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インド チェンナイの街をインド人のバイクで疾走する。自由とかお金とかについて。

料理教室が1日早く終わって、日曜日は起きなくても良かった。

漠然とビーチとかお寺にでもゆこうかなと考えていたんだけれど、結局、寝ることを優先する。
このところ、泥のように眠たくて眠たくて仕方ないのだった。ネパールからの旅の疲れや、インドでの毎日の料理教室、大気汚染、いろいろが影響しているんだろうけれど、何が主因かはよくわからない。

とりあえず、寝て寝て寝まくってたら、午後1時半。出掛けていたジェイが帰ってきて、心配して電話をくれる。温かい紅茶を入れてもらって、食欲はちっともないけれど、すこしトマトカレーとごはんも食べた。
ビーチとお寺にでもゆこうかなと思う旨を話したりしてみると、行き方を教えてくれた。


あっという間に3時になり、いい加減出掛けないとなと出掛ける。
白いシェアオートが直接、サントメ聖堂まで行ってくれるらしかった。
チェンナイの人々も乗ったり、降りたりしながら、目的地へ。街や人混み、チェンナイの暮らしの中を通りすぎてゆく。

なかなかに遠いけれど、着いた。


着いたら、サントメ聖堂ではお葬式をしていて入れないという。

それを教えてくれたアンドリューというインド人がまた日本に来るらしく、そういうのもあってか、いろいろ教会のことを教えてくれた。


妹や家族が待っているとか話していて、子どもたちのダンスを見るか?と問われたから、近くと思い、見る!と了承した。

アンドリューのバイクの後ろに乗せられ、マリーナビーチの脇をゆく。気持ちよい。大気汚染も少なくって、肺や喉や呼吸器系が喜んでいるのをひしひしと感じる。

近くかと思いきや、全然止まらないから、どこが目的地なの?と問うと僕の場所との答え。勝手に家なのかなと解釈する。クリスチャンの家族写真をさっき見せてくれてたから、そういうのもあって。30分くらいで着くという。ま、バイクで走るの楽しいし、ええか。

バイクは、ビーチの脇を抜けて、チェンナイの中心駅を越え、工業地帯のようなところを抜けてまだ走る。ちょこちょこ説明してくれたりする。悪い人ではないと思う。

来年結婚式をするから、結婚式に来たらよいよ的なことも言ってくれたりする。ノリが軽いな~
あと10分で着くよと言われたときには、もう30分以上は乗っていたように感じた。遠いな。

着いたところは、自分の家ではないという。
何なんだ?

よくわからないけど、すこし貧しい人たちの集合住宅地のように思われた。


不安な気持ちもしたが、そこに居た人たちの顔を見ると、絶対に悪い人たちではないとわかる。優しい目をしている。子どもたちが石で遊んでいる。

ナマステと挨拶すると歓待されるが、どうもダンスイベントがありそうな空気でもない。
何なんだ?

しばらくお話しつつ、お茶をしていると、どうやら、ダンスをする子どもたちを呼ぶらしい。そこまでして…とも思うのだが、近所の子らしくぽつぽつと新しい子どもがやってくる。



そして、わたしの前でダンスをしてくれた。
どうやら、教会活動か何かでアンドリューが子どもたちに勉強やダンスなどを教えたり、支援をしているらしく。日本に帰ったら、服とか送ってくれよな!的なことを話している。

そゆことね!笑

ダンスしてくれるのはいいのだが、すこしやらされている感があるのと、揃ってないのでなんだか心から楽しめない。子どもたちはとても可愛い。


そのあとも、一緒に踊れと言われてすこし踊ったりした。そのときは、子どもたちも楽しそうにしていて、やっぱり、心から楽しんでいる人はいいなぁと思ったりする。みんないい子たち。

アンドリューは、悪い人じゃないんだが、最初からNGO的な活動をしている旨を話してくれたらもっとよかったな。
そうじゃないと、日本人からしたら、すべて騙されたかのように思うだろう。(別に全くお金などは取られていませんが)
子どもたちの素直な心でさえも。

子どもたちの幸せについては思うところがあったので、カレーを商売にするならば、すこし彼らに還元できるようなドネーションデイをつくるのもいいかななどと、ぼんやり考えたりした。

それでも、彼がわたしにしたことは彼の自由であり、私が何かするかどうかは私の自由であるのだ、とも思った。

「嘘や偽りでない本物であること」を求めている私からしたら、このやりかたはすこし詐欺まがいだ。

心からそれを良いと思い、楽しんでやっているのでならば、人は自然とお金を出すかもしれない。

ほんとうのほんとうに信用があって、愛があるならば、よいのだと思った。

外国人のお金を持っている人の前で子どもたちにダンスをさせて、寄付を乞うことには、何らかの寂しさや違和感を感じてしまう。
そこに、子どもたちへのほんとうの愛が薄いような気がするから。

子どもたちがほんとうのほんとうに私の前で躍りたいならいいけれど、そうじゃないなら踊らなくたっていいのだ。

自由にしたらいい。

自由であれること、自由にしてあげられること。そんなことを大切にしたいなと改めておもう。心から。

そのためにならば、すこしくらいのお金は出せるだろう。

自由を犠牲にしてのお金は、うっすらと汚い。



その後、とりあえず、無事に地下鉄駅に送ってもらってお家に帰り着きました。

何故か地下鉄のホームで集合写真撮ってる人たちに遭遇!笑

ジェイに今日のことを話したら、あまり知らない人にはむやみに着いてったらいけないよと怒られました。
子どもか、笑笑


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