平将門と私

東京の中心に眠る1000年前の英雄

千代田区大手町にある将門塚がつい最近リニューアルされた。
これまで当記事でも彼のことについて触れたが、日本の歴史始まって以来独立国家を目指して旗上げした人物は彼唯一人であろう。

https://note.com/kokoronotaimatsu/n/n2bcb8cdde5c5

天慶の乱(940年)とその首謀者の将門は、武士の世の先駆けとして、騎馬戦とそれを有効にした反った日本刀の登場として知られているが、それ以上にこの首塚からも分かるように死後1000年以上経った今でも祟りを恐れられて高層ビル群の居並ぶ東京のど真ん中に未だ慎重に鎮座したままである、ということではなかろうか。

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心なしかリニューアルされた将門塚はだいぶオープンになって近付きやすくなったと感じている。
また、将門塚の説明も以前のものより乱の意義
を大きく取り上げていることも注目に値する。

これまで密かに感じていたのは、彼を祀る故郷の国王神社(茨城県坂東市)には祟りだとかそういうジメジメした雰囲気は一切感じない。自然豊かな場所でひっそりと眠っている。

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将門との出会い

さてここからは私が平将門をこうも取り上げる理由を述べていく。

小学年低学年の頃、この学研まんがに出会った。
ひと言で言うと将門の勇ましさに感動しつつも人の世の哀れみを知った。

一般庶民のことを無視した京都中心の政治と、一族の所領争いに立ち向かう流れからついには国衙を襲い天下の逆賊という形で鎮圧されて終わるのだが、幼少の頃の私はそれよりも以下のことに思いを馳せた。

・多くの人間は損得と利害関係で動く
・正義で動く人間は少ない
・時期を誤れば自滅する

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私は30歳頃まで感情の浮沈みの激しさとそれを外では表せない内弁慶気質で物憂げな心を併せ持って生きてきたが、その源はもしかしたらこんなところにもあったのかもしれない。

先が見えない今だからこそ果敢なチャレンジが必要

ところで、今の世の中も彼が生きていた当時と実のところそんなに変わらないのではないだろうか?

強欲な者と、そのおこぼれにあずかる者が現状のシステムを支持し、そうではないラジカルな変革をしようとすると既存勢力に叩かれるか、無視されるか意図的に遠ざけられる。そもそも角が立つことを極端に恐れて嫌うのが日本人だ。

だがしかし、昨今の世界の動きを見ていると、これまでの権力者(組織の偉い人でも)に対して頭を下げて成立するピラミッド型社会が人間の生活に必ずしも幸福をもたらすとは限らないとは思わないだろうか?

多様性が大切、個性重視と叫ばれながらも実社会に出てみればそんなもの必要なく組織の利益を出せる人間が正しいと見なされる。そしてその人の持つ本来の個性は活かせぬまま生存を維持するための労働マシーンとなる。


なんでこうなったか?

現状の社会は人間が主役というよりも、資本主義の維持という題目のもと
金と組織の原理が人間より優位に立っているからだ。そしてあれよあれよという間にこんなところまで来てしまった。

自分にとって平将門は従来の常識を覆そうとしたフロンティアの象徴そのもので、彼が思い描いた世界は(本当のところはどうか知らないが)従来のトップダウン型とは異なるボトムアップ型国家であったと夢見てきた。

あったかもしれない多様性国家のユートピアに新皇将門を想像した。
将門公の首塚に合掌しながらこう祈った。
今こそ一極集中に対するオルタナティブとして多極分散が必要な時代だ。日本各地にイキイキと暮らせるコミュニティが続々登場しますように、と。

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