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日々の微調整が必要でして


濁らないように、くすまないように、
ばななさんがいうところの
「人間にかかっているモヤのようなもの」
がない人でありたいと常々思っているのですが、なかなか濁らないようにくすまないようにモヤがないようにクリアでいるのには日々の微調整が必要でして。

一瞬でモヤがかかっちゃうような出来事が日々生きていると不意打ちに起こっちゃうので、困ってしまうのです。すぐに心が邪悪になっちゃうし。
いけねーいけねー
って引き戻すといいますか。
考えてもしょうがないので、無になるしかないし、ただひたすらに自分の微調整をするしかない。
脳みそがあるからどうしても考えてしまうし、考えてしまう癖があるから、考えないようにする癖を脳みそにインプット(練習)するしかないんです。
脳みそと心の考えが一緒であること、それが自分には重要。

だから生きているうちにやりつづけることはモヤがないようにすること一択かなって思っています。


そういうふうに丁寧に生きてる人ってなんとなく佇まいでわかるから、なるべくそっち寄りでありたいです。





昨日は久しぶりに実母に会いました。
ランチをして次女を学校までお迎えに行くまでの数時間を過ごしました。母はもう数年で70を迎える歳ですが、これだけ長く生きていると、そして職業柄自分が濁ってしまいそうな環境に日々身を置いているにもかかわらず(まだ働いております)、一切の濁りがない人です。ちなみに、自分で人生の選択を誰に反対されようとも自由に選択してきた人なので、かなり波乱万丈です。笑 
が、それでも一瞬も腐らずに居て、濁らずクリアでピュアな心の持ち主なのです。その裏側ではどうクリアで居られるか努力を重ねていたのでしょう。そんな母の娘で良かったなあと、歳を重ねてみるとしみじみ思うのです。


昔のことで、よく母には謝られることがあるのだけど、もういいから、どんどんそれすらも手放そうよ。過去は過去なんだ。後ろばかり見たってしょうがない。もう今とこれからしか大事じゃないんだ。って言います。そう言ったら母は、今の話の講演料を支払うよ。って嬉しそうに言いました。バカ親子。苦笑



過去はただそれが起こっただけのこと。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
そこに執着することでもない。
ああいうことがあったね。それで私の成長過程に何か影響があった?あったのならそれは必要なことだった。それについて越えなければいけないことだった。ただそれだけのこと。見ないふりさえしなければ、十分向き合ったのならそれでいい。もういいんだ。誰かのせいにしたくなるけど、誰のせいでもない。そこには自分しかいないから。全ては自分の思考次第だと思う。1ミリでもさっきと感情が違えば、見えてた景色は全然変わるから。
だから人生は辛いけど、でも面白いんだ。



ほうっておいても、あっという間にそのときは来る。みんな同じように地上から消えて、思い出だけが残る。だから、泥水を飲むような思いをしたり、甘い蜜を舐めたり、月を眺めたり、友達と笑いながらご飯を食べたりしてゆっくり歩こう。

働いて、寝て、起きて、悩んで、苦しんで、笑って、ただ生きる。それだけのことが、こんなに幸せ。

どくだみちゃんとふしばな 大きなさよなら 吉本ばなな



ハッとさせられる言葉たち。ばななさんの言葉は軽やかなのに重い。脇道にそれそうになる感覚があるときはばななさんの本で微調整。









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