見出し画像

夕飯のしたくとトラウマ

私のトラウマは、夕飯のしたくの時間。
45歳で、主婦になって18年なのに、苦手だ。
大きく言うと理由は2つ考えられる。

1.子どもの頃、夕飯のしたくをする母がいつもブチ切れていた
2.モラハラ夫が味に異常にうるさい

1.に関しては、母に直接、怒りまくってたことへの文句を言ったことがあり、もう済んだはずのことなのに、夕飯のしたくをしなければならないときに、毎度毎度、嫌な気持ちになる。なぜか、子どもの頃の嫌だった母を踏襲するかのように「機嫌の悪い母親」全開になってしまうことがある。自覚しているのに、やめられない。昔の母よりはマシだけど、かなり不機嫌になってしまう。

2.に関しては、モラハラについて夫に説明したり、まさに夫が料理に文句を言っているときに長女が「おかしい」と断言してくれたこともあり、おさまってきている。ただ、夫はとっての「ありえない」料理があるらしく、文句もまだ出る。

夕飯のしたくは、長く苦手ではあったけれど、子どもが小さかったり、夫のモラハラが今よりひどかったりして、嫌だな、苦手だな、という気持ちを押し込めて、何とかこなしてきた。

モラハラ夫に支配されていたような精神状態だったから、とにかく問題のない夕飯を作らなきゃ、と思っていた。今、モラハラを克服しつつあることで、とにかくやらなければと思いこんでいた夕飯づくりを、嫌だ、やりたくない、と思うようになってしまった。

ここまで書いて、嫌なものは嫌、と思えるようになったことは喜ばしいことかもしれない、と思えてきた。最近、本当に夕飯づくりが嫌でしかたなく、そんな自分も嫌だった。でもこれは、見方を変えたらいいことなのかもしれない。夫の思い通りにしなくていい、と思えるようになったから、私にとって夫の言いなりだったことの象徴である夕飯づくりが嫌なのかも。

結婚当初は、わくわく楽しんで作っていたけれど、夫に味に対していろいろ細かいことを言われ、料理自体を楽しめなくなり、いつ頃からか、子どもの頃の怒っている母が思い浮かぶようになった。

新婚の頃に一生懸命つくった夕飯を夫にけなされて、いつも怒られないように緊張感をもって料理をしてきた。子どもの頃にはなぜか毎日怒られながら夕飯のしたくを手伝わなくてはいけなかった。夕飯づくりが嫌いになるには十分かもしれない。いや、嫌いになって当然だ。

私はもう少し、私に対して甘くなろうと思う。

たまには例外的に、楽しく夕飯のしたくができることもある。どんな場合か、思い当たることを書いてみる。
・絶対に失敗しない得意メニュー
・体調がよい
・子どもがうるさすぎない
・夫が怒っていない
・下ごしらえがしてある

子どもや夫はその時にならないとどうなるかわからないので、他のことで、なるべくこの条件をクリアできるようにしたい。

話は脱線するけれど、この頃、過去の自分がかわいそうで涙が出ることがある。一生懸命やっていたのに、夫はひどいと思う。

これまでも泣いたことはたくさんあったけれど、そのときに起きていることがつらくて泣いていた。過去に対して泣けたことが、私は嬉しかった。過去になったことが嬉しかったのと、自分に対して優しくなれたことが嬉しかった。長らく夫のせいで、自分はダメだと思わされてきた。やっとやっと、過去も今も、私はずっとがんばってきた!!と胸を張って言えるようになった。

夫は、私がモラハラ対策を始めてからは、だいぶマシになっている。手伝うし、私に怒るのも減った。怒ったとしても、指摘すれば、怒り終わったらすぐに謝る。過去の甘かった私なら、大喜びで許せるぐらいには改善しているが、モラハラに関して学んだことにより、夫からはまだモラハラが抜けきっていない、とわかる。

過去の夫をひどいと思ってしまうことと、今の夫は良くなっている事実をどう両立させていくかが今後の課題だと感じる。

私だって、過去の行動を責められ続けるのは嫌なので、なるべく「今」を客観的に見て、ひとりの時に泣くなりして、過去にはけりをつけていければと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?