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母の日は一生無視していい

この前、母の日がありました。

子どもたち2人からは何ももらっていません。

ひそかに「母の日のプレッシャーを与えない」という作戦をここ数年にわたり実行していたのが実を結んでいるようです。

過去には、もらおうとしなくても折り紙や手紙をもらったことがあったり、何もなかった年に「母の日なのに」と言ってしまったこともありました。

うちは、夫のモラハラを克服中の状況なので、ただでさえ子どもたちには日常的に嫌な思いをさせてしまっています。

だから、強がりではなく、真剣に、せめて「母の日に気がねなく何にもしない自由」ぐらいは満喫してほしい。

子どもたちは、とっても親のことを見ていて、感じとる力もすごいので、本当に本気で「何にもしなくていい」と思っていることが重要です。

モラハラという最低なデメリットをすでに経験させてしまったので、どんなに小さなメリットでも与えられるものは与えていきたい。

屁理屈になってしまいますが、モラハラを無理にメリットととらえると、子どもたちはちょっとやそっと大声ではひるまないと思います。

モラハラ家庭に育ち、大声が苦手になるケースもあると思いますが、うちは子どもがモラハラ対象にはならず、言われる私がただ屈することもなかったのが不幸中の幸いだったと思ってます。大声を出して文句を言う人は弱い、と繰り返し教えてきたので、今のところは子どもたちはひるまないでいてくれてます。でも、こんなことは子どもからしたら、いいことではないのですが。

この家で育ったことに、少しでもいいこともあると思ってほしくて、高校生の長女に上記のメリットについて話したら、「そんなことよりもパパがおかしくない方がいい」とのこと。

長女は幼少の頃、父親ととても仲が良かったです。だから、早くモラハラを終わらせたいです。夫は子どもたちにはあまりひどいことは言いませんが、そんなことはまったく長女には響いていなくて、一貫して「おかしい」と言ってます。私は、夫の子どもの頃のことを考慮して大目に見たり、とても甘いところがあるので(それでモラハラが生まれた)、長女のぶれない考え方には助けられています。

夫のモラハラを一刀両断するばかりでなく、そんな夫と一緒にいる私のことも時には批判する長女のことを頼もしく思います。

ついつい、子どもたちには「悪いのはパパ、ママはがんばってる」という態度をとってしまうのですが、長女には、そこから抜けられていない私のことをしっかりと見られています。

私自身は、高校生の頃なんて自分の母親に対しては申しわけない気持ちが強くて、批判することなどできませんでした。

だから、自分の子どもたちには、親だからとか関係なく、人間同士のつきあいがしたいと思ってきたのですが、この点はうまくいったかもしません。

ただ、モラハラに関しては、屁理屈を言えばメリットもありますが、負債そのもの。

だから、これから克服する過程を見せたい。

しっかりと克服できたら、

 人の弱さはなぜ生まれるか
 子どもの頃の接し方がいかに重要か
 それでも人は変われるというところ

などを伝えられるかもしれません。

克服できたら、人生の肥やしになるぐらいのことだと思います。家に急に怒鳴りだす人がいるのは本当に嫌なことです。だから、この経験をただの嫌な経験にしてほしくなくて、嫌な思いをした私たちのプラスにしたいです。

私が日頃から読ませていただいているJoeさんは、誰もができることではありませんが、モラハラ家庭で育ったことを練り上げてメソッドにしている方です。

できれば、子どもたちにも、モラハラから何かしらのメリットをつかみとってほしい。でも、これは勝手な希望で、ほんとうに申しわけない。

申しわけないからこそ、プラスにとらえろという強制もできませんが、私の本音は「お願いだからプラスにとらえてほしい、それしかないよ」と思ってます。 

でも、つべこべ言わずに、私が変わって、夫も変わるところを見せたい。そうでないと説得力がない。モラハラ夫との結婚を続けていること、モラハラ対策に関しては、ただ私がやりたいからやっているということをいつも忘れずにいないと。

かつて、私が実母に対して申しわけないと感じていたのは、実母がいつも大変そうだったからでした。

つい、あんなに嫌だった昔の母のように、私も大変そうにしてしまうことがあります。本当に気をつけなければいけません。

子どもたちにはとにかく、一生、母の日を無視していいので、なんとか強く(強くなくてもいいのかな)、自分らしく生きていってほしいです。




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