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【いじめ】いじめる側の人間について思うこと

「いじめられる側にも原因がある」という話題は今まで何度も議論されてきましたが、今日はいじめる側の人について書こうと思います。あくまで個人的な意見なので異論もあると思いますが、こういう意見の人もいるんだなと思って読んでいただければ幸いです。
※かなり長文です。読みにくかったらすみません!

はじめに:大人になってもいじめはある

社会人になる前にこのブログを見ている人がいたら強く主張したいんですが、大人になってもいじめはあるということ。

小学生の頃よりも陰湿かつ巧妙な手口であなたに罪悪感を煽り、心をじわじわ痛めつけます。パワハラやセクハラが良い例ですね。

今回はいじめる側にフォーカスを当てて話しますが「敵を知り、己を知る」という孫子の言葉があるように、いじめられる側の方にも読んでいただきたいと思います。

いじめる側の理由を知ろう

私は小学生、中学生の頃にいじめを受けた経験がありました。学校に行きたくなくて親に相談しましたが、聞き入って貰えずに胃薬を飲みながら毎日学校に行っていました。

いじめてくる相手は1人だけだったので、相手を喜ばせないように無視したり、避けたり、他にもいじめられている人と仲良くなって辛い気持ちを紛らわすことが出来たので幸いこの経験はトラウマになりませんでした。ですが、私は大人になってから受けたいじめ(パワハラ)の方がもっとキツくてトラウマになりました。なので私はいじめてくる相手を観察することにしました。ちなみに下記の本がとても勉強になったのでおすすめします。

いじめてくる相手を観察してて思ったことがありました。
「相手には、何らかの感情(怒りや寂しさ)があるんじゃないか?」ということです。

だけど自分でその"感情"に向き合えない(やり方がわからない、気がついていない)から手っ取り早く心の”モヤモヤ””イライラ”を相手のせいにして攻撃することを正当化する人がいると思いました。もちろん全員がそうとは言えませんが。

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"感情"と向き合うことは悪ではない

大人になると感情的になることはよくないとされます。でも子供はどうでしょうか?子供の頃に”本当”の”感情”を出すことを否定されるとどうでしょうか?

親の言うことを聞かないと、いい子でいないと、迷惑をかけないでいないと、と子供の感情を押さえ込んで親にとって都合の「いい子」になる。そうすると抑え込まれていた”感情”は消えて無くならないんですね。どこかで出てきます。それがいじめにつながることが多いにあると私は思います。

もちろん、これは大人にも言えます。自分の心の中にある本当の感情に耳を傾けることは実はとても大事なんです。でも大人になると”理屈”の方が重要視されがちです(特にビジネスにおいては)。

"理屈"と"感情"は両方大切したほうがいいと思います。"感情"を扱うことは悪くありません。自分の本当の感情を抑え込むことがいじめのひとつの原因だと私は思っています。

いじめる側は本当の”感情”を押さえ込んでいる

これは私の個人的な意見なので異論は認めるんですが、いじめる側って何か"いじめてしまう"理由があると思うんですよね。

本当は自分を見て欲しい、構って欲しい、認めてほしい…

そして本来それを求める相手は生みの親だった(もしくは育ての親)はずなんです。でもそういう気持ちを家庭で満たされていないとか。心の中に親への”感情”を溜め込んでいる人が多いのではないでしょうか。

自分の本当の”感情”に向き合わないといじめる側はずっと誰かをいじめることでしか心の”感情”を収められなくなってしまうと思います。

誰かをいじめることは自分も傷つくと気付くこと

私はいじめる側は自分がいじめられる側になってしまうことに怯えているのではないかと思います。だから誰かを責めて安心したいんですよね。

自分は正しい、自分は周りに認められている、自分には仲間がいる…

でもそれって永遠に終わらないんですよね。学生でも社会人でも同じように誰かをいじめて自分が安心するという関係では、永遠に不安からは逃れられません。

いじめる、いじめられるというのは「タテの関係」

これらの人間関係はいわゆる「タテの関係」だと私は思います。

いじめる、いじめられるの関係から抜け出すには「ヨコの関係」を築いていくことが大切なのではないかと思います。あと「境界線」「自己受容」「自己肯定感」ですね…ここで説明すると長くなってしまうのでぜひ調べてみてください。

▼参照:過去の漫画「自分の価値の認め方」
https://note.com/hellomisaki2016/n/ne2e424dc3bec

最後に:他人は変えられない。変わるのは自分自身。

いじめられている人に伝えたいのは「他人は変えられない」と言うこと。いじめる相手を変えようと思ってもそれはできないと思った方がいいです。それよりもその気持ちを自分自身の(心の)成長に費やして欲しいです。

ちなみに何故それを”いじめる側”の人に向かって言わないのかと言うと、いじめる側は自分がいじめていると言う自覚がないと個人的に思っています。むしろいじめているのに「私はいじめられている!」と言う人もいます。

そう言う人も含めて言いたいのは「他人は変えられない」と言うこと。

穏やかな気持ちで人生を過ごすためには。「自分自身が変わる」と心の底から覚悟を持って決意した人にだけしか必要な情報は手に入れられないと私は思っているからです。ちなみにその”必要な情報”と言うのも誰かから与えられるものではなく、自分で取りにいかなければいけません。誰かの意見に左右されるのは依存ですからね。

長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。

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