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善く生きることについて考える

みなさん、こんばんは。
八月も中盤に差し掛かり、猛暑日から台風の日々に移り変わろうとしています。
台風7号がお盆に直撃する予報が出ていますね。
中部関西圏のみなさん、お気をつけください。

今日はプラトンの著書『クリトン』から、ソクラテスの思想である「善く生きる」ということについて考えていきたいと思います。


①ソクラテスにとって「善く生きる」とは何か

ソクラテスはメレトスという若者によって、国家の認める神を認めず、青年を堕落させた罪で訴えられ、死刑を勧告された。当時の法律に照らしても非常に重たい判決で、政治的な策謀がみられる。ただし、ソクラテスは亡命する機会も与えられた。友人や弟子たちが亡命を勧める。『クリトン』の中で、脱獄をすすめたクリトンに対して、ソクラテスは法と正義について語った後に「単に生きることではなく、善く生きることである」といい、悪法であっても法である以上、それに従わなければならず、不正を働いて魂を汚して生きるより、毒杯を飲むことを選んだ。

https://hitopedia.net/ソクラテス/

ソクラテスが毒杯を飲んで死んだことは有名な話です。
その毒杯を飲むことを選んだ理由が「善く生きる」という言葉に象徴されています。
上記の引用にあるように、「単に生きることではなく、善く生きることである」と言って、自らを助けようとしたクリトンに対して言っています。
ここで言うところの善くとは、「より良い生き方」ではないということが重要であると思います。

それでは、「善く生きる」とは何でしょうか。
引用の文末にある「不正を働いて魂を汚して生きるより、毒杯を飲むことを選んだ」という一文からわかるように、魂を汚さない生き方を指しているのです。
つまり、自分の良心、あるいは信念や志に反していないかということではないでしょうか。
例え、自分が悪法によって裁かれるとしても、法を犯して助かってしまったら、
真理を求めて生きてきた自分の心情に反するわけです。

ここでもう一つの観点を加えます。
それは、「ダイモン」という守護霊の存在です。
ダイモンは、ソクラテスに「してはいけないこと」だけを伝えたと
言われています。(諸説あり)
そのダイモンが、この獄中で毒杯を飲むことを決めたソクラテスに対して、
毒杯を飲むことを止めなかったのです。
そうしたことを考えると、ソクラテスが自身の信念に生きることを
まるで祝福していたのではないかと、私は感じます。

https://www.amazon.co.jp/ソクラテスの弁明・クリトン-講談社学術文庫-プラトン/dp/4061593161/ref=sr_1_1?crid=1FJ8WXT21HYK6&keywords=クリトン+ソクラテス&qid=1691748627&sprefix=クリトン%2Caps%2C212&sr=8-1

②現代で「善く生きる」とは何か

さて、知識は日常生活や、人生の諸問題の解決に役立ってこそ知恵となります。
みなさんは「アイヒマン裁判」という、世紀の裁判をご存知でしょうか。
アイヒマンは1939年に国家保安本部第4局(ゲシュタポ)のユダヤ人問題課長に任命され、ヨーロッパ各地からの数百万人のユダヤ人輸送の責任者でした。
ホロコーストに大きく関与した人物として、彼は裁判にかけられたわけです。

ナチス・ドイツの所業について研究を重ねた人物で有名なのが、
ハンナ・アーレント女史です。
彼女は著書『エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』において、
彼の何が悪を起こしたのかを記しています。
私がこの本を通して、最も問題だと感じたことは、「考えない」ということです。
ヒトラー政権下では、全体主義による統制が行われていたわけですが、
一人のカリスマによる独裁が起こるのは、正義が話し合い通じて決まるのではなく、その人物によって決まることです。
そしてもう一つは、暴力や武力によって、個々の思想に規制がかかることだと思います。

つまり、民主主義は一人一人が考えを持ち寄り、
第三の道を見つけ、Win-Winを目指すから成立するわけです。
したがって、考えるということ、判断するということが禁止されると、
「従う」という選択肢しか残らないのです。

だから、アイヒマンはユダヤ人輸送の責任者として、役割を全うしただけなのです。彼は、裁判の中で終始「自分が悪を犯した」という意識がありません。
ただ、仕事に従事した、懸命な労働者なのです。

私たちは日頃から「考える」ということをしなければ、
誰かの統制の中で生きることになるわけです。
人生の決定権を他人に委ねては、自分の人生を生きられません。
自分で考えて、自分の意志に基づいて行動を選択する。
したがって、「考えることができる」ということは、
それ自体に大きな価値があると思うのです。

発信されることを鵜呑みするのではなく、
善悪をしっかりと考えて、アイヒマンになっていないかを考えていきましょう。

今日は「善く生きる」ということは、「考えて生きる」ということを
お話しました。
次回もまた、よろしくお願いします。



https://www.amazon.co.jp/エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】-ハンナ・アーレント/dp/462208628X/ref=sr_1_6?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=3HF7Q5GPYKTIF&keywords=アイヒマン&qid=1691749783&sprefix=アイヒマン%2Caps%2C247&sr=8-6

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