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子どもの頃の私を前より好きになれた話

小学生の子ども(次女)を育てているせいか、子どもの頃の自分を思い出します。

小6の卒業の時のサイン帳に「お願い。笑ってよ。」って書かれた思い出。見方を変えたら、サイン帳を書いてもらえる友達はいたんだなぁ。社会科見学のバスの席で、仲良しグループに一人異分子として入って、寝たふりをしたこともある。

次女は、私が苦手としていた強気で明るい女子。これは、生まれつきのキャラクターだと思う。親として接すると、子どもっぽく、何にも考えてなくて、クラスでも人を傷つけるようなことはしていないみたい。

私は、学校で話す人がいないことに困ってたし、傷ついていた。でも、よくよく思い返すと、大っぴらに悪口を言われたりはしていなかった。「暗いよ」って言われたことがあって、どうすることもできなくて、そのまま何もしなかった私。意外と、自分の道を貫いていたとも言える。明るくしようとしたとしても、当時の私は本当に口が開かない感覚があって、係の仕事で前に出て話す時も小さな声しか出なかった。だからこそ、人の優しさが身に沁みた。あの頃、話してくれた人のこと、今でも思い出せる。

私は確かに暗かったけれど、子どもの割に思慮深かったとも言い換えられる。思った瞬間に口に出してるような、みんなのスピードについて行けなかった。これは私が兄ときわめて仲が良く、話さなくてもだいたいのことが伝わる幼少期を過ごしていたからかもしれない。

つまり、誰も悪くなかった。

次女のおかげで、“クラスの明るい子”の裏側を知ることができたのはよかった。ただ、自分の気が合う子と話しているだけで、悪気なんてない。もちろん、昔の私のクラスメートはどうだったか、本当のところはわからないけれど、きっと似たようなものだろう。

見方が変わると、過去は変わる。
暗かった子どもの私のことを初めて好きになってきた。私にとって、けっこう大きなことです。


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