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★幸せそうに「見える」ことに力を注ぐと本当の幸せを見失う

こんにちは、JIN佐伯仁志です。

◆本当に手に入れたいもの


ここんとこ「うまくいく方法」的な記事を連続して書きましたので、

せっかくならまとめつつ、もう少し先のことまで書くことにしました。

 この3つを書いてきて、結局僕らが願っていることは、最終的には「安心で安全で楽しく」なのかな、と。それを手に入れるために、「うまくいく」を手に入れようとしているのかな、と思うわけです。

 「うまくいく」と「安心・安全・楽しい」が手に入る。これ言い換えれば、お金や病気の心配もなく、嫌われたり色々言われることもなく、好きなことを好きな時に好きなだけ楽しくやれる、そんな状態、なのかなと。つまり三大欲求プラス「楽しい」「承認される」。これが余裕だと、幸せ、なのかな、と。必死になって掴んだものだとすると、失わないための努力がやめられず幸せでないのかなと。

◆幸せになる手段としてお金が必要?!

 これを叶えるためには、「お金」が多いと叶え「易く」なるし、実際叶うのだと思う。でも、お金が山ほどあって、安全で、リッチなセレブで、なんの心配をすることもなく生きられる=幸せ、かというと、きっとそんなことでもなくて

 お金もないし、安いものしか食えないし遊べないし、何が起きるかわからない危ない状況でも、たくさんの人に恵まれ囲まれ助けられて、お金のない中でいろんな工夫や助け合いやらで「幸せに・楽しく」生きている人もいる。

 いろんなことに恵まれているのに、不平不満ばかりだったり、お金がいっぱいあるのに、友達や家族もいなくて敵ばかりで何も信用できず、全然幸せじゃない人もいる。。。。。そしてお金が無くなる恐怖から抜け出せなかったり・・・。


◆幸せそうに見えることが幸せ

 「うまくいく」って、自分の「思い通り」っていうことでもあるし、自分の「理想」通りっていうことでもあって、そしてその「理想」というのは「どこから仕入れてきた理想」であったりもする。「どこかから仕入れてきた理想」というのは「これであれば幸せそうに見える」と言い換えることができるのかもしれない。世間でいうところの幸せ=理想、である、と。

 だから、自分が幸せかどうかではなく、幸せそうに「見える」こと、つまり、どう転んでも「ひとめ」が基準で物事を決めてしまう。「成功」なんてまさにそのものです。しあわせそうね、と思われる・いわれることが幸せで。でも、そういわれても幸せではないことも多いわけです。

 よく聞く話で、外国のある国で、漁師が小さな船で魚を釣ってた。そこにある資本家がやってきて「もっと大きな船に投資して、たくさん魚を取ればもっと大儲けできるぞ」と。漁師が「そんなに大儲けしてどうするんだい」と訊くと、資本家は「たくさんお金があれば、毎日ゆったりと豊かに好きなことや趣味を楽しみながら生きていけるじゃないか」と。漁師は言いました「それ、いまもうやっとる」

 お金があるに越したことはないし、いい環境にあることに越したとこはないし、仕事ややっていることがうまくいくことに何の異論もないし、ぼくなんかは目立ちたがり屋のほうなので、それも欲しい。でも、「それがなくても幸せ」が、やっぱり一番欲しいよなー、と思う。

◆今の暮らし

 いまは「やるべき仕事」がないので、思いつくままに旅に出たり、行きたいところに行ったり温泉に行ったり、歌を作ったり歌ったり、誰かのライヴを見たり、こうやって書きたいことを書いてる。旅と言葉と音楽三昧の日々が送れています。これはとても幸せだし、しかも、本当に会いたい人としか会わない。望んでも手に入らないとも思っていた生活です。なのにこんなネガティヴな気持ちになることもあったりするのが面白い(笑)


 でも、旅をしていいところに泊まりたいし、美味しいものを食べたいと思えばお金はかかるし、お家で快適に過ごしたり、いい音楽をやりたいと思えばお金もかかるので、やっぱりお金は必要だ。

 それに、いまは、SNSへの投稿も昔ほどは全然やってないので「映える」必要もないし、ひとから「幸せそうに思われる」必要もない。無職だし(笑) 幸せそうに「見せる」必要もない。だから、最低限の宿と食実設備と環境があればいいのだけど、どうせならいい温泉でおいしいものが食べたかったり、快適で便利なくらいもなかなか手放せない。一度体験すると失うのはなかなか執着してしまうものだなぁと思う。

 おなじく、一度体験してしまった心屋バブルは、なかなかに僕の心の中を引きずる。とはいえ、思ってたよりあっさり捨てることはできたのだけれど、上に書いたような生活を「ずっと続けたいな」と思えばお金も必要になるわけだ。

 書いてるうちに何が言いたいのかよくわからなくなってきたので何度も上にスクロールしてタイトルを確認する。そうだ、「幸せそうに見える」ことにパワーを使っていないか、ということだ。そして、そこにパワーを使った結果、こう(日本の幸せ度ランキング)なってしまう。


◆不幸そうに見られたくない

 「幸せそうに見える」ことにパワーを使うということは「不幸そうに見えない」「みじめでない」ことも大事だ、ということ。だから、見栄を張ったり隠したり「そうでないようにする」こと、つまり弱みを見せないことにも忙しくなる。僕なんかで言えば「落ちぶれたなぁ」と思われないようにする、みたいなことかも(笑)

 幸せそうに「見える」ことに心血を注ぐと、自分の「幸せ」、自分「だけ」の幸せを見失う。いや、ほんとに「人目」ってやっかいだ。「こう見られたい」「こう見られたくない」という「人目基準」が「人目をした人生の決定」がどれだけ僕らの本来の幸せをゆがめてしまうのだろう。

 人目なんて気にしないで、誰に何と言われようとも、気にしないで生きていけるって、何より一番強いよね。なりふり構わず好きなことやってる、とか、やめちゃう、とか、お金も気にせずやってる、とか。ほんとに自分らしく自分の心にしたがって生きられる。

 おかげさまで、近年、僕はここがわかってきたので、人から何と言われようと好きなことをできるようにはなってきたけど、やはり服を着るにも車を買うにも何をするにも、やっぱり「人目」「TPO」は気にするから、暑くても裸で電車には乗らない(笑) でも、この「度合い」だけでもあげていけるようになるといいなと思う。この度合いをどこまで上げていけるか。もちろん、人目を気にしながらでもそれりに幸せに生きられるに越したことはない。そんな冒険しなくても、ね。


◆人目を気にせずにやる方法

で、その「人目を気にせず」というのは、どうすればいいのか、ちゅう話ですね。


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 僕もいまはシンガーソングライターとして活動を始めましたが、頭の中は結局、心の話でいっぱい。出さないと気持ち悪いし、歌では表現しきれない話もあるし、歌一本でいくと言いましたが、やっぱり心のことも大好きで語りたいし吐き出したいので書きます。

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