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下津家令絵巻 -掌中の珠編-

二、鬼が泣く


 逢隈(阿武隈)に霧立ちわたり明けぬとも君をばやらじ待てば末なし(詠み人知らず)
 風はやきあふくま河(阿武隈川)の小夜千鳥涙なそへそ袖の氷に(後鳥羽天皇)
 君が世にあぶくま川(阿武隈川)のわたし舟むかしの夢のためしともかな(藤原実泰)

古(いにしえ)より歌人(うたびと)たちによって
「逢隈」「遇隈」などと表され

また、田んぼの引水や飲み水として、水流による移動、荷運びの手段として人々の生活を支え

「母なる川」と流域に住む民たちに恵みをもたらしてきた「阿武隈川」

文化を育み、営みを見守ってきた清流に
忌まわしく、残酷な、悲しい物語がございますはご存知でしょうか

穏やかに見える流れも曲がりにはよどみが溜まり、怒り、荒ぶる時もございます

何かを訴えているのか、ただ悲しんでいるのか・・・

それは、昔々、都、西の方にございますころのこと。その都で栄華を誇る公家屋敷の愛(めぐ)しい姫に仕える岩手(いわて)という名の老女がおりましたそうな。
 姫は限りなく慈しまれ育ちましたが、大きくなっても口をきくことができず、どんな名医が診てもどうしても治らなかったそうでございます。
さすれば、と占師に見てもらったところ、
「妊婦のおなかの中にいる子どもの生き胆を飲めば治る」と言うではありませんか 。
岩手は姫のため、生き胆をとるために、まだ幼い自分の娘を置いて京を出て、あてもなく下りくだって奥州へ。辿り着いた地は阿武隈川のほとり安達ケ原。その辺りで川は岩が多くなり蛇行も激しく、舟の移動だとそこから先は行けない。人は歩かなければ先に行けなくなるのです。岩手は生き胆をとるのに便利な岩屋を見つけ、棲みつき、歩く旅人を泊まらせては、生き胆をとっておりました。

或る晩秋の寒い、寒い日のこと、若い二人の男女が宿をこうて訪ねて来ました。
この二人、名は生駒之助、恋衣(こいぎぬ)と呼ぶ夫婦で、
「泊まる所がなく、この寒さで困っております。それに、恋衣の腹には、子がおります」とのこと。岩手、絶有無僅(きんゆうぜつむ)の好機と喜び二人を岩屋の中へ。

その夜、恋衣が急に腹痛を訴えだしたので、生駒之助は急いで村の集落に薬を求めて飛んで行きます。岩手、「いまぞ」とばかりに出刃包丁を取り出し、恋衣の腹を割き、生き胆を掌に。
恋衣は噴き溢れる真っ赤な生暖かい血にまみれ、苦しい息を抑え、抑え、訴えます。

「母を尋ねて・・・歩いて・・・おります。・・・心当りの人がありましたら・・・どうか・・・どうか、お話し下さい・・・」

岩手、息絶えた恋衣の持ち物を調べると、体慄(おのの)き、愕然とします。恋衣の持っていたお守り袋の中身は自分が都に置いてきた娘に贈ったもの。恋衣は、己の娘であったのでございます。
知らぬとはいえ、自分の娘を殺し、孫を殺した岩手。心は打ちのめされ、衝戟(しょうげき)から髪は瞬時に逆立ち真っ白に。嘆き狂い、遂に発狂して、人を殺して喰らう鬼婆となってしまったのでございます。

鬼婆岩手は日が暮れると灯火を高くともして旅人の足をとめ、旅人の財宝を盗ったり、殺して衣類を剥ぎとったり、喰らったり。近くの村人も恐れ近づかず、都を遠くはなれていたせいもあって、誰も咎める者はございませんでした。


数年か、数十年か、しばらく経ち、聖武天皇の神亀3年(726年)の秋8月のこと、熊野那智の東光坊の阿闍梨祐慶という僧が、この鬼婆の下を訪れ、宿を乞います。
あの夜のように寒い夕闇が迫る中、鬼婆岩手は薪を採るため、
「ここをあけてはいけないよ」
とある部屋を差し、出かけていきました。

見てならないと言われれば見たいのが人の情。祐慶は、部屋を覗き、震えあがります。そこには、血に染った屍や、朽ちはてた人骨が山をなしていたのです。
「ここに泊まったのでは殺されてしまう。婆の帰らぬうちに逃げねばならぬ」
と祐慶は、旅支度もそこそこに、一軒家からとび出します。薪をとって帰って来た鬼婆岩手は、屍を見た祐慶が逃げ出したことを悟り、烈火のごとく怒り、追いかけます。
「逃がしてなるものか」

高僧である祐慶は、だんだん追いついてくる鬼婆をふり返り、熊野那智神社のお札を
「山になれ」
と祈りつつ撒くと、その札むくむくと一気に山となり鬼婆岩手の先を塞ぎます。しかし鬼婆岩手、難に思わずいとも簡単に山を越え、さらに追ってきます。
今度は、
「谷になれ」
と祈りつつ撒くと、底の見えない深い谷が現れますが、鬼婆岩手、やはり難なくその谷を渡り、猛追。
いよいよ最後の札、「今は最期」と祐慶、一層強く念じ、
「川になれ」
と、お札を撒くと阿武隈より広く濁流の大河となりましたが、鬼婆岩手はそれでも追ってきたのでございます。

もう走る力がいつ尽きてもおかしくありません。重い脚に歯を食いしばり、追い込まれた祐慶、
「叶わじ」
と心を決めて、一心に如意輪観音に祈ったその瞬く間。

あな不思議や、如意輪観音の尊像が天空にあらわれて、破魔の真弓に金剛の矢をつがえて鬼婆岩手を射たのです。
矢に貫かれた岩手からは邪気が消え、魂は清められ、御仏の力に導かれて成仏したそうでございます。

 
こちらが、母なる川のほど近くで起きた狂気の老女、あるいは悲劇の母娘の物語「安達ケ原の鬼婆伝説」でございます―。


※福島県二本松市ホームページ、「日本怪異伝説辞典(笠間書院)」参照
※表現は私のクセを入れさせていただいております




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