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第170回:教育か服従か

社会においてリーダーと呼ばれる人や家庭においての親などは誰かに何か教える、といった経験があると思います。

部下に仕事の仕方を教えたり、子どもに社会的マナーを教えたり、とか。

それらは一般的に教育と言われるものです。

教えられる立場はどう捉えるか?

私も年齢を重ねることにより、「教わる」より「教える」という機会が増えてきました。

ですから、「教え方」とか「伝え方」にばかり気を配り、「教わる立場」や「教わる時の姿勢」を自分で忘れかけています。

なんとなく、「教える」人によっては反発心もあったような気がします。

そこでこんなスキーマを思いだしたので引っ張り出しました!

服従スキーマ

このスキーマを持っている人は、他者から何かを強要されたと感じやすく、その結果、他者に対して過度に服従するという選択をします。

また、このスキーマでは、自分への諦めというよりは、他者からの怒りや報復、見捨てられることを避けるため選択であり、自分の考えや感情には大した意味はなく、特に他人にとっては些細な事であると思っています。

さらに、自分は他者から逃げられないと感じており、他者に対しては過度に従順に振る舞っていきます。

服従の2パターン

服従には2パターンあり、、、

欲求を犠牲にしての服従・・・自分の好み、意思、欲求を犠牲にして他者に服従する

感情を抑制しての服従・・・自分の感情、特に怒りを抑制して他者に服従する。

というもの。

自分の中の「したい」や「感じたこと」を犠牲にしているのです。

その結果どうなるか、、、と言いますと、

怒りや不満はなくなる訳ではなく、溜まっていき、最終的には不適応症状として怒りを表出することになります。

それが、引きこもりや感情爆発などです。

教え方にばかり目を配ってないか?

最終的に教育において大事なのは自分の言った通りになる人を作るのではなく、教えられる方が望むようにできること、という視点が大切です。

例えば、仕事でも教えるという観点は会社のために働くという気持ちが僅かでもあれば、この仕事は会社のためになる、という点をまず説明しますし、お金のために、という気持ちが強ければ、これをやると楽に稼げる、という点をこっそりお伝えします。

教わる方は一体何を望んでいるのか?

新しい教育について考えてみました。

このスキーマを持つ人は一見従順で、教え甲斐がある、と判断されますが、後々大変なことになるかもしれません。

どちらか一つの視点に偏ることなく、きちんと見ていきましょう!



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こころと言葉 礒村 博之
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虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。