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大学教育再生を目指して

 私が大学教員になったのは1991年なので、もう30年以上、大学教育に関与してきたことになります。専門は会計学で、最初の5年間は母校の公立大学に勤務しましたが、その後は国立大学に転じ、ずっと経営系の部局に所属してきました。その間、大学の管理職も何度も務め、まだ現役ではありますが、現役として活動できる時間もそれほど残されているわけではないので、行動できる力があるうちに、現在の大学の課題を整理して、できることなら少しでも解決し、あるべき大学の姿に近づけるように、努力したいと思っています。
 現在の日本の大学をめぐる問題はあまりにも多すぎてまとめきれないほどですが、最も重大な問題は「大学教育とは何か」という最も根本的な問題を置き去りにしたまま、数えきれないほどの改革提案がなされて、現場が翻弄され、ますます教育そして研究の現場が実質を忘れて形骸化してしまっていることにあると思います。大学こそ、時代の流れに抗して、物事の本質を見極めて、進むべき指針を示さなければならないのに、逆に時代の流れに乗らなければ淘汰されると脅されて、走り切る体力も与えられていないのに、走らされて疲弊しきっているのが現状と言えるでしょう。
 その原因は、様々考えられますが、最も重大な責任は大学人にあると思います。現場の大学人こそが、このような問題に抗することのできる立場にありながら、目の前の評価や予算のために、自分で自分をごまかして、「大学改革」という名の「衰退の道」へ、自らの職場を直接あるいは間接に導いてしまっているのです。
 これは、大学を預かる執行部に言えることはもちろんですが、一般の教員も同罪です。大学が求めるから、文部科学省が求めるからという理由だけで、声も上げずに教育効果のない政策に従うのは、そのような誤った政策を進めることと、同罪であることを認識しなければなりません。
 もちろん、一教員にできることは限られています。たとえば、シラバスの作成がいかに無意味で時間を浪費しているか分かっていても、それを拒否することは最悪の場合職を失うことにもなりかねません。ただ、そのような状況においても、常に現状の問題点を考え、できる範囲から正していく努力なくして、大学教育を再生することはできないでしょう。
 現状は、細切れかつ中長期ビジョンを欠いた教育政策のせいで、大学教育の現場は「形式化」がどんどん進んでいます。たとえば、大学教育ではシラバスの作成が半ば義務化され、15回の授業計画はもちろん、到達目標やその評価、ひいては予習・復習の指示まで示さないけない状況が生じています。
 もちろん、そのような細かい指示が効果的な授業もあるでしょう。しかし、そのようなスタイルの合うのは、教育内容がほぼ完全に決まっていて、時代が変化しても変わらないものだけです。そんな授業であれば、何も、生身の人間が生身の人間相手に講義する必要はなく、オンデマンド教材で十分です。
 しかし、大学教育に最も求められているのは、不確実な時代を生き抜く力を若者に身につけさせることだとすれば、そのための教育は、上記のような形式化したスタイルではとても教えられないどころか、逆効果になってしまいます。


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