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<『2分で心が楽になる小説』 夢を目的とするか手段とするか、あなたはどっち?>

やりたいことやればいいじゃん。やり方は後から考えようよ

おはようございます。

みなさんはやりたいことやっていますか?そもそも、やりたいことってなんでしょうか。やりたくないことはすぐ思いつくのに。やりたいことってやっていいのでしょうか。今日は自分と周りのものの見方のお話です。

夢で溺れた少年は、岸に上がってこれない。
夢と踊った人間は、そこからもう帰ってこれない。
そうなってしまったら、もう這い上がれない。地の底まで叩き落とされて、底辺を舐めて、後悔をする。


僕が小説家になりたかった理由は憧れからだった。言葉で人を感動させたい、笑顔にさせたい、幸せを届けたい。そんな仕事に憧れを持っていた。

憧れが強かったからこそ、僕の小説が雑誌に顔写真付きで特集されている記事を何度も何度も妄想した。


この物語のここの部分は、僕が学生だった頃に…とか言ってスカした顔で取材を受けている僕。

ついでに文学賞ももらって、テレビでインタビューされたりして。「意外とクールな印象ですが、内容はとても情熱的ですね」、なんてかわいい女性アナウンサーにインタビューされたりして、「いやあ、そんなことないですよ」、ってスカしてみたり。

そんなどうしようもないことを考えるのが楽しかった。それが、夢の落とし穴だった。

夢は人に一瞬の快楽を与え、希望を持たせ、現実を突きつける。楽しかった今が、理想と現実のギャップのせいで絶望に変わる。

味のしなくなったガムよりもタチが悪い。最初は甘い香りが口の中に広がるのに、後のほうになって噛めば噛むほど苦くて、苦しくなって、悲しくなる。

「生きる目的は夢を叶えるためだ。」「夢を叶えるために頑張れ。」「夢は手段だ。」「踊らされてはいけない。」色んなメッセージが画面の向こう側で飛び交う中、僕は夢を、目的にも手段にもしてあげられなかった。

どちらかに属すと心が落ち着かない。落ち着かない心の居場所を探しまわって、目的と手段から逃げまわった。

そして見つけた。
どっちにも属さない。どっちにも偏らない。ちょうど真ん中あたりで世界を眺めて、意見を言っていたい。それに耳を傾けてくれる人を大事にしたい。
そう思った。

それはひどく自分勝手で、ひどく未熟な考えであることはわかる。周囲から見たらただの言い訳。偏ることを恐れて逃げ回る愚か者でしかない。弱くて、ひとりよがりで、ないものねだり。

だからこそ、僕は真ん中にいることにこだわる。真ん中にいるという偏りを持つ。

そう決めたんだ。言い訳を認め、自分勝手で未熟な僕を愛したいんだ。

今日は以上でーす。明日もお楽しみに!

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