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アフターコロナを覗き見て

いよいよ町が動き出したなあ、と思う。

私が住んでいる町は、まだ緊急事態宣言は解除されていないのだけれど、昨日から自粛していたお店の多くが開店するのを目にした。

「これがアフターコロナの世界か?」

などと思いながら観察する。ビフォアコロナとの違いは、(私が見た限りの)全店舗の入り口で手の消毒が必須だったこと。また、出入り口に社員さんが立っていて消毒に誘導しているお店も多かった。また「入口」と「出口」を分け、屋内へ入る人数制限をしているお店もあった。額で熱を測るやつも初めて経験をした(ちょっと怖かった。。銃で打たれるみたいな感じ)

少し興奮をしすぎてしまい、3店舗くらいのお店を回って疲れてしまった。多くの「商品」を目にしたが、興奮を覚える一歩、その後押し寄せる疲れ。それがなんだ、という感じではあるのだけれど、どちらが心地良いのだろう、と考えてしまった。

自宅の通信環境が悪く、1時間以上動画関係が見れない状態であったが、プロバイダを変え、最近ようやく人並みの環境となった。最初は、「これで海外ドラマが見放題だ」などと喜んでいたのだけれど、1話見るだけで終わってしまい、次の閲覧へと触手が動かない。それほど興味があるわけでもない、ということに気づいた感じでもある。

そうこうすると、「ほとんど娯楽がない生活」というのが色味を帯びて思い出されてくる。あれはとても貴重な時間だ。そして私が好むもの(まあ、娯楽も好むのだけれど)。意外と自粛生活は私には合っていて、必要なもの、そうでないものを体験して確認させてくる機会だったのかもしれない。

環境には慣れていき、次第に適応していくだろうから、今の私が娯楽のない生活に心地良さを感じていても、きっと今後、また以前のような娯楽とともに生きる生活になっていくような気はしている。ただ、今回の経験は、どういう形になるかは分からないけれど、何らかの色味を帯びて、そこに変化を与えるのではないかな、などとも考えている。

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