浪江町特集-01

さよならの今日に

3月となりまして9年目の震災月となりました。今年は、コロナ一色になりそうな震災月ですが「あれから9年、浪江の、浜通りの、何が変わったのだろう」というコピーを付しての「浪江ひとまち物語展」ささやかに展示始めています。ポストした画像は、あいみょんの曲の一節が浪江避難者の心情にリンクして聞こえたので、そのフレーズからイントロダクションとしました。

郡山S-PAL 1F かぼちゃんにて、11日から月末までをめどに開催する予定で、先月から準備、一部掲示も始めております。常設の展示スペースのある売り場という事もあり、完成形になるまで序々に展示内容が変化し、育っていく展示スペースです。ある意味キュレーションプロセスをまんま日々、未完成のまま展示している感じで11日までをひとまずの完成形には持っていきたいと。全行程、自分ひとりの手作業なので時間は相応にかかっています。かつ頭の中も未整理なまま、考えつつ進んでいて現状展示だけでは、見てもよくわからない点も多数あると思います。まあ展示場所が準備場所でもあるということでお許しを。

この9年、行政用語であり、様々な補助金や助成に冠されてきた「復興」の言葉、さる方のブログで「復興」という言葉への違和感が綴られていて「復興とは何か。」という問いを今も自問自答されているとの事でした。

言葉は、言葉と言葉の間にあるグラデーション、境界線のひかれざる濃淡の間に線を引くものです。熱い、と冷たい、の間の温度の状態を人に伝えたい。熱いと冷たいの言葉の間にある温度のグラデーションの中間ら辺を「ぬるい」と表現する。こうして、熱いとぬるいと冷たいと、という3段階の言葉の階調が生まれます。表現はこのようにマクロに細やかになっていきます。

ヒトの間にある雑多な性別を男と女で線を引く、女ではないから「男」という言葉が生まれ「男」ではないから女という言葉が生まれる。まあこういう対概念は同時に2つの言葉が生まれたのでしょうが。だから言葉には、その言葉自身と対になってくる言葉、事象・概念があります。

「復興」は「復し興す」と読みます。では、復するとはを調べると「もとの状態にもどる、もどす。もと通りになる、する。」という語義だといいます。復元の復ですね。回復とか。

けれども9年前の震災が生んだ様々な事は「もと通り」にはならない類の事象でしょう。

そう考えると、復元の復をあてる「復興」とは、モノ的なレベルにある言葉だと思います。建物という目に見えるモノを復元する。モノレベルで町をもどす、と。行政次元では、目に見えるレベルをまず手当するしかできないよな、とは思います。

目に見える領域と目に見えない領域が人にはあります。

目に見える領域を「からだ」と呼び、
目に見えない領域を「こころ」という言葉をあてて
区別していったのでしょう。

「こころ」という言葉を人は手にして、目に見えない「こころ」の領域の事を言葉で少し表現できるようになりました。

目に見える「からだ」のうちの「顔」に笑顔が浮かんでいても、目に見えない「こころ」のうちには「悲しみ」が深く沈んでいたり、という事は往々にしてあります。

さて、くどくどしく書いてきましたが、目に見える建物や体は「もと通り」にはなりえます。目に見えない「こころ」は「もと通り」にはなりません。

明日が来ることは解る
昨日が戻らないのも知ってる
できればやり直したいけれど
切り捨てた何かで今があるなら

とあいみょんが書いたように、明日と昨日のはざまの今で、私たちは常に戻らない昨日を、振り返ったり、ちょっと悔いていたり、後を向く生き物です。ようこそ明日へ、という時もありますが、さよならの今日に、過ぎた今日を、昨日を思う、という時の方が多かったりします。

そして人は日々、何かを切り捨て、何かを選んで今を進みます。
自分自身で何かを切り捨てるのは、ある意味踏ん切りが付いているし、あきらめてもいる。「何かを切り捨て」ざるを得なかったという、自身の取捨選択でない事は一生、心の奥に残り続けたりします。

結婚相手を父親に決められた。進学先を親に決められた。etc...

人生模様のそれぞれに「切り捨てた何かで今がある」その事を心に留め、今を生き続けるところに人の豊かさや奥行きが生まれます。

「切り捨てた何かで」あるいは「切り捨てざるを得なかった何かで」今があるという事を知って、なお歩んでいこうとする浪江の3人の歩みも取り上げました。

そういう意味では、その3人の歩みは復興なのではなく、新興なのかな、と感じています。

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