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★「頑張ってるんだから」と「感謝」という謎の理由で、許されたり制限されたりする


こにちは、Jin佐伯仁志です。
冒頭の記事を書きながら思ったことがあったので追伸です。

前回は「悪いよな」という思いが自分の本当の思いを閉じ込めてしまうという話でした。

この間ふと感じたことが「あのひとも頑張ってるんだから、そんなこと言っちゃだめ」という、「頑張ってる免罪符」があるなぁ、と思うのです。

だから文句言っちゃいけない。あのひとも、あの会社も、あの政治家も、頑張ってるんだから、許してあげないと、とか。そうやって自分の言葉を飲み込んでしまう。頑張っている人に文句や悪口を言う自分はひどい奴になってしまうんじゃないか、と。

で、頑張っててうまくいかないなら文句も飲み込むし、許せるけど、頑張ってなくてうまく行ってなかったひとには遠慮なく文句を言うとか。

だからやっぱり「ひどい人だと思われそう」っていう理由での自分の本音や行動を制限してしまう、飲み込んでしまう癖があるんだなぁと。


さらに「あの人はいい人だから」「あの人には今までいろいろしてもらってるから」という「感謝」が、「だから、そんなこと言っちゃいけない、思っちゃいけない」という制限を自分に掛ける。

世話になった、助けてもらった、そして「育ててもらった」、味方になってくれた、だから、離れられない、やりたいことがやれない、申し訳ない・・・というまさかの「感謝ブレーキ」(笑)


あ、今回の話はオチないです、たぶん。

だから「自由に生きる」ということは、そういう負い目や感謝さえも置いていく必要があるということですね。「ひとでなし」になる覚悟がいる

いや、そりゃもちろん、そういうの抱えつつも好きなことして生きていく方法はあるんでしょうけれど、結局、「全方向」に向けて、不義理や冷たいと言われる行動をせずに自由に生きていくってなかなかの神業で、さらに自分は全方向に気を使ってやってても、まさかの斜め後ろの斜め上から「あいつは恩知らずだ」という矢が飛んでくることもきっとあると思うのです。

嫌われないように自由に生きる、って、ほんと難しい。逆に言えば、嫌われる覚悟さえすれば、自由に生きられる、ということですね。

というオチをつけてみました。


ここからはちょいと追伸です。


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