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全体主義に対抗する(2)自壊させるしかない

 全体主義を突き崩すには武力をもってすることはできません。独裁政権が武力によって倒されることが、歴史上は頻繁にありますが、それは独裁政権が独裁政権に倒されただけで、全体主義は続いていくのです。第二次世界大戦は、一般には、全体主義国家と民主主義国家の戦いと理解されていますが、民主主義国家と称される国家も、その本質はフーコーの言う規律的権力(あるいはその発展形態の生権力)に支配された全体主義を特徴としています。現在のアメリカやフランスを見ればよく分かるでしょう。つまり、戦争もしくは武力紛争は、どのような名前が付されていたとしても、全体主義対全体主義の戦いなのです。

 それでは全体主義が敗れるときはどのような場合でしょうか。それは全体主義の一方的な瓦解として現れます。たとえば、20世紀末の社会主義国の崩壊は、内部からの自壊として生じました。一定の年齢層以上の方には記憶に残っているでしょうが、東欧諸国で大多数の市民が大統領府等に押し寄せ、社会主義国家は瞬く間に崩壊したのでした。ベルリンの壁もしかりです。ほとんどの場合、軍隊は動けませんでした。それは、市民の間の全体主義に対する不満が閾値を超えたことによって生じた現象でした。

 したがって、全体主義との闘いは、全体主義国家が持っている手段である議会や武力などと同じような手段を使って闘うのではなく、全く違う方法で闘わなければなりません。なぜなら、議会や武力は、全体主義システムの中の装置ですので、同じ装置を使って全体主義に対抗するということは、その対抗勢力も全体主義にならざるを得ず、その戦いによって全体主義から全体主義への変化はできたとしても、全体主義そのものの克服はできないからです。

 では、全体主義との闘いの焦点はどこにあるのでしょうか。それは、前回も指摘したように、自分自身や自分の周りの人たちです。その基本は、自分自身の思考や行動が全体主義に加担してないか、慎重に反省するところから始まります。ほとんどの人は、自分は民主的な人間で、全体主義になんて絶対加担していないと思っているでしょうが、実際にそうでしょうか。

 最近の日本でよく聞かれる言葉に「同調圧力」があります。その反対の「空気を読まない(KY)」も同じことです。特に、若い世代では頻繁に使われているようで気になっています。「同調圧力」とはどういう意味でしょうか?「同調」とは何に対する同調なのでしょうか?「空気を読まない」の「空気」とは何でしょうか?

 「同調」も「空気」という言葉が端的に示していることは、その具体的な対象はありません。より正確に言えば、対象は「空洞」であって、何でもそこに入れられるのです。つまり、「同調圧力」にしても、「空気」にしても、対象は何でもいいわけで、その場にいる多数に合わせよう(あるいは合わせない)という姿勢を示しているだけです。

 これが全体主義が生まれる根源です。中身は何でもよいので、何かに合わせようと思っている人間はすぐに多数に合わせしまいます。そのことによって、この多数が全体となるので、必然的に全体主義が成立します。したがって、全体主義に対抗するためには、その中身に対する一人一人の思考と判断が必要になります。これなくして全体主義に対抗することはできません。多くの人が同調をやめた時、ただそれだけで全体主義は自壊しますし、それしか全体主義を倒す方法はありません。

 

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