見出し画像

金千秋さんからいただいた、映画『心の傷を癒すということ 劇場版』の感想

試写会にお越しいただいた、FMわぃわぃ、金千秋さんから届いた感想をご紹介いたします。

金千秋さんについて
FMわぃわぃ総合プロデューサー。祖母の代からの神戸っ子。神戸には地震は来ないと言われ育ったが95年の震災で須磨区自宅・店舗も全壊。震災後2週間で放送を開始した在日コリアンコミュニティの安否確認ツールFMヨボセヨに参加。その後「たかとり救援基地」でのベトナム人への情報発信FMユーメンと合流し被災市民からの発信「FMわぃわぃ」へと移行する中に身を置き、「まち」とは何かを見つめ続ける20年を過ごした。
https://kiito.jp/people/kimuchiaki/

これは、2020年NHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』として
放送されたものとは全く別物だ。映画『心の傷を癒すということ』だと思う。


ドラマは阪神・淡路を題材に、在日コリアンとしての視点、そして都市構造が破壊され
多くの人間が犠牲になり、その復興にはハード面のみではなく、人の心も復興への道が必要だという「精神科医安克昌医師からの阪神・淡路大震災、復興の記憶を記録する」番組である。しかし映画『心の傷を癒すということ』は、全く違う。



人が生きるためには、あるいは幸せに生きるためには?というその思想、哲学を伝えるための映画だ。
在日であることも阪神・淡路も一つの事象で、それを語り継ぐことが目的ではない。
2021年1月29日公開という世界的恐慌新型コロナウィルス感染大爆発のこの時期だからこそ生みだされた「だれもがしあわせに生きるためには、そうしたらよいのか?」
それを示唆するための生まれた映画なんだと私の傷ついた心が受け止めた。

震災26年、私自身も神戸市須磨区で全壊被災、須磨海岸に住む在日土木事業者の夫の後輩が「ソンベ(先輩)生きているか?」とチェーンソウ片手に本人も血だらけで駆けつけてくれ、全壊した家のあちこちをぶった切って助けてくれた。
自宅も自営業の店も全壊、そこから私自身は新長田の民団西神戸支部で在日コリアンが海賊放送で始めた「FMヨボセヨ」に参加。その後、カトリックたかとり教会で始まったベトナム語を中心としたこれもまた海賊放送局「FMユーメン」との統合で生まれた「FMわぃわぃ」での活動にスライドしていった。2020年まで「FMわぃわぃ」での神戸はもちろん日本のそして世界の被災地に足を運ぶ日々へと繋がる。


しかし2021年の1月17日、私はこの映画と出会ったこと、そして初めて1月17日の「1.17KOBEに灯りをinながた」会場に出向けず、自宅で過ごしたことで、初めて自分自身もあの時の傷を支援活動という目くらましで、深く深く覆い隠してきたことに、実はまだまだ血が噴き出ていることに気がついた。


この映画は、「人の心は、年齢関係なく赤ちゃんの肌のように、ふわふわで柔らかい」そして「何気なく放たれた言葉や想いもよらないことで傷つく」そして「それを隠す」あるいは「別の行動をとる」ということに気づかせてくれた。その傷の癒し方、それは「自分のことを、他人が認めてくれること」「あんたはそのままでええんよ」と認められること。
自分は自分でよい、そのままで価値がある。無理せんでええよ。と何度も耳元で囁いてもらった気がした。


コロナの時代、人は大きく傷ついている。誰が悪い、何か悪い、あの時こうしたから感染した。疑心暗鬼、人が人を監視する、攻め合う、そんな空気が蔓延してる。
もちろん科学的病理解明、措置が必要なのか確かではあるが、ちょっと立ち止まり、空を見上げて深呼吸。自分の心の声を聴く、もしその時、自分のことを心配している、あの人、この人の声が聞こえたらきっと人は生きていく力が湧くはず。
「終子さんって名前、きれいな名前やと思います」「ここにいてはるから大丈夫だと思います」「あなたの仕事はきっと役に立ちます」「君はゆっくりでええよ。そんままでええよ」せっかくソフトクリーム買って来ても寝てたら起こさず、起きるまで待つ。
「どっちの名前でよんだらええ?」
映画の中にドラマから抽出された、人が人を思う、そのことが世界を平和にしていく本当の人間のありかたなんやというこの分断と格差と距離をとらなくてはならない事態に追い込まれた人々に心で繋がりあう、認め合う、そのことを低い姿勢と寄り添う心で私たちに教えるために必然として生み出された映画だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?