ブルーハーツと坂口安吾と(好きな歌詞の話)
卒論があと18000字の所まで来たのでいちど放り出して、好きな音楽の話をする。
人によって音楽の聴き方は千差万別だ。例えば80年代をリアタイして洋楽ばかり聴いてきた母は、いつしか邦楽でも歌詞が頭に入らなくなったそうだ。英語が分からないから、脳がどうでも良い情報だと判断したのではないか、という。ある種の人体の進化かもしれない。
僕は音楽と接する時、歌詞と共感・感動できるかを結構重視する。勿論、比較的というレベルの話で、メロディが好きな曲も山ほどある。
カッコよく言うとすれば「パンチライン主義」とでも名付けられるだろうか。HIPHOPの世界に「食らう」という表現があるけれど、言い得て妙だと思う。言葉に「食らう」感覚。お察しの通り、僕は名言集を好むタイプの人間である。
或いは単に「カラオケ的感性」とも言えるかもしれない。実際、好きな歌詞は覚えるし、自分でも歌いたいという感情がある。
人生で最初に衝撃を受けた歌詞を思い返してみると、THE BLUE HEARTSの『人にやさしく』だと思う。
今更紹介するまでもない、誰しも1度は聴いたことのあるサビの一節。
THE BLUE HEARTS『人にやさしく』
作詞 甲本ヒロト
僕はいつでも 歌を歌うときは
マイクロフォンの中からガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!
…すげぇ。このシンプルなフレーズについて語れば千一夜も瞬く間に過ぎるというものだ。
古来、言いたい事をついつい飾り立ててしまうのが人情だ。「月が綺麗ですね」のお国柄、凝った例えツッコミがウケるのも道理。誰しも言葉の組み合わせ方に己の色を出してウケたいハネたいバズりたい、の今日この頃である。
今ブーメランが飛んで行った。
しかし『人にやさしく』は違う。ガンバレ!と言いたい時にガンバレ!と言う。清々しいの一言に尽きる。今なお愛される名曲たる所以だ。
僕の尊敬する作家・坂口安吾は著作『日本文化私観』でこのように述べている。
美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。
『堕落論』を説いた"無頼派"坂口安吾が刑務所と工場と駆逐艦に見出した「必要」の美しさは、ロックスター・THE BLUE HEARTSにも通じるのだ。カッコイイ。
もう1つ、僕が食らった歌詞を紹介したい。
ハヌマーン『リボルバー』作詞:山田亮一
死んでしまうという事はとても恐ろしい
明日を真っ当に生きることの次に恐ろしい
嘘がなくて、説得力がある。真理を射抜いているという感じがする。聴いた100人中100人が何となく共感する、という訳ではないかもしれない。しかしそのうちの数人か数十人か、「確かにそうだよな」と深く頷いてしまうだろう。事実、この曲のこの部分を引用・紹介しているブログやツイートは沢山ある。
というような趣旨の話を先日、後輩に話した。サイゼリヤで。僕が熱弁しても聴いてくれる男なのだ。彼は(僕の注文した)チョリソーをパリパリと齧りながら言った。
「正直あんまりピンとこないっすね。声も楽器の一部だと思ってるんで。意味とかそんなに考えないっス。」
かっけぇー。
参考
坂口安吾『日本文化私観』昭和17年3月、『現代文学』
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