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ライターが考える「読みやすい文章」の書き方(基礎編)

ありがたいことに、文章が読みやすいと言われることがそこそこあります。
「文章が読みやすい/分かりやすい」はライター冥利に尽きる褒め言葉ですし、おそらく私の武器なのだろうな、と思っています。

ただしこの技術は目立ちにくく、強みにするにはたいへん地味なものです。

特に、作家やタレント、インフルエンサー志向のある人は文章のクセが強くなる傾向があります。そのため、クセがなく読みやすい文章が評価されることは、あまりありません。そこに価値を見出していただき、お仕事のお声がけをいただけている状況は本当にありがたいです。

とはいえ、それほど難しいことはしていませんし、秘匿するような高度なノウハウもありません。なのでnote始動を機に、クセのない文章で、平易な言葉で、文脈を安易に捻じ曲げずに、過不足なく情報を伝えるために自分が意識していることを整理してみました。

書き手が認識しておくべき2つの事実

当たり前といえば当たり前なのですが、自分の手を離れた文章が狙い通りに届くことってそんなにありません。それを覚悟した上で、少しでも有効範囲を広げるためにしておくべき認識が2つあります。

文章読解は「負荷」である

まず絶対に忘れてはいけないのが、文章を読む行為は読み手にとって基本的に負荷である、という事実です。
冗長で飛躍の多い、推敲不足の文章は読み手にとって読解負荷の高い……つまりは「ダルい」文章です。読み手が思考のコストを割いてくれている状態に甘えて、ダルい文章を垂れ流してはいけません。

負荷は刺激でもあるので、文章を読む行為は娯楽にもなります。しかし、ライターが「コスパの悪い文字列を娯楽として読む人向けの文章」しか書けないのは、仕事する人間として恥ずかしいことです。ありていに言えば、ヘタクソ。

仕事で書く文章なら、少なくとも読み手の読解負荷を意識する必要はあるでしょう。さらに言えば「どのくらいのスピードで読めるか、読んだ後にどのくらい疲れるか」の管理も目指したいところです。

字が読める人間の2割は文章が読めない

前章とはまた別次元の問題があります。「機能的非識字」の壁です。

機能的非識字とは、雑に言うと「文字単体では読めるが、文章としては理解できない状態」のことです。
機能的非識字の人は文脈を理解できません。そのため、文章の中で知っている単語を拾い読みして脳内で組み立て直し、原文に全く書かれていない方向性で理解してしまうこともあります。

代表的なのはSNSのクソリパーでしょう。Twitter(現X)でバズったことのある人なら何となく分かるかと思います。
あの絶望的に地頭が悪く攻撃的な人たちほど目立たないだけで、機能的非識字者……社会生活に必要な文章読解能力を持たない人は、識字者全体の16%程度はいるそうです(出展割愛、詳しくはググってください)。

仕事として文章を書くのであれば「2割の人は文脈を読み取れない」くらいの認識で、誤読のしようがない文章を心がけるべきです。

ちなみに機能的非識字っぽい人は、書き手側でもまあまあ見かけます。

文章を読みやすくする方法

ここまで、基本的な認識の話をしました。
読む行為は根本的に負荷であり、読んで理解する能力に乏しいひともいる。そんな世界に、文章を通して情報を過不足なく、誤解なく届けるのがライターの仕事なのです。

……という前提に基づき、ここからは私が、文章を読みやすくする上で気を付けていることを挙げていきます。

主語と述語をつなげる

小学校の授業で習ったものをナメてはいけません。一文一文で主語と述語が本当につながっているか、
「○○は、♢♢だ」
が破綻していないかは必ずチェックします。つながりが甘いところや混乱しやすいところを整理すると、文章の安心感がぐっと増します。

娯楽性の高いコンテンツの場合は文脈のために型を崩すこともありますが(コレ楽しいんだわ)、ただガタガタに崩れた文章は読み手にとって不快なだけなので、用法容量はかなり意識しています。

体言止めを使わない

体言止めとは、名詞や代名詞で文を終わらせる記法のことです。
余韻があってインパクトも強く、なんとなくカッコイイ感じがするので手癖で入れたくなりますが、余韻があるぶん解釈の余地も増えるため、誤読を誘う上に書き手の自己陶酔を感じさせてしまいます。はっきりとした効果を狙う場合を除き、使わないほうがいいです。

読みやすく、分かりやすい文章。その目標において体言止めは完全にノイズ。読み手に寄り添い再考を。

↑何かウザいでしょう? センスないラッパーみたい。

消せる言葉はトル

一番わかりやすい例は「することができる」です。これが特に意味もなく入ると、文章が一気に素人臭くなります。
また、「つまり」「要するに」「逆に」から始まる文章も、大抵の場合において不要です。書き手の自己陶酔ワードに近く、これらを多用する人の話は例外なく分かりにくいです。

例文:
普段より15分早い起床をするだけで、余裕を持った行動を取ることができるようになるということです。逆に言えば、余裕を持った行動を取るためには、普段より15分早い起床をするということなのです。

……自分で書いてもイライラしてきましたね、すっげえバカっぽい。

ひらける漢字はひらく

基本的にひらいても差し支えない漢字はひらく(ひらがなにする)ほうが読解のスピードが上がり、読み手のストレスを下げられます。無意味に漢字を多用しても、読解コストが上がってウザいだけです。

仕事においては納品先のルールに従うことになりますが、基本的に漢字は多用しないほうがいいでしょう。

例文:
最終的には顧客の設定した規約に従う事に成るが、其れが無い場合は漢字の使用は極力抑えるべきと云える。

私が勝手に「大作家センセイ構文」と呼んでいるものですが、たいした内容もないものを仰々しく飾っても中身のなさがバレるだけです。平易に書きましょう。

道具を使う

「文章は紙とペンがあれば書ける」それはその通りですが、プリン用のスプーンで石油掘るみたいな無駄をわざわざする必要はありません。大人なら、仕事の文章の作成効率や質を上げるツールは使うべきです。

たとえば有名なのは京極夏彦氏です。彼はInDesignで原稿を執筆しているそうです。なるほどあの読みやすさはエディトリアルデザインの賜物か、と思いはします。しますけど……マジか……みたいな……。

すみませんさすがにInDesignは変態設備だと思います。でも外部ツールは使ったほうがいいです。文章校正ツールや辞書、記者ハンドブックなんかも有効です。一定の基準に従い、表記ゆれや漢字のひらき、送り仮名などに統一感をもたせましょう。

「読みやすい文章」に才能はいらない

読みやすい文章は、配慮と技術で作れます。才能とか必要ありません。

読みやすく、誤解や過不足なく情報を伝達する文章は、厳格に正しい日本語とも、ノリやインパクト優先のキャッチーな文章とも、クリエイティブな作家テキストとも違います。大きな武器にはならないけれど、少なくともデメリットにもならない、そんな「持ってて損はない技術」です。

ここまでかなり平易かつファジーに書いてきました。さすがにタイトルを裏切れないと思って読みやすくなるよう調整したつもりです。

ここまでおよそ3千字、しっかり読んでも6分くらいかな?
もう少し整理できそうですが趣味の文章は際限なくいじってしまうので、ひとまずこれで公開しておきます。


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