生きる原動力

昨日で仕事納めだったものだから、
今日は海を見に行った。

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海を見ながら今年をじっくり振り返り、来年の目標を立てた。
小一時間ばかり海辺をブラブラしたけど、頭がスッキリした。
やはり水辺空間は人間をリラックスさせるのでしょう。

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次に向かったのは日本武道館横にある大山巌像。
大山巌は明治の元勲であり、幕末から日露戦争にかけて日本が対外的に国家として成長していく歴史において堅実な仕事ぶりを発揮した人物である。
若い頃は大砲製造など数理に明るく、薩摩藩では過激な攘夷派の精忠組に属しその働きは俊異であったという。
兄として慕っていた同郷の西郷隆盛を西南戦争では官軍として討伐する側になった後は、まるで西郷が生きていたらこうなったであろう生き方を自らに託したようであった。緊迫した戦地においても部下をリラックスさせるためにギャグを言うなど懐の広い人物で、奥さんは旧幕府側の会津藩出身(薩摩とは敵同士)の山川捨松であり、彼女は鹿鳴館外交と女子教育の分野でも活躍した。
こんな歴史の巡り合わせにもロマンを感じるので私は敬愛している。
激動の時代の中天寿を全うした大山巌公に自分もより寛大になれる様にご挨拶と祈りを捧げた。

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続いて大手町にある平将門の首塚である。
本日も沢山の参拝者がいました。

将門は私が幼少の頃はじめて強烈にインパクトを受けた10世紀の人物である。彼は京の律令制国家体制がきちんと機能しておらず、それぞれ各地に赴任した在郷勢力が幅を利かせている現状を愁い、改革すべく関東一円を制圧して新たに独立国家を樹立し自ら新しい天皇となるべく新皇と称した後討伐され、暫く朝敵扱いだとか怨霊で有名になったりイマイチ評価が定まらなかった人物である。
私が幼少の頃将門の伝記を読んで子どもながらに感じたことは、いかにどんなに正しいと信じたことでも時期尚早だとみられたら儚くも潰されてしまうという哀れさだった。どの時代も急進的改革派は大体似たような末路を辿るが、こと将門の場合僕には特に哀愁を惹き起こさせる。
そんな将門公の首塚の前で今年の振り返りと来年の目標と日頃の感謝など挨拶させて頂いた。

敬愛する過去の偉人に恥じぬ様に自分なりに善を成すべく日々誠を尽くすだけである。

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そのまま歩いて東京駅に向かう。
いつ見ても端正で堅調なデザインを誇らしく思う。今日も若い人達や海外からの観光客がこぞって記念撮影していた。
後ろの高層ビルが無ければ尚良いが、
今でも輝きを放つデザインで設計した辰野金吾に感謝を捧げたい。

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