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優しさに量はあるのか?

結婚してもうすぐ3年。付き合って5年。色々なことがあった。
酔っ払った旦那の態度や行動でいやな思いしたことは数えきれないし、家事に関してぶつかったことも数えきれない。苦しくて、苦しくて、物理的な距離をとるために、あえて実家に帰省したこともある。そうやって今まで、あの手この手でどうにかいいバランスを取れるよう対処してきた。
最近は衝突しない方法も学んできたし、諦めた部分も増えてきたことで、表面上は前よりもうまくいってるような気がしている。

でも….優しくなれなくなった。

旦那さんはもともと胃腸が弱い。小康状態と悪化を交互に繰り返している。完全に治るまで辛い物は食べない、アルコールは控えるなど対策は色々あるはずなのに…治りきるまで我慢しきることがいつもできない。そのため完全に治ることなく、ちょっとよくなって、ハメ外してまた痛くなってって感じを繰り返しているように、私からは見える。
そんな旦那さんは、土曜からかなりの悪化状態になった。もともと下がり気味だったところに、金曜のハシゴして、終電後の帰宅になるほどの飲み方をしたのが止めを刺したんだと思う。
その結果、週末いつも行ってるお店に飲みに行くことができなかった。
今までだったら…イベントがなくなって悲しい部分はあっても、旦那さんの体調を考えれば仕方ないと切り替えて、心配し、身体にいいことをって思っていた。でも今回は、楽しみにしていたイベントがなくなって、せっかくの週末なのにって気持ちが私の中で全く消えなかった。もともと調子よくなかったのに、金曜に飲み過ぎたせいでしょ?って思いしか出てこなかった。
ものすごく自己嫌悪している。でも、どうやったら前みたいに自然と優しさが出てくるのかも正直わからない。

他にも、自分がコーヒーを淹れるついでに旦那さんの分も淹れることなんて、なんてことないことだったのに、めんどくさいなって思いがよぎってしまう自分がいたり…旦那さんのやるよ、やっておくよは、頭の中で必ず否定してしまう。絶対やらないって。そう思っておかないと、結局何も事態が変わってないのを見たときにすごく嫌な気分になってしまう。これは今までの経験の色々から、私なりにうまくやってくための自衛本能みたいなものだけど。でも、そうやって頭で否定していることがいいことだとは思っていない。何もされてなかったときの嫌な気持ちよりはマシでも、もやっとして気持ちが生まれるのは変わらない。

なぜこうなってしまったのだろう?
月に1回は家庭改善に向けてKPTで話し合いをしたり、何か問題があればその都度話し合ってきた。でも、だんだんと話し合っても、出てくる方向性は「私の考え方を変える」という形ばかりになっていった(そういう風に私が感じるようになったのかもしれない)。なんでいつも私ばっかり合わせていかないといけないのって気持ちが湧き上がるようになって、相手を信じられない部分が出てくるようになってしまった。

これは…どうやったら解決していけるんだろうか。
優しさを出せる量には限界でもあるの…。

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