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あの場所には綺麗な石畳が続いていた

あんな素敵な石畳は近くになくて、この写真。

この街がすきと呟いて最初に思いついたのは、小学生のときの長崎の旅。
中学生の修学旅行でも長崎には行ったけど、光景が焼き付いているのはあの長崎の旅。

20年近く前の8月、友達と私の母親は平和記念式典に出席しました。
始まる前に展示された当時の写真を見て息を呑んだのを覚えています。教科書には載せることができないほどの辛い写真たち。きれいな町並みから想像できない写真たちに当時は現実と受け入れられませんでした。

式典が始まると私は友達と子どもの平和学習ツアーのようなものに参加し、パネルやゲームをした後、街を探検に出ました。案内のお兄さんたちが所々で当時の説明をしてくれました。

きれいな石畳の道で立ち止まったお兄さんは、この道に原爆で苦しむ人たちが押し寄せ、人が積み重なるようになっていたんだと説明もしてくれました。
ツアー前の写真が頭をよぎりました。
今こんなきれいな石畳が続いている場所が悲惨な場所だった。
そう考えると地面が揺らぐような恐怖を感じました。

案内のお兄さんに着いていったので細かい地名も全く分かりません。ただ、このきれいな石畳が哀しい歴史の上にあることが深く私の記憶に残っています。

その夜は友達のおじいちゃん家に泊まり、次日、友達と海に潜り生まれてはじめて貝を取りました。自分の手でとった貝に感動しドキドキしながら食べたのを覚えています。
そして友達のおじいちゃんお手製かまぼこをいただきました。
私はかまぼこが苦手…でもこのかまぼこは食べれたんです!魚100%で作ったおじいちゃんのかまぼこは本当に美味しくて。

こちらも細かい地名がわからないのですが、哀しさと楽しさと美味しさの記憶のあるをこの街が私の好きな街です。

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