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10年前と今年の悲しいニュースと来年に向けて

昨日まで18きっぷを使って旅行へ行っていた。
道中、岐阜に着き、商店街を歩いていたら
「2024年 来年の干支は龍」といった広告を見てゾッとしてしまった。
子供の頃、親父が「来年の干支は龍だから。」と言い、龍が描かれている額縁を買ってきた。
それから、24年も経ってしまったのだ。
ゾッとする。黒いランドセルを背負ってから24年。幼稚園の卒園式でサザンの「TSUNAMI」を聞いてから24年。多摩川沿いのスイミングスクールに通い目が開けられなくてすぐ辞めてから24年。松ぼっくりの木や虫とか捕まえて遊んだ小学校の帰り道から24年。。。怖い。時の速さは残酷だ。
今はもう松ぼっくりの木やスイミングスクールは無くなってしまった。そんなことを思う師走の日。

10年前、大滝詠一さんが亡くなった。
ラジオのニュース速報でそれを知った。
ロンバケとイーチタイムを親父が運転するラジカセでずっと聞いて、高校生になるとウォークマンに曲を入れて、寝れない夜行バスや旅先でずっと曲を繰り返し聞いていたので、ショックが大きかった。好きなアーティストが亡くなったショック。というよりも、自分が日常生活でふつうに聞いていたアーティストの死へのショック。その速報は2013年の大晦日に流れた。
うちの家族はみんな驚きを隠せなかった。
特にラジカセで聞いていた親父。ロンバケどんぴしゃ世代。2014年の元旦は、でかでかと「大滝詠一、死去」と書かれたスポーツ紙をぼけーとしながら読んでいた親父の顔が忘れられない。いつもあんなに怒鳴っていた親父の顔が放心状態だったので。毎年サンソンで山下達郎さんと大滝詠一の新春放談も今後聞けなくなると寂しくなったのも覚えている。
それから数日後、大好きな銀杏BOYZのメンバーが峯田和伸を残して脱退したのをしり、衝撃が走った。
大滝詠一さんの死、銀杏BOYZ、、、2014年2月に20歳、成人を迎えていたので、「20歳になるって事か。」と強く感じたのである。
それから、1年くらい経ち、CDJ1415のサンボマスターのステージで山口さんは「大滝さん死んで欲しくなかった!」「銀杏BOYZ4人でやって欲しかった!」と叫んでいたのを今のように覚えている。山口さんは大滝詠一さんとラジオ番組をやったり、銀杏BOYZとライブをやっていたので、説得力があった。

あれから10年経ち、2023年を振り返ると音楽シーンの訃報ニュースが続いた。不謹慎かもしれないが坂本教授は覚悟していた。が、高橋幸宏さんはすごくショックだった。数日間音楽を聞くと暗くなってしまった。ツネさんもショックだった。ハイスタが好きで遠征に行ったりギター弾いたりしたので、ここだと自分勝手過ぎる事を書いてしまうのでこれまでにしとく。
ボビー・コールドウェルもショックだった。ライブに行くチャンスがあったが、NEETでお金が底をついていて行けなかった。ロビーロバートソンもジェフベックも亡くなってしまった。
そしてKANさん。1月のライブへ行けなかったのが悔やまれる。そしてチバユウスケ。The Birthdayの新譜が出るたびに、喜んで遠回りしながら聞いて帰る習慣をしていたので、もうそれができないと感じる今日この頃。
しかし、今年の追悼ニュースに関しては「来年で30になるから」とは感じていない。
さらにこういう時に「推しは推せる時に推せ」「生きるのに辛くなったらライブハウスに来い」という無責任極まる言葉が回ってきて嫌気がさす。みんな普通に生活するだけで必死で、お金を使いづらい世の中なのに。と感じる。
せめて、日常の中で音楽がずっと聞けるように、普通の生活を過ごしていきたい。変化なんて少しずつつければ良い。評価なんて付かなくたっていい。生き急がせないでくれ。その時が来たら身を流せば良い。来年はそんな一年になる気持ちを持ちながら年を越せればなと思います。

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