トラウマケアの方法論② 続・オンラインEMDRについて (沖縄県 臨床心理士)
前回はEMDRの大まかな紹介をしました。
前回記事はこちらから↓
さて、2回目の今回はEMDRの成り立ちについてみていきたいと思います。
前述のように、EMDRを発見したのは、アメリカの臨床心理学者、フランシーン・シャピロでした。
EMDRの成り立ちについては、彼女の主著に基本的にはまとまっているので、そこから紹介してみましょう。
※本の中身は専門家向けのものなので(特に前者。)一般の方は今から私が紹介するイントロダクションの部分だけでも十分と思いますので、わざわざ購入しなくても大丈夫だとは思います。
どうしても知りたい!という方はご覧になってみてくださいね☺︎
1.EMDR:偶然の発見
彼女の見つけた眼球運動が心理状態にもたらす変化は、偶然、公園の散歩中に発見されたものでした。
発見の経緯を、彼女の主著から引用しましょう。
シャピロ自身、当時医学的な処置のための入院中に、気分の落ち込みを紛らわそうとよく近くの公園をよく散歩していたそうです。
ちなみに、この時はまだ「EMD」と呼ばれ「R」(Reprocessing)は付いていませんでした。
「EMD」は眼球運動のセット間に「テーマと関係のない連想は許容しない」やり方で最初期のEMDRのやり方でした。
この発見の後、シャピロは「この知見が治療的に活用できるものなのか?」を探索していくことになります。
ひきつづき引用してみます。
シャピロはダグに眼球運動を促した。
これがよく知られる、いわばEMDRの始まりにあたるケースです。
2.記憶は変化する?
ダグの報告した変化は、今日、私たちが実践するEMDRの中でも実は非常によくみられる反応の一部です。
思い浮かべている映像自体が、勝手に動いていったり、アクティブに変化していくのです。
それもどういうわけか、なぜか、大体いい方向に動いていきます。
一つの結論を迎えたところで、記憶が収束し、連想は止まります。
思い出そうとしても、結論部分が出てきて意味合いが変わっていたり、記憶に圧倒されなくなります。
それはいろいろ仮説はありますが、
「マイナスな記憶が、脳の中の他のプラスの記憶群の中に統合されていくから」
だと現在は考えられています。
「セピア色になった」という人もいれば、
「もやがかって、思い出しづらくなった」
「映像自体はあるけど、距離をもって眺められるようになった」
「もう終わった過去のことだと感じられる」
などが多いです。
EMDRには、その人にとってまだ終わらない過去の記憶を、ちゃんと「過去にする」作用があるようです。
ちょっとしたよもや話
なぜこうしたことが起きるのかについて、私の中で今納得しているのは、神経科学の発展からの指摘で「ワーキングメモリ(短期記憶)は長期記憶の一部である」という理論です。
この説では「ワーキングメモリとは固定的な長期記憶にアクセスして、瞬間的にこれをアクティブにし、脳に情報を再フローさせる仕組みである」と考えます。
通常の短期記憶は図書館の中にある本の中から、読もうと思った本を机に出してから広げるているイメージです。
ですが、むしろ机のような場所があるのではなく、本棚にある必要な本をその場で広げる状態に近い、と。
そのうち立ち読みしていて本棚の周囲の本に気が取られたりして、なかなか机に戻ってこない人のような振る舞い方が、脳の情報処理の仕方ではないかと。
トラウマの渦中にある人の実感ともけっこう近い感じがします。
記憶の再フロー・および再固定化、という点においては、私はこれを知った時、まるで「電子レンジでチンして記憶を再調理する作業」みたいだな、と思いました。
柔らかい食材の方が、調理しやすいですよね。
今の話は、詳しくは引用元のこちらの著書もご覧になってみてください。
3.脳が出す答えは、我々の想像の斜め上をいく
私自身も、1年余りEMDRを受けたことがあります。自己分析のためです。
それは非常にパワフルで、印象深い出来事でした。
なので上記に書いたことは、一部、私の体感も混じっています。
ですが、おそらく多くの方の体験は似通っているのでは?とも推察します。
いざ私が施術する側に回って、EMDRを行なっていると、文字通りでそれは驚きの連続です。
カウンセリングを行う時に、心理士は事前におよその「見立て(見通し)」を持って「ここら辺が肝かな?」と思って入りますが、(それは完全にその通りになることはないにしても)EMDRによって、脳が出してくる答えは、私たちの思いもよらなかった遙かナナメ上をいくのです。
こうした瞬間に関しては、私は一種、「畏敬の念」を抱きたくすらなります。
脳の行った処理に対して、です。
こんなのトークセラピーだけでは絶対思いつかないだろうな…と思う結論をよくみます。
「そうきたか…なるほど…」と思わず唸ってしまう。
これは一回、受けてみて、としか言いようがありません。
言葉及ばず悔しいですが、そういうことで。
4.戦争被害とEMDR
シャピロがEMDRを発見したのは、ベトナム戦争の終わった後の時代でした。
そのことも意味深いものがあると思います。
ベトナム戦争というのは、それまでの戦争では違い、「人が人に向けて銃を発砲しても恐怖心を抱かないよう」兵士のマインドに向けた訓練が集中的に施されたと聞きます。
その結果、実際の戦場での銃の発砲率は、それ以前が20%前後であったのに比べ、ベトナム戦争では90%を超えたそうです。
しかし、それは多くの兵士の心にトラウマを生み、
その反動で生まれたのが、類を見ない数のPTSD帰還兵であった、という流れです。
人の本能まで訓練することはできなかったのかもしれません。
ダグが帰還兵支援に当たっていたカウンセラーであったように、この後、EMDRは外傷的な記憶による影響を被った人たちへの研究に着手します。
シャピロの研究は、帰還兵問題対策部門(DVA)医療部によって認められ、別途、一部資金援助を受けた調査が行われました。
その結果、1万人中の対象者が選ばれ、治療にあたった約74%の治療者が他の方法に比べ高い治療効果が得られた、と結論し、わずか4%がうまくいかなかった、との報告だったそうです。
これは、ある意味で国がベトナム戦争に関する国内への戦争被害を認め、元兵士への治療を公的に行なったという意味で画期的だったと思います。
(戦後の日本ではこの動きは全くなされなかった)
そのあたりの指摘は、近年の信田さよ子先生の著書でも述べられています。
「家族という小集団は時に国家の論理に巻き込まれやすいから気をつけよ」という論旨です。国家と家族、両者の内部で起こる暴力の構図は、得てして近似系を取りやすい、という考察です。
閑話休題。EMDRに話を戻します。
そしてその後12年の間に、12本の統制された研究がなされ、その効果が実証された、とシャピロは書いている。
現在、国際トラウマティックストレス学会の実践ガイドラインでは、EMDRはPTSDに対する効果的な治療法として明示されています。
またシャピロは、心理療法への卓越した貢献に対して、ウィーン市及び世界心理療法評議会より国際シグムント・フロイト賞を受賞。
アメリカ心理学会(APA)からは、トラウマ心理学の実践における優秀貢献賞を受賞。
…と、このあたりの貢献は、私には書ききれないので端折ります。
少なくとも、
EMDRによって発見された
・両側性刺激(左右交互に入れる刺激のこと)と
・二重注意(今にいながら過去を眺めること)
の概念は、その後のトラウマ療法の中でも大事なキーワードになっていきます。
5.EMDRとの縁
私がEMDRを習ったのは、2019年の夏。
沖縄でのWeekend1トレーニングが現地開催されたときでした。
ちなみに私が生まれたのは1987年で、シャピロがEMDRを偶然発見した年でしたし、私が初めてEMDRのトレーニングを受けたのは2019年のシャピロが亡くなった年でした。
私がここに至るまでの、私の知らなかった30数年間があり、私は先達たちの残した果実を味わって臨床をしているわけですが、一方的に何か因縁めいたものを感じてはいます。
私は私で、この国、日本も戦争トラウマの長期的な影響の下にあると考えていますので、その負の連鎖を断ち切る仕事を、シャピロたちの胸を借りて、やっているつもりです。
今回は長くなってしまったので、またここで筆を置きます。
次回は…もう少しEMDRのことを書きたいな。
やはりオンラインのEMDRのことについてはまだ話が届かないですね…笑
一体いつここに話が及ぶのかも含めて、楽しみにお待ちください☺︎
最後までお読みくださりありがとうございました。
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