「民俗学は、暮らしの伝言ゲーム」。岸澤美希さんが語る、いまの暮らしに役立つ民俗学とは
お話を聞いた人:岸澤美希さん
國學院大學文学部日本文学科卒の⺠俗学研究者(日本⺠俗学会所属)。
ウェブ編集者/ライター。論著に「関東地方の屋敷神―ウジガミとイナリ」
(『⺠俗伝承学の視点と方法』新谷尚紀編・吉川弘文館)などがある。
元國學院大學教授・国立歴史民俗博物館名誉教授の新谷尚紀先生に師事。
日本人の主食は、白米ではなかった?
身近な物事を入り口に、民俗学をやさしく紹介する人気ポッドキャスト番組「やさしい民俗学」。番組の中で、岸澤さんは民俗学をこのように説明しています。
「民俗学は、私たちがどう暮らしてきたのかを知る学問です。例えば、日本人はいつからお米を主食にするようになったの? お正月はどうしておめでたいの? このように、普段は疑いもしなかったことでも、民俗学の中にそのヒントを見つけることができます」
例えば、私たちが普段当たり前に食べているお米について。今では、日本人の主食はお米と言われ、“昔ながらの日本の暮らし”と言われて、田んぼが広がった風景を想起する人も多いでしょう。しかし、江戸時代までは、収穫したお米の半分以上も年貢として納める必要があったため、農民の普段の食事は、わずかなお米を麦や粟などでかさ増ししたものでした。裕福な人や都市部の人を除いて、多くの日本人が白いご飯を朝昼晩と食べられるようになったのは、収穫量が増加した1960年前後で、今から、ほんの60年前のこと。そう岸澤さんは語ります。
「こんなふうに、暮らしの当たり前って、わりとすぐに変わるんですね。でも、一般の人の暮らしはあまり記録されてこなかった。私はそんな“普通の人の普通の暮らし”に興味を持って、民俗学を学びたいと思ったんです」
偉人の歴史より、一般人の暮らしが知りたい
岸澤さんは幼い頃から、身の回りのものへの興味が人一倍強かったといいます。目の前にある畑は、どうしてここにあるのか。この植物は、どこからやってきたのか。好奇心と疑問で胸をいっぱいにしながら、世界と触れ合っていました。
「祖父母と同居していたので、子どもの頃から戦争の話を聞いたりもして。それで、人それぞれに“昔”があるし、その“昔”によって、今の私を取り囲むものができているんだろう。ぼんやりと、そんなふうに考えていました」
自ずと歴史に興味を持ち、小学校低学年から日本史の漫画や偉人の伝記を読み始めた岸澤さん。ところが、いざ学校で歴史の授業が始まると、違和感があったといいます。
「歴史の授業って、政治の話が中心ですよね。たまに文化史が出てきても、貴族のたしなみについてだったり。でも私が知りたかったのは、一般の人の暮らしぶり。これじゃない感がすごくて(笑)、もどかしい思いをしていました」
進路を左右する決定的な出会いがあったのは、高校3年生の頃。現代文の教科書に載っていた柳田國男※1の『遠野物語※2』でした。
「『遠野物語』は、妖怪やカッパなどの伝承が描かれているので、ある種のメルヘンのように紹介されることが多いように感じています。でも柳田が伝えたかったのは、まず、文献に残っている平地民の歴史とは別に、口伝えに伝承されてきた山の民の歴史があること。そして、文献資料だけでなく、暮らしの中にある民俗伝承を資料として歴史を描き出せるのではないか、という可能性です。高校生の当時は、そこまで理解できてはいませんでしたが、この民俗学はきっと大切な学問だと感じました」
昔を知って、これからの社会を考える
大学で民俗学を学びたいと思い、進路を決めるために図書館で関連本を読み漁った岸澤さん。中でも論理的でわかりやすい本を多く書かれていたのが、新谷尚紀先生でした(岸澤さんの在学時は國學院大學の学部・院で教鞭を執っていた)。柳田國男や折口信夫※3の方法論を実践していることも興味深く、國學院大學の門を叩くことに。そして、新谷先生に卒論指導を受けました。
「大学では尊敬する先生のもとで学べましたが、在学中はまだ、民俗学の方法も目的も意義も、自分の言葉で説明できるほどは理解できていませんでした。自分なりに理解を深めていけたと感じたのは、大学卒業後に学び続けた期間です。何事も基礎をしっかりさせてから前進するのが確実だと思い、まず、日本の民俗学を築いた柳田と折口のことを理解しようとしました。学部の民俗学史(民俗学の研究史の授業)の教科書を何度も読み返し、その中で紹介されている参考文献から原典を確認するといった地味な学びを卒業後5年間ぐらい続けて、ようやく柳田が民俗学を始めた理由や方法論、学問の目的が理解できてきました」
彼女はいま、民俗学を学ぶ意味を、こう考えていると言います。
「これからの社会を考えるためには、まず、これまでの暮らしをきちんと知る必要があります。しかし、文献に残されたものは、日本人の暮らしのごく一部です。日本列島という東西南北に長い土地にさまざまな人々が暮らし、その多くは文献にも残ってきませんでした」
例えば明治時代には新政府のもと、日本は急速に近代国家として整備されていきました。それは当時の内憂外患の状況にあっての対応でしたが、その流れに対して、もっと普通の人々の暮らしが顧みられてもいいはずだと指摘したのが柳田でした。西欧の仕組みを持ってきて当てはめるのではなく、そもそも私たちはこれまでどのように暮らしてきたのかを確認し、より良い仕組みを考えた方が自然ではないかと提案したわけです。
「そのために柳田は、文献に残っていない歴史をどう実証していくか、現在までの道筋をどう知るか、と試行錯誤しました。そうして作り上げたのが民俗学(柳田の言葉では「民間伝承の学」)です。昔を知るのは、現在と未来に活かすためなんです。
私はこの柳田の志に共感していますし、子どもの頃から抱いていた一般の人の暮らしへの興味を、民俗学を通して何か社会に役立てられたらいいと思っています」
学び直し期間を経て、彼女は民俗学を世の中に伝えることへと意識を向けていきます。
暮らしの伝承と変遷を知るために
「柳田は学問が社会を良くしていくと信じていました。特に、民俗学は一般の人の暮らしを対象としているのだから、日本人みんなに伝えていくべきだと述べています。なので柳田は、一般の人も関われるように『民間伝承の会』を主催したのです」
岸澤さんも気軽に民俗学に触れられるコンテンツを作ろうと、自身の活動を始めました。文章を読むよりも気軽に楽しめるポッドキャスト。豊島区の「まち中つながる展覧会」というアートイベントでの、民俗学の展示。2年前から毎月1度、藤香想というカフェで民俗学トークイベントをしてもいます。
「民俗学は、民俗資料を列島規模で収集・比較する方法で、暮らしの中で変わってきた部分(変遷)と、その中でも変わりにくい部分(伝承)とを求めます。そのため、分析のためにたくさんの民俗資料が必要となります。だから、研究者だけではなく、市井の人々に協力・情報共有してもらうことで研究をより前進させられると思っています。どんな形であれば、もっとたくさんの人に興味を持ってもらえるか、今も試行錯誤しています」
現在、さまざまな社会問題が指摘されています。例えば、 母親が孤立した状態で育児をする状態を指す “孤育て”や孤独死など、地域とのつながりを持ちにくい社会になってきています。そんな現代社会に浮上するさまざまな問題も、人の暮らしに密着しているという点で民俗学にヒントがあるかもしれません。
「暮らしの中にある伝承と変遷を求めるのが民俗学なのだと、私は考えています。すべてのことには“昔”があるので、変化はあったとしても、一切新しいものが急に点として現れるわけではありません。文献に残らなくても、伝言ゲームのように脈々と伝えられてきたことから、今ある事象は存在している。
そう捉えると、民俗学はこれからの社会を作っていくために役に立つ学問なのではないでしょうか。研究で得た内容を社会に還元したり、民俗学の見地を提示したり。そんなふうに、学びを実社会に役立てていければいいなと思っています」
ポッドキャスト番組「やさしい民俗学」
執筆:峰典子/撮影:加藤友美子 /編集:佐藤渉