瞑想の前に
(読了目安14分)
前回の投稿では、「無とはどういうことか」について書きました。
「無」については、精神世界に興味がある人が話題にすることが多く、人によっては、無に近づこうと「瞑想」をすることもあるようです。
今回は、前回からの流れで「瞑想」について書いてみます。
長めの投稿ですが、興味がある人はぜひご一読ください。
※坐禅も含めた広い意味での瞑想です
要点は、
「瞑想に人生をかけないでください」
「瞑想をする前に、やることをやっていますか?」
この2点です。
◎瞑想の目的
もしみなさんが瞑想をするなら、その目的はなんでしょうか。
お坊さんのように、日々の訓練や習慣としてやる人もいますが、一般の人であれば、おそらく、心身の不調という「悩み」や、仕事や人間関係などの「ストレス」などから解放されるためだと思います。
幸せの絶頂期にあえて瞑想を始める人はほとんどいませんから、やはり瞑想は悩みやストレスから解放されるための、「痛み止め」としての役割を持っていると言えます。
ということで、瞑想は「心の安定・気分転換・新世界への興味」という目的もあると思いますが、現代人の多くが瞑想をする主な目的は、「ストレス解消」という前提で話を進めます。
◎人生の目的は瞑想ですか?
瞑想をすることで、脳が「変性意識状態」と呼ばれる状態になることができ、脳波のコントロールがうまくいけば、幸福感や爽快感を味わえます。
これが「ストレス解消」になるわけです。
しかし、「私はとてつもない領域に達した・神の領域だ」などと勘違いしてしまうと、傲慢になったり、瞑想に人生をかけてしまうことになりかねません。
また、瞑想の本来の目的は、ストレス解消ではなく、「ストレスを溜めない生き方・愛をそそげる生き方」に近づくことです。
ですから、心が乱れるたびに瞑想をする生活では、「頭にきた!お酒よ!」とストレス発散のためにお酒を飲むのと大差なく、そんな状況ではもちろん愛されることはありません。
瞑想がお酒より身体にいいことは確かだと思いますが、「頭にきた!瞑想よ!」では、「ただのヘンな人」です。
仮に、あなたが結婚して子どもができたとき、あなたが瞑想に夢中になっていたら何が起こるでしょうか。
「頭にきた、瞑想よ!1時間は子どもを泣かせないでよ!」なんて夫に言っていたら、結婚生活や子育てなんかできませんよね。
むしろ瞑想ができないことがストレスになってしまい、
「ストレスの原因が瞑想できないこと」
というとんでもない状況になります。
それでも瞑想を強行するなら、こんどは夫と子どもがストレスを抱えてしまいますから、「家庭崩壊の原因が瞑想」という悲劇もありえるわけです。
あなたのストレスを解消するために家族がストレスを抱えてしまったら、ストレスが誰かに移動しただけで、いつも家族の誰かがストレスを抱えた状態が続いてしまいます。
さらに言えば、「瞑想の時間がとれないストレス」を解消するために、瞑想より手っ取り早く変性意識状態を味わえる「お酒」に手を出してしまうこともありえます。
お酒が愛ではないことは常に書いている通りです。
瞑想に依存してしまうと長く愛されることはなく、特に、妊娠期間を含む産後数年間という大切な時期に、夫婦や子供との関係にひずみが出る可能性があります。
マスターの知人でも、愛をそそぐ方法がわからない人や、愛をそそげていない人が、「道」を求めて瞑想をすることがあります。
「愛されないから瞑想に救いを求めている」、つまり、「痛み止め」として瞑想を選んでいるということです。
しかし痛み止めとして瞑想をしているということは、「私はストレスを溜める人間です」と宣伝しているようなものですから、大人の思考の他人は、その人から離れていきます。
愛から遠ざかるほど寂しくなり、痛み止めとしての瞑想に夢中になり、瞑想をするための人生になっていきます。
そうなると悪循環から抜けられなくなります。
以前、「あなたが本当に欲しいもの(前編はこちら)」の投稿で書いたように、人が本当に欲しいものは、「瞑想」ではなく「パートナー (人とのつながり)」です。
人間の歴史は、出産と子育てを繰り返し、数百万年続いています。
この現実を見れば、まずなにをするべきか、自ずと答えは出てきます。
親から命のバトンを受けたあなたは、現在命のバトンの最先端にいます。
バトンを絶やすのか、次の世代に渡すのか、それはあなたが決めていいんです。
そこに瞑想が必要かどうか、考えてみてください。
瞑想は、お酒やタバコと比べて悪いことではありませんが、薬物か否かというだけで、「痛み止め」という意味では同じです。
繰り返しますが、瞑想をしないと生きていけない人生では、「生理・妊娠・出産・子育て」などが瞑想の妨げになり、瞑想ができないことによるストレスを感じることになりかねません。
瞑想できないことによるストレスが、次のストレスの引き金にもなります。
ストレスが溜まるから痛み止めが必要になるわけです。
ストレスを溜めなければ痛み止めは無用です。
※男性は「生理・妊娠・出産・子育て」がありませんから、体調が安定している期間が長く、瞑想に専念することができます。
古来「男性」の修行として瞑想があったのはそのためだと思われます。
◎方法が確立されていない
瞑想のプロと言えるお坊さんたちは日々瞑想を研究していますが、いまだに「その方法は違う・それでは危険・私には合わない」などの議論があり、「誰もが安定して理想の領域に到達できる方法」は確立されていません。
言ってみれば、麻酔や鎮痛剤の歴史と同じです。
初期の麻酔や鎮痛剤は、不安定で危険もはらんでいましたが、多くのデータと多くの人命を土台にし、現代は使用法がほぼ確立されています。
一方瞑想法は、まだその使用法が確立されていないため、瞑想を毎日やっているお坊さんでさえ、はっきりとしたことが言えないのが現実です。
麻酔や鎮痛剤は、その人の体重や体調によってどんなものをどんな量でどのように摂取すればどう効くか研究されてきました。
過去、研究者自身が自分の身体を使ったのはもちろん、善意の協力者、痛みから逃れたい人、さらには犯罪人たちで人体実験が繰り返されました。
生物学、植物学、医学、化学の専門家たちが協力し、現代は、有効成分が化学合成されるまでになり、どんな人に対してもほぼ計算通りの効果を出せるようになりました。
そのおかげで歯の治療や外科手術が、苦痛なくできるようになったわけです。
しかし、瞑想によって変性意識状態を作り出す技術に関しては、いまだ発展途上で、人類が麻酔や鎮痛剤として「薬草」を煎じては、「どうかな?効いた感じがする?」「これをこんなふうに飲んだらどう?」「あれ?これは失敗かも・・・」と試行錯誤していた時代と同じレベルです。
また、たとえばみなさんは、芸術家や音楽家の作品に感動しても、彼らと同じ気持ちになって同じ作品を作ることなどできないとわかっています。
あまりにもかけ離れた才能は、マネできないからです。
「瞑想法」も同じように考えることができます。
「瞑想法」を提案したブッダは、一般人とは違う特殊な知能の持ち主でした。
瞑想による解脱や悟りの領域は、ブッダだからできる「芸術」だったかもしれません。
後世の人々は、ブッダの方法を参考にしてブッダと同じ領域に到達しようとしていますが、2500年経った現在でも試行錯誤中です。
たとえば、お酒を飲む人の中に、以下のようなことがわかっている人がいるとします。
「私はこの銘柄のお酒を、室温23℃湿度40%の部屋で、こんな体調のときに、こんな音楽を聞いて、こんな精神状態で、この食品と一緒に、この量を飲んで、さらに1時間後にこの量を飲むと、最高に調子がいい気分(良好な変性意識状態)が15分間続く」
しかし他人が、その人の言葉通りにマネをしても、同じ気分になれないということは、みなさんも充分にわかると思います。
ブッダは、2500年前、自分が思う「最高の状態」を、「解脱」や「悟り」と表現して、到達のためのヒントを細かく示してくれたかもしれません。
しかし彼が天才的な芸術家だとしたら、一般人がマネをするのは不可能と言えます。
それから、こんなことも想像してみてください。
みなさんは、2500年後の外国人に、このnoteの内容が的確に伝わると思いますか?
日本で説かれているブッダの瞑想法は、2500年前のインド地域で使われていた言葉の訳文です。
たとえば1000年前に書かれた日本の文学を現代の日本の国語学者が訳しても、訳す人が10人いれば10通りの解釈があります。
同じ単語でも昔と今では意味が違うこともあります。
さらに、現代教育を受けた人たちのLINEのやり取りでさえ、解釈の違いから誤解が生まれます。
最近までコピー機などなく、2500年前の本は全て手書きによる写しです。
人間が数千万文字を書き写して、誤字脱字がないはずはありません。
考え事や居眠りをしながら写本をすれば、一行飛ばす、一ページ飛ばすという間違いも出てくるかもしれません。
つまり、瞑想法について書かれた教典の訳文がまともにできるはずもなく、実際は「正確に伝わらない」と言った方が本質です。
このnoteの内容を2500年後の外国人が読んでも、細かいニュアンスが伝わらないのと同じことです。
ブッダは「カラマ・スッタ」という教典の中で、マスターなりに要約すると、以下のようなことを言っています。
「なんでもかんでも信じるな」
「昔からの言い伝えを信じるな」
「私の言うことも信じるな」
「愛だと思うことを自分で考えて実践しなさい」
自分の死後、「瞑想」にまつわる解釈の混乱など、彼は当然のように予想していたのかもしれません。
(↑カラマ・スッタの訳文もマスターの要約も間違えている可能性もありますし、みなさんの解釈もそれぞれ違うかもしれません)
現代の「瞑想法」は、不安定な土台の上に成り立っているわけです。
ですから、現在瞑想に夢中になっている人は、瞑想に頼る気持ちを一度棚に上げ、まず人間の本来の目的である「愛をそそぐこと」を思い出してください。
「これは愛なの?」と自分で考え、愛だと思うことをやってください。
◎やることをやっていますか? A子さんの場合
一人暮らしのOL、A子さんは、美人でスリムで人当たりもよく、第一印象は、明らかに「美人オーラ」が出ている女性でした。
しかしなぜか人間関係が希薄で、彼氏はできても、数回の肉体関係を持つと離れていってしまいます。
女性の仲間たちから仕事以外で誘われることもなく、表面的な付き合いになることがほとんどでした。
A子さんは、気がつくと一人で行動していることが多かったんです。
A子さんはその理由がわからず、「私が美人だから嫉妬してるのかしら?」と感じることさえありました。
男性とは長く続かず、職場でも女性の友達ができず、常に寂しさや不安を感じていたA子さんは、心の安定を求めて瞑想教室に通い始めます。
まじめなA子さんは自宅でも瞑想を続け、やがてある程度の効果を感じられるまでになりました。
「私は満たされている」
「宇宙と一体化した」
「無心になれた」
「瞑想やってよかった」
人間関係の「希薄さ」は依然として感じていたものの、こう信じることで、A子さんは心の安定を保っていました。
瞑想に対する依存度は日に日に増し、瞑想にかける時間が一日2時間、ときには3時間ということもありました。
ある日A子さんは、付き合い始めた彼氏が、自分とキスをしようとしないことに気づきました。
気のせいかと思い様子を見ていましたが、やはりキスをしたがらないのは間違いないようでした。
一緒にいても常に距離をおき、顔と顔を近づけて話すこともありません。
肉体関係も淡白で精神的充実はほとんどなく、いつも感じる人間関係の希薄さを、より強く認識していました。
A子さんの彼氏は、実は鼻が敏感で、A子さんの口臭が気になっていたんです。
実際A子さんの口臭はかなり強く、風向きによっては、2メートル離れていてもわかるほどでした。
A子さんと向き合って話すことは、彼氏にとっては苦痛だったんです。
ではなぜ彼氏はA子さんと付き合っていたのか・・・それはもちろんA子さんの身体が目的だからです。
外見が美しかったため、口臭さえ我慢すればセックスは楽しめたんです。
彼はできるだけキスを避け、顔と顔が離れるようにしていました。
もちろん女性の仲間たちも、A子さんの口臭に気づいていて、A子さんとは距離をおくようにしていました。
A子さんとは、込み入った話を避けるようにしていたわけです。
ですからあいさつ程度の会話しかなく、食事にも誘われなかったんです。
A子さんが美人だから嫉妬していたわけではなく、口臭がイヤだったから近づかない、これが本当の理由でした。
では、A子さんが感じている人間関係の希薄さを解消し、ストレスから解放されるために必要なことはなんでしょうか。
以下から選んでください。
1:「さらに瞑想をすること」
2:「口臭をなくすこと」
もちろん口臭をなくすことです。
これでA子さんは、人間関係に関する多くのストレスがなくなります。
このように、瞑想をしなければならなくなる理由は、その前にやるべきことをやっていない場合がほとんどです。
おそらく瞑想をしている女性の大半が、A子さんと同様、なにか忘れていることがあり、それが原因でストレスを抱えています。
◎瞑想の前に
人はストレスを抱えるから瞑想をすることになります。
ストレスの原因は、「人間関係の希薄さ・愛されないこと」にある場合がほとんどですから、愛されない原因をつきとめ、原因を解決すれば瞑想の必要はなくなります。
たとえば愛されない原因が、上に書いたような「口臭」だった場合、瞑想をしても口臭はなくなりません。
他にも、清潔感のない外見やマイナス発言、体臭なども、瞑想では解決できません。
生活音が激しい、挨拶ができないなども同様です。
ですから瞑想の前に、信頼できる人の助言や、客観視を大切にしてください。
自分では気づかない部分に気づき修正していくことができれば、瞑想は無用になり、愛をそそぎあえる新しい人間関係が始まるはずです。
最後にもう一度確認です。
「瞑想に人生をかけないでください」
「瞑想をする前に、やることをやっていますか?」
以上です。
今回も長い投稿を最後までありがとうございました。
※前回の投稿「無とはどういうことか」はこちら
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