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こころのかくれんぼ 16     【自宅療養編 ~安心と心配~】

自宅で初めてのシャワー。
普段何気なく肌に当てているけれど、沢山の傷に直に水流が当たると結構響くものだ。勢いよいスコールのようなシャワーは、目覚めに最適でさっぱりするけれど、今はそんなことしたらきっと叫んでしまう。
温泉のお湯をくみ上げてかけ流すような気分で、ゆるゆるとシャワーを浴びる。水圧を緩め、なるべく肌に近い位置からゆっくりと流していく。お湯の柔らかさを感じて、なんともゆったりした気持ちになった。
やっぱり「あったかい」ってしあわせだ。

傷口の感染予防には、創部の清潔保持は必要。
洗い流すだけでも良いけれど、臨床現場で学んだ泡の威力を実践する時がやってきたので試さない選択は無い。泡はすごいのだ。大量の湯水を使用しなくても、ふわふわの泡で包み込むように手足をくるんで汚れを落とす「シャボンラッピング」という手技、ちょっと得意だったし、質感には妥協を許さなかった(笑)
やっている方も、受けている方も「いいにおい」「きもちいいねぇ」と笑顔になるあの時間が、好きだった。

少しひんやりする晩秋の浴室で、よしっと気合をいれて、せっせと泡を作る。両手いっぱいにもこもこの泡が出来ると、まるで子供に返ったように嬉しくなった。もちもちと、アコーディオンのように手のひらでしばらく遊んだ後に、からだに押し当てるように滑らせていく。ちゃちゃっと適当に作った水っぽい泡で、ゴシゴシ擦るなんて言語道断だ。テレビコマーシャルではないが、マシュマロのように弾力のある泡は、本当に良い仕事をしてくれるのだ。

「おつかれさま。ここから治していこうね」と傷に話しかける。
久しぶりに浴びたシャワーは、汗や汚れだけでなく全身に纏わりついた疲れと不安も落としてくれるようだった。身体と心にスッと心地よく芯が通るよう。清潔を保つことは、私にとって人間らしく居られるものであるのだと、改めて感じた時間だった。

あたためておいた脱衣所で、全面の傷の糸が引っかからないように慎重にバスタオルでふき取っていく。見える場所の傷は、視覚的ダメージはあるけれどケアはしやすい。前回の背中の手術は「くりぬき法」と言って、敢えて縫わずにそのまま自然に傷が収縮する過程を待つという方法だった。術時間内に可能な限りの数の腫瘍を切除するにあたり、縫うよりも早いというメリットがあったからだ。

でも、背中だ。
くりぬきっぱなしというのは、結果として非常にきつかった。
新しく出来た脆弱な組織が盛り上がり、皮膚として正常化に至るまでが想像以上に辛過ぎた。なにしろ背中をつけて眠れないのだから。
普通のガーゼを当てれば、ずれて傷が擦れて簡単に出血する。
表面がツルツルのシリコンガーゼを当てれば、汗で不快になる。
一つ一つにテープをつけると、その周囲がもれなくかゆくなる。
急には表皮化しないから時々出血するし、その過程が見えないから不安になる。どうすれば良いのかと、毎日試行錯誤しながら暮らしていた。
自分の過去の経験と知識で、何とか繋いできたようなものだった。
2週間近く睡眠不足が続いた時には、さすがに少し泣きたくもなった。


退院してからの「生活」
家という同じ場所に帰るけれど、入院前と同じ状況で戻るわけではない。
家に帰ること自体は「安心」だけれど、これまでとは違う身体で暮らすことはやはり「不安」も伴うものなのだ。でもそれは、帰ってみないと分からないことの方が多いのだろう。
「何か心配なことはありますか」と入院中に聞かれても、退院後の姿を明確にイメージして相談できる人はどれだけいるのだろう。
そこにどんな困りごとが発生するか、病院で働いている側からは見えにくいものでもある。何に困って、どんな情報が必要になるのか。セルフケアは出来るのか。同じ病気でも、年齢や家族構成が違えば、抱える悩みも変わっていく。当たり前だったことが、当たり前でなくなる日々が始まるのだ。

この「暮らしのちいさな悩み事」
私の場合、傷の処置だけでなく身に着けずには過ごせない下着選びへと続いていくのだった。



傷の乾燥を防ぐためのワセリン。
織ガーゼは前胸部や腹部に垂直に当てにくく、乾燥しやすいので素材の異なるものを選択した。
ガーゼ周囲を固定するテープ。
私はアルコールもかぶれるのだけどテープも少しかゆくなる。
数種類のものを試していた。
ホワイトテープは少し硬めだけど粘着力が程よく剝がしやすかった。

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