刷り込まれて。素直な長女だった私は「そういうものかな」と思ったんです。

大学4年生、イタリア語短期留学で滞在中のルームメイトと。(本人提供)

——英語を選ぶ人が多そうですが。

おっしゃる通りで、いまはK-POP好きの人が多いですけど、当時は洋楽全盛。世代的には「QUEEN」とか「KISS」とか。そこから英語に興味を持って英文科に、という人がたくさんいました。

でも、私は大学で英語をやりたいとは思わなかった。かといってイタリア語に特別なこだわりがあったわけでもないんですけど。

——なぜイタリア語だったんですか?

もともとやりたかったのはフランス語でしたが、同じロマンス語系だから似たようなものだろう、と。当時は「イタリア語を勉強してどうするの?」という雰囲気でしたし、私としてもそれで食べていく気はさらさらありませんでした。がその分、気楽でもあったのでしょう。

「もっといいやり方」を自然と探してしまう

——そこからどうして英語講師に?

最初の会社は、結婚して夫のいる栃木に引っ越すことになったため、3年も経たずに辞めました。引っ越した先で別の会社に入りましたが、それも1年もせずに辞めて。子供ができ、26歳で家庭に入りました。家族は皆関西に住んでいたので親の助けもなく、共働きできる環境にありませんでした。

第二子が1歳半くらいの時に、夫の仕事の関係で1年半ほどアメリカに移り住むことになりました。英語にシフトしたのはそれからです。帰国して「もはや英語でしか仕事に就けそうにない」と思ったのでしょう、たまたま某英会話教室の講師募集のチラシを見たことをきっかけに、英語教室を始めることにしました。以来、英語を教え続けて今日に至ります。

——始めた当初からこんなに本格的に学ぶことを見据えていたんですか?

やり始めるとちゃんとしたい気持ちはすごく強いんです。「このままでいいのか」「もっと違う方法もあるのではないか」という調子で興味がどんどん湧いてくる。フランチャイザーの研修だけでは飽き足らず、栃木から東京までセミナーに足しげく通いました。与えられたものだけでなく自分で知識を掴みに行く行動は、この頃からずっとしていました。

——その延長で大学院まで?

構造としては一緒です。英語教室は16年ほど続けました。並行して公民館でも英語指導を始めたところ、その活動を見に来てくれた小学校の先生に「小学校でも英語教育が始まるので、ぜひ教えに来てほしい」と声をかけられたんです。

でも、私はもともとイタリア語専攻であって英語が専門ではない。指導の経験はあるしセミナーで学んだスキルもあるけれど、小学校で教えるとなれば話が別です。たかが免許、されど免許。教科指導だけでなく、児童の指導、生活指導、その他いろいろな側面があります。自分にはそこが欠けている。なんとかしなくてはと思いました。それでまず教員免許を取ろうと考えたんです。

もう一つ、その当時私は40歳過ぎになっており、子供との年齢が開いてきたことで、なんとなく上手くいかないと感じるところがありました。

一方で、当時一緒に働いていた先生の中に、優秀であるにも関わらず、英語だと石のように固まってしまう人がいた。知識としてはあるはずなのに、質問されると緊張して何も答えられないのです。

いずれ英語が小学校の必修科目になることはわかっていました。であれば、私が子供たちに直接教えるよりも、先生方に自分のスキルや経験を伝える方がいいのではないか。そう思ったところから、指導法についてより深く学ぶことを考え始めました。

——教員免許を取ることと英語の指導法について学ぶこと。二つの理由があったんですね。

その両方を満たすのは教育系の大学院。ですがその当時、教員免許なしに入れる教育系の大学院が首都圏にありませんでした。そこで英語を指導することに特化した大学を改めて探したところ、上智大学の英語教授法(TESOL)コースがちょうど新設されることを知りました。

免許こそ取れないものの、指導法などについて学問的にはアプローチできる。運が良ければ大学で勤める道も開けるかもしれない。それで大学院へ行く選択をしたんです。ちなみに教員免許は「小学校教員資格認定試験」という制度を使って取りました。

——その間も小学校の講師の仕事は続けていたんですよね?

そうです。日によっては1、2時間目に小学校で授業をして、新幹線に飛び乗って大学院の3限だけ受けて、とんぼ返りで自宅へ。午後4時半から9時半まで英語教室をする……みたいな生活でした。

最初は修士課程だけのつもりでしたが、つい博士課程まで進んでしまって。その間に教員免許を取得するための勉強も並行していたので、倒れるんじゃないかと思いました。

でも、周りに無理を言って小学校の英語の授業時間を調整していただいたり、免許取得試験に必要な素描を図工の先生に見てもらったり……。いろいろな人の協力があってなんとか両立することができました。

学びのタネは誰にでも

——自分どうこうというより職場のためを思う使命感。だから協力が得られたのかもしれないですね。だから両立することができた。

そこまで偉そうな話ではないですけど。ただ、そもそも勉強は嫌いではないです。基本的に学ぶことが好きなんですよ。

——勉強の何が好きなんですか?

「勉強が好き」という言い方をしましたが、新しいものを作り出す力はないんです。クリエイティビティのかけらもない。一方で、言われたものをしっかり受け止め、それを何かの形にするのは比較的得意なのかなと思っています。

勉強の楽しさとは何か。突き詰めれば「人生が豊かになる」という言葉に尽きるとは思うんです。でも、そのために学んでいるわけではない。やることありきで、結果として豊かになっている、という感じ。私の場合はおそらく、興味が湧くと考えるよりも先に足が動くんです。動いてしまっている。そのせいで度々つまずいたりもしているんですけど。

——興味があると動いてしまう。衝動的とでも言いますか。

英語教室を通じてたくさんの子供を見てきました。私と同じく興味関心の塊の子供もいれば、あまり物事に興味を示さない子もいる。その違いは持って生まれた才能なのだろうか、と時折考えるんです。

確たる答えはありませんが、興味関心のタネのようなものは、誰でも持っているのだろう、といまは思います。

——学ばずにはいられないというスイッチが誰にでもある?

意図的な場合もあれば偶然もあると思うのですが、いろいろなところに足を踏み入れることを繰り返していると、誰しもにきっと「あ、これ面白い!」と心が反応する瞬間があると思うんです。ワクワクしている自分に後から気づく、とでも言いますか。そういうものとうまく出会った時に、その人の世界はフワーっと広がっていくのではないでしょうか。

でも、普通に生きているだけではなかなかその瞬間がやってこない。特に大人になればなるほど似たような人ばかりが集まるから、友達同士で話していても驚く機会が少ないですよね。だから私は学生に向けて、あえて突拍子もないことをぶつぶつ言ってみるんです。「おっ」と思ってもらう機会を作り出すことで、そこからその人たちの興味関心が広がるのではないかと思って。

——あえて波風を立たせている。

これは決して悪口ではなく、むしろ感心するところでもあるのですが、教育系の学部の学生には、一直線に教師になることだけを考えている子が驚くほど多いんです。だから揺さぶられることがあまりないんじゃないかと。

学部としては教員として採用される数が多い方が良いので、あまり揺さぶりすぎると怒られるかもしれないんですけど、もっといろいろな世界を見てごらん、という思いがあります。これまでの経験が全て活きるのが「教員」という仕事だから。そう思って日々、学生を揺さぶっているんです。

大学は実学だけを学ぶ場ではない

——一直線に役に立つことが優先されがちな時代ではあります。

おっしゃるように、日本でも「ほとんどの大学を職業訓練校化すべきだ」という考えがクローズアップされたことがありました。けれども、私はそういう意見には反対です。大学は職業訓練のためだけの場所ではないと思っています。

大学は研究機関でもありますし、さまざまなことをその道の専門家から学べる場所です。学んだことの全てがその後就く職業に直結するわけではないでしょうが、それは問題ではありません。教育系の学部は、どちらかと言えば、職業訓練寄りかもしれませんが、それに特化するのであれば、師範学校でいいはず。私は、大学に教員養成が置かれていることの意味を考えたいです。

教育系の学部だったとしても、在籍する教員の専門は多岐に及びます。そういう大学だからこそできる学びがあるはずだと考えています。

ですから、私はゼミ生にも「一つでいい。大学にいるからこそできるアカデミックな成果物を出して卒業してほしい」と言っています。「教員採用試験のサポートはもちろんするけれど、ゼミの時間にはしないよ」と最初に伝えてあります。それを好む人は来るし、好まない人はうちには来ていないのではないかなと思います。

——そうやって学んだことが、長い目で見て人生に何かをもたらすこともある?

どこかでつながっていきますよね。先ほど「教員という仕事には人生の全てが活きる」と言いましたが、実際はそれは教員に限らない話で。大人の一人として、どこかで何かが使えるのではと思っています。もちろん使えない部分があってもいいんですけれど。

何をするにしても気づきはあります。私自身、長く生きれば生きるほど「おっ」と思うことは増えました。だからこそいまが一番楽しい。「この楽しさをもう20歳若い時に味わえていたらなあ」とは時々思いますけどね。

——「生き残るために学ぶ」という論調が強いですが、そうではなく、「気づいたら学んでいた。それが結果としてどこかの何かに役立っていた」というお話は印象的でした。

理想はそうです。ただ、矛盾するようですが、収入を得るためにリスキリングしなければならない人もいると思います。「大学に通わせるだけで目一杯」という家庭の子供に「留学はいいものだから、行きたいなら行きなさい」とは言えないですよね。

私はいま韓国語のレッスンを楽しみ、韓国にも何度も足を運んでいますが、それができるのは比較的早くに子供が巣立ったことで、金銭的にも時間的にも余裕があるからです。振り返れば大学院へ行けたのもそう。楽しみながら学び続けられる環境にありました。でも皆が皆そうではありませんから。

「夢中でやっていたら結果としてこうなった」というのが私の理想ではあります。でも、誰にとっても、と言いたいわけではありません。学ぶ目的はお金を稼ぐため、より良い生活を得るためであってもいい。そこは人それぞれだと思います。

長田 恵理
所属
 人間開発学部 初等教育学科
研究分野 小学校外国語教育, 応用言語学

執筆:鈴木陸夫/撮影:本永創太/編集:日向コイケ(Huuuu)

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