善性を呼びおこすもの

noteの記事投稿ですが約3年ぶりとなります。
みなさまお久しぶりです。

さて2024年も怒涛の幕開けとなりました。
まずは今回の能登半島地震に被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

今日はそこで個人的話題と絡めながらタイトルについて少し掘り下げていきたいと思います。

本日はこれまた久しぶりに自分の車に乗った。
最後に乗ってから数か月経っているのでバッテリー復旧後に数時間運転していた。
そろそろバッテリーも溜まってきた頃かと思い、帰路の途中に寄った店の駐車場で駐車しようとしたところでエンスト(このご時世でもマニュアル車に乗ってます笑)してしまったので再度エンジンを掛けようとしたが、結局エンジンが掛からなくなってしまったのだ。

駐車場内では他車に迷惑だから後ろから押して場外まで出そうとドアから降りた。

そしたらすぐさま駐車車両から一人の男性が出てきて「大丈夫ですか?押しましょうか?」と掛け寄ってこられた。
また後続のドライバーも事態を察したのかすぐに車から降りてきて私の車を押すのを手伝って下さった。

別に周りに「すみません、ちょっといいですか!」と声を掛けたわけでもないのに、こうもすぐに自発的に救いの手が伸びてくるなんて不思議な気分にもなりました。みんな良い人だなぁと。
ともあれ本当に助かりましたのでこちらでも感謝を伝えておきたいと思います。ありがとうございました。
(なお、その後無事にJAFを呼んでその場でバッテリー交換をしてもらい窮地を脱しました。)

ここでちょっと考えてみたいと思います。
人は誰かが困った場面に遭遇すると、快くよくそれを助けたいと思うのが本性なのだろうか。また、そうした善性はどのあたりまで有効なのだろうか。

というのも今まさに起きている災害含め、こうした中でどさくさに紛れて悪事を働く者も一定数いる。

人間は性善説・性悪説のどちらかではなく、その時々の状況や心境によってどっちにでも振れてしまう。極限状態では他人に構っている場合ではなくなり、我先に自己の保身に走るのかもしれない。

なので自身がこうした極限状況に陥らないために平素から準備を怠らないようにしたい。
準備が出来ていればこそ心のゆとりが生まれる。
今日私を助けて下さった2名の方は、思いやりに溢れる方であろうし、また思いやれるほどの心の余裕があったのだろう。

人間としての善性を発揮できるためにも、時折立ち止まって自身を振り返らないといけないと思った。
明日は仕事始めである。

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