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森が足りなくなった時に読みたくなる本の話

何を読んだらいいかわからない、と言ったあなたへ、私の好きな本の話をしよう


あいかわらずの暑さですが、変わりなくお過ごしでしょうか?
ようやく立秋になりましたね。
涼しさにホッとできる秋が待ち遠しいですが、ひとまず日々をご安全にお過ごしくださいね!

「飛ぶことを知っている魂」は、飛びながらバランスを取っていく。危なっかしく見えても、ああ、もうそれしかなかったのだろうな、と見ているものに思わせる説得力がある。

外界に忙しなく暗雲が垂れ込め続けているような時代には、「飛ぶことを知っている魂」でも、飛ぶことを躊躇う。飛び方がわからなくなる。飛ばなくて済むのなら、誰も苦労はしないが、生きるために飛ぶことが必要なのなら、飛び立つより他に道はない。ただ、今を、翼を整備するための-入念な-準備期間と見なすことはできる。焦燥や不安も、経験値にしてしまい込む技を身につけながら。

バランスを視ること 歌わないキビタキ 山庭の自然誌 梨木香歩

子供の頃、あなたの周りの環境ってどんな感じだったの?
公園は?
近所に空き地とかちょっとした森や林はあった?
木登りしたことある?

私は子供の頃は、周りの自然には事欠かなかった。といっても町暮らしなんだけど、たまたま近くにちょっとした山があって。
おままごとの道具用に名前も知らない花をいくらでも摘んだし、花冠をシロツメクサで作ったり。まだ若かった紅葉は足をかけるところがちょうど良くて、2本くらい登れるものがあった。
曇り空の午後、一人で林の中にでかけてアザミを見たり、川というほどでもない水の流れを見たりした。

祖父母の家は、田舎だったのもあって、庭が広かった。
そこには、登るのにはちょうど良いイチイの木があって。登ってるといつの間にか細かい葉が髪に刺さって、なんだかむず痒くなるんだけどね。それでもよく登ってたなぁ。

運動ができなくて、逆上がりもできなかった私でも登れる木があったって、かなり優しい自然だったよね。もちろん四季の花々は意識しなくても咲いていて、いつも当たり前のように、でも嬉しく見ていたよ。

そんなこんなで、見る分にも遊ぶ分にも自然が身近だったので、普通に暮らしていると、ふと、森が足りない気がする時がある。
普段はご近所の方が丹精されているお庭の花々を嬉しく眺めていたり、そんなお庭の樹々の移り変わりが、とっても美しいなぁと思うのだけど。
でも突然、なんだか「森が足りない」という気持ちになる。

そんなとき、近くの「森」に行ければよいのだけれど、なかなか行くタイミングを失ってしまうことがある。
そんな時は何人かの本が、私の「森」分を支えてくれる。
その中のお一人が、梨木香歩さん。

梨木香歩さんの一番好きな「小説」は、「からくりからくさ」だと言い切れる。
美しい織や染めが、女たちの家に溢れている物語。

だけど、断片的であっても、何度も繰り返し繰り返し読んでいるのは、どちらかというと彼女のエッセイかもしれない。
イギリスに住んでいたことのある彼女の、広い視点から繰り出される話も好き。
そして、森に近いところに住んでいる、あるいは森や自然を旅している彼女のエッセイが、私の「森」分を満たしてくれる。

彼女のエッセイを読んでいると、私の周りに在ってくれた自然を思い出す。そして自然はいつでもいつまでも惜しみなくたくさんのことを教えてくれるし、私はそれらを謙虚に有難く受け取っていけたら、と思う。
いつか森に近いところで、のんびりと彼女のエッセイが読めたらいいなぁ。

あなたは、自然が恋しくなることはある?
季節はいつが好き?
いつかのんびり、ほんの少し森に近いところにでも、一緒にお散歩できたらいいなぁ。
あ、もっと涼しい時期にね!

ではでは、またね。

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