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BLが社会の価値観を牽引する?

BL愛好家によるBLの来し方と行く末論。
森鴎外の娘・森茉莉を始祖として、商業作品を軸にBLコンテンツの歴史をたどる著書だ。
著書自身がオープンのビアンで、BLで描かれる同性愛のレプリゼンテーションに少なからず救われてきたのが、BL研究の動機になっているのだとか。

BLとホモフォビアとミソジニー

時代とともに移り変わる価値観がBLを変え、BLが社会の価値観を変えて行く…なんの価値観かというと、ホモフォビアとミソジニーだ。

ざっくり言えば
ホモフォビアとは、同性愛を嫌悪すること。
ミソジニーとは、女性性を嫌悪すること。

BLの黎明期…「俺はホモじゃない、でもこいつを愛してる」という「究極のカップル神話」を成立させるために同性愛が「利用」されていた時代、BLはそのものがホモフォビックな存在だった。
ホモフォビアの描く同性愛にはミソジニーも滲む。それを克服した先に、「同性愛の現実」を描く作品…あるいは「同性愛への抑圧がない、あるべき現実の姿」を描く作品が生まれたことを「進化系」と表現している。

自コラム「当方腐女子、BLが好きです」のために読み始めたものだったのだが、「いにしえのBL、男色とはチョトチガウ」で言いたかったことと主旨は同じで、そうそれ(ドヤァ)!と言語化が遅かった悔しい!が同居する複雑な心境になった。

腐女子はレズビアンセックスをしている?

今回読んでいて、一番視界が拓けたのはこのくだり、
「腐女子の交流はバーチャルレズビアンセックスである」
の部分だ。
私はヘテロ(異性愛者)の腐女子で、腐女子仲間と萌え話をしているときにレズビアンセックスをしている自覚はない。しかし、筆者の定義によれば、これは文化的にはセックスと同等のものになるのだそうだ。
理屈は分かる、なるほどこれは性交渉に類するものかという納得感はあるが、それを同性の友人とおこなっているという実感はない。
理解はできそうだが、納得には至っていない。「セックス」という言葉そのものが、異性愛者と同性愛者が使うにあたってなにか違うニュアンスを持つものなのかもしれない。

私だって、なにも男性同性愛者が誰しもアナルセックスをしているとは思っていないし、女性同性愛者がみんな双頭ペニバンを持っているとも思っていない。しかし、実際のところどうなのかは正直想像もできていなかったのだ。

この「性的な交流」という行為への考察の深さは、同性愛者ならではだと思う。なんだかんだ言っても、異性愛者のセックスは実物的で即物的で…なんというか簡単なのだ。しかし同性愛者はそうはいかない。しぜん、「性交渉に類する行為」について考えることが増えるのだろう。

一番良かったのは表紙、一番面白かったのは応用編

表紙の色っぽい2人、中村明日美子さんの美しいカバーイラストが目を惹く(かつ、書店で買うのはちょっと恥ずかしい)のだけれど、更に素晴らしいのがカバー裏だ。カバーを外すと、歳を経た2人の姿が全く同じ構図で出てくる。
20年か30年か…互いを想いながら大切に年月を重ねたのを感じさせる、信頼と甘えと慈しみに溢れる2人の表情がたまらない。この絵に初めて気が付いたときに「ンゴォッデュッフッッwww」とかいう気色悪いサウンドが聞こえたのだが、何かと思ったらキモオタであるところの私が鼻から発した興奮の声であった。

また、応用編「映画における男性同性愛」が本書で一番面白い部分だったように思う。未見でも楽しめる作品解説に、著者の怒りとか喜びとかがとてもストレートに出ていて読みやすい。(BL作品解説のほうは、ときどき「これは作品既読の人にしかわからないな」と思うくらいには複雑で、たまについて行けなかったんです…)

映画で描かれるホモフォビアやミソジニー、あるいはヘテロノーマティビティについては私も思うところあり、どんな人気作であっても「なんか嫌だなあ」と感じたりもしていたのだが(ポスト宮崎駿って言われてるあの人とかね…そもそもの宮崎駿もだけど…)、その違和感を男性同性愛者を使った映画についてザクザクと切っていく口上は痛快の一言だ。この部分はもっと読みたいと思った。
ハリウッド映画における「マジカル・ニグロ」問題と同じだ。日本でもここの陳腐さについてはもっと論じられていいのにと思う(マジカルニグロの詳細はググってね☆)。

このへんの嫌だなあ感を人に話しては「考えすぎ」「捻くれている」と言われ続けていたのだが、「その違和感は正当だよ」と背中を押してもらえた気がしたのだ。
本は読んでみるものだ。どこかに同じようなことを考えている人がいるのだと、私も私の思うように感じていいのだと思わせてくれる。

さて、そんな事を言っている私自身に、ホモフォビアやミソジニーがないかというと自信がない。コラムを書いているうちに、自分の中のヘテロノーマティヴに…そして、それが自分の首を絞めていたことにも気付いてしまった。
私は頭が悪いので、この自己矛盾をまだすっきりと腹落ちさせられていない。既存の言葉に頼らず、自分の言葉を決めるにはもう少し思考が必要らしい。

番宣になるが、コラム当方腐女子、BLが好きです。読みやすく、面白く、嘘はなくをモットーに誠心誠意こめて書いてます。ご一読いただければ幸いです。


投稿日 2018.01.08
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です

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