見出し画像

なんか変だなをそのままにしない

日々の暮らしの中で、出来事に対しても人同士でも、『あれ、なんか変な感じがするな』と爽やかではない空気というか、もやもやとした雰囲気が漂うことがある。

それを解決するのは時間ももちろんだが、直接原因に向き合うことしかないんじゃないかなと最近よく思う。

えいっと実行してみたり、おれらなんか最近こうじゃない?と直接話すこと。
それはめちゃくちゃ面倒くさいし、ぶつかるかもしれないけど、確実に進むしスッキリする。

大変だけど特に人同士。直接ひざを突き合わせて話すこと。話せない時には電話でも手紙でも。届かなければ身のまわりのできることからやっていこう。

話はちょっと変わって観光支援策について。

宿泊者のためになる、目の前のお金を逃がしたくない。
そう思って僕の宿でもはじめた今年のどうみん割。それをやってみてなんか変だなと思ったことがある。


最近よく来る問い合わせ。

「どうみん割はやっていますか?やっていないなら考えます」

それは安く泊まれますか?安いなら泊まるけど、そうでなければあなたの宿にはその価値がないと言われているようなもの。
普通にショックだ。


公、つまり社会からの観光支援策。

もちろん生活を維持したり、やりたいことを実現するためにはお金がいるけど、支援策としてやってくれているのに観光業は精神的に疲れていっている気がする。


支援してもらっているのではなく消費されていないだろうか。


どの視点からも健やかな状況をつくるなんて無理とも思うけど、なんか変だなと思う。

そして別の面でもなんか変だ。
今年のどうみん割がコロナ1年目のものと違うのが“ワクチン接種者だけがサービスを受けられる”ということ。

ワクチン打ちたい人は打てばいい、打ちたくない人は打たなければいい。

その前提のはずなのに、公共サービスとしては差別を助長しているのではないか。集団の中では少数派は虐げられてしまう傾向もある。

これからきっとワクチン接種を必要とするもっと大きな観光支援策(Goto?)がはじまる。

観光だけではなく、交通や飲食、近隣の消費を後押しするだろう。
ただ一方で、会社を維持するために、生活を保つために、大事なものを削っている気もするのも確か。難しいなあ。


うちの宿は、思想とは関係なくそれぞれの人が手に取れるようなサービスを提供したい。

それでこぼしてしまう目の前のことがあるかもしれない、来年どうなってるかわからない。
不安でしょうがないけれど、最大公約数の幸せを提供できる宿でありたいから、Gotoへの参画を辞退することにしました。

お手頃だから行こうと思っていた方、外にでるきっかけになっていた方、ごめんなさい。

観光は相変わらず不要不急と言わたりもする。

家族の時間を大事にするためだったり、どうしても気分を変えたかったり、違う文化に触れたり、美味しいものを食べにだったり、そんなことができるのも観光。それがなければやっぱりつらい。
人によってそれぞれ、人にとっては必要で急務だ。


自分のラインを引いて、できることで構えていこうと改めて。
やることが山積みになったタスクの中で、なんか変だなと思ってえいっと書きました。


さてさて、一番大事な情報を。
これから大雪山は、層雲峡は紅葉がきれいです。
綺麗だな、楽しいな、気持ちいいな、美味しいな、そんな単純な気持ちを求めてお越しいただけると嬉しいです。
よっしゃやるぞー!


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?