見出し画像

不安定さへの耐性

さて、長い休暇が始まった。

いや、休暇という感じではなく、「何もすることがない、しなくても良い時間」だろうか。「いつまで」というのも特になく、ずっと続くかもしれないし、でもたぶんどこかで終わる。

始まってみると、最初はなんだかそわそわしていた。旧職場でのお別れのいろいろなことが胸の内に何度かよぎる。でも、それも段々と数少なくなっていくだろう。

「今日は何をしよう?」と考えながら、事前に考えていたことをいくつか試してみたり。でも、「しようと思っていたことをする」だなんて、今までだってできていたことだし、ちょっと違うような気もしたり。とはいえ特に思うつくこともなかったので、クッキーを焼いたり、ご飯を作ったり、羊毛フェルトをしたり、片付けをしたり。

週末が過ぎ、今週に入ってから何となく少しだけしっくりとくるようになった。いつもだったら働いている時間、知り合いたちは在宅かどうかは別にして、基本的には働いている。そんな時間に何もすることがない自分がいる。不安定な状態。

このコロナ禍。コロナへの罹患への不安などは仕事を辞めてしまった今、個人的にはあまりないのだけれど、一方で「社会が変わる」ことに対する一抹の不安がよぎることはある。数か月の空白期間の後次の仕事を探していく予定だったので、今の「社会がほとんど動いていない状態」というのは、不都合では無いはずだ。だけれども、アフターコロナのことを想像すると、「早めに動いていたほうがいいのか」などという考えが、たまにやってきたりする。

でも実は、違うのだ。きっとコロナの件が起きていなくても、別の理由かなにかで同じよう思うような気がする。そう、これは不安定さを解消したいという欲求。よって今やるべきは修行である。晴れの日は晴れの日なりに、雨の日は雨の日なりに。

修行メニューを考え、実践をしながら、一方で羊毛フェルトの新作も作ってみた。

アマビエ様
(最初は、アマエビと思い込んでおりました。。。)

頑張った。


ひとつ、このコロナ禍の中で気になってしまう言葉があって、それは「ウィルスに負けない」「戦いに勝つ」という言葉。このあたり、またまとめてみたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?