お手上げな人
先日、義母と会って話した。
義母は満足そうに見えた。
私もおおむね楽しかった。
でも、帰ってきて数日たった今、自分のことを二重人格だったなと感じる。
義母と会う時は、反射的に義母の喜ぶようにふるまう私。
心の中には、義母への批判があるのに。
義母のすべてを嫌いなわけではないから、楽しく過ごせたことはよかったのだと自分をなぐさめる。
ただ、先日は何でも“はい はい”ではなく、自分の意見をはさむことができた。我ながらよくやった。
私が唯一意見を言ったところを以下に書きとめる。
義母に会うときは必ず療養中の義弟の様子を聞き出すようにしている。その中で義母はこう話した。
「S(義弟)はお嫁さんいないじゃない? だから、〇〇ちゃんたち(うちの娘2人)に財産を引き継ぎたいと思ってるの。Sもそう言ってる」
その話は前から聞いていて、ありがたいとは思ったけれど、反発があった。
義弟の人生まだ終わっていないし、結婚もするかもしれないし、何が起こるかわからないのに。
どうしてそんなこと言うの?
やっぱりこのお義母さん、変だよ。
このような話をすでに夫にはしていて、予行演習ができていたから、その場でこう言えた。
「ありがたいことなんですけど、それよりもSくんが元気になることが一番だと思ってます」と。
はっきり、しっかりと言えた。
これだけでも言えて、よかった。
義母の反応は、特になし。
ハッとした様子もなかった。
これまでも、勇気を出して何か言ってもそれがそのまま吸収されて何も返ってこない感じがあった。
義母の考え方はもうほとんど固まっていて、何を言っても変わらないのだろうか。それならこちらも言いたいことを言えばいのかもしれない。
義母は、義弟はこのまま変わらず、人の意見は聞かなくて、治療も進まなくて、不健康なまま一生を終える、と思っているのだろうか?
信じがたいけど、そうなのだろう。
私には、お手上げな人。
そんな人、会話する意味ない。
誰と何を話しても、ビクともしないのなら、人と話す意味って何なのだろう?
私は自分の家に帰れるからいいけど、この母に育てられた2人の息子が2人とも苦しんでいることは、起こるべくして起こったことに思える。
どうも書いていると怒りが出てくる。
義母は義母で長年一人でがんばり続けたがゆえに、偏りが出てしまった(私からはそう見える)のだろう。
ここで、義母に対して怒りの火種を燃焼させることもできるが、夫のモラハラでこれまでに一生分以上怒ってきた。怒りは書かずに、心の中で短時間だけ怒っておく。
せっかく楽しいと思える時間を過ごしたけれど、義母とは相容れないことを書いてみて再確認することになった。
気持ちを変えて、「意見すること」に関しての覚え書きを。
子ども時代からの習慣で、私は特に女性と接するときに異分子にならないように同調してしまう癖があった。
最近、他の場面でも安易に人の話に同調しないことができるようになってきた。自分の成長を感じられて嬉しいし、心地よい。
話を戻して、義弟のこと。
義母と話がうまくできないことには諦めがついてきたが、義弟も自分の人生を早々に決めてかかっている。私にはそれが残念。
義弟とは今もSMSのやりとりを続けているが、そこでも自己否定めいた言葉が出てくる。
実際の本人の言葉はここに書かないけれど、「自分なんか」みたいなニュアンスが言葉の端々に感じられる。
そんな言葉を見ると、泣きそうになる。
その言い回し良くないよ、と指摘したくなるが、こらえる。
ゆっくり、つかず離れず、途切れるとすぐにまた緊張感が出てしまうから、それを防ぐためにもSMSへの連絡は続けたい。
いずれは(できれば早めに)、精神科か心療内科の受診もすすめたいし、運動と栄養のことも話したい。
ただ、義母の話によると、義弟は病院に行かず体調を回復させたいらしい(義母は正確な情報を伝えてくれようとしているので、そこは信じている)。
何年も体調不良で、客観的に見て、自力では無理そうなのに、義弟はできると思っているらしい。
私としては、義弟にとって負担が少ないであろう接し方を続ける。それは、私にとっても負担がないし好都合だ。そうしながら、自力で回復に努めたいというなら、手助けをしたい。
たまたま1ヶ月前にスマホに残していたメモを見つけた。
義弟について
「連絡手段はあるのに、取り返しのつかない失言をするのが怖くて、何もしない方が楽だと思ってしまう」
とあった。
この時に比べれば、直に連絡をとっている今は、だいぶ前進している。
少しずつ進めて、いつか義弟には健康を取り戻してほしい。
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