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今現在ひすいこうたろうさんの書籍、「明日死ぬかもよ?」を読み進めています。

みなさんこにちは。こんばんは。

星月こうだいです。

この書籍は途中までしか読んでいませんが、自分の実感と共通の考え方があるように思えました。

書籍のリンクを貼っておきます。


さて、今回は本の紹介ではないのですが、自分の身におこった、不思議な物語をお話しようと思います。


「明日迎えにいくね!」という言葉が聞こえた気がする

自分の頭の中に、突然この言葉が聞こえました。

こういうことはたまにあるのですが、さてこの言葉の意味は、なんだろうとしばらく考えていました。

そして考えていると、次の実感がわいてきました。

「ああ、明日自分は死ぬのだなと。」

通常であれば、誰かが迎えにくるという言葉からは死ぬという意味は連想されないと思います。

ですが、その時の私はなぜか、お迎え=天からの迎え

に感じられました。


そうなると・・さて困った。明日死ぬというのは少し困るな。

まだやり切れていないこともある。

やりたかった仕事もある。

ああすればいい、こうすればよい。

という考えが頭の中でやりとりされて、ひとしきりたったくらいでしょうか。

そうだ、遺書を書かなければ。

と思いました。


遺書を書く

遺書は簡潔に。

あまりネガティブなことは書かずに、旅立ち、という言葉を入れました。

そこまで書いてみて、思いました。

明日死ぬとしたら、今日今何ができるだろうか。と。

遺書を棚にしまい、そのあとに外出の準備をしました。

今のうちにやりたいことをやっておかねば。


聞こえた声が教えてくれたこと。

このお話は少し前のことを記事にしています。

結論から言うと、その翌日もぴんぴんしていて、お迎えがくることはなかったのですが、

この言葉はとあることを教えてくれました。

それは、

「人生いつ死んでもおかしくない。だから、後悔なきように生きよう。」

ということです。

実際遺書まで書いていると、自分が死ぬ実感がわいてきます。

ああ明日自分は死ぬのだ。と考えると、さてどうしよう。

と思うわけです。

なので、それからの毎日は、明日が自分の命日だからきちんと生きよう。

と思えるようになりました。

声はきっと、そのことに気が付かせようとするために、誰かが

話しかけてくれたのだと思います。

待つのも大事。思い切って行動するのも大事。

人生この二つのバランスをうまくとっていくとうまくいくようになっているみたいです。

どちらかが欠けても、要素として多めでも。

あまりうまくいかない。

中道を生きる というのはお釈迦さまの言葉ですが、

これだと思います。


そして明日、自分の命日かもよ?と思って、最後まで丁寧に生きることができれば、

きっと最後の日に後悔なくあの世にいけると思います。


おわりに

読んでくださってありがとうございました。

私の記事では、持病の統合失調症のことや、

自分の将来の目標、精神疾患を持った方や引きこもりの方を助けるための家庭教師サービス 「こころの家庭教師」

を目指して日々勉強の記事を書いています。

今回は記事を読んでくださってありがとうございました。

また別の記事でお会いしましょう。

それでは、また。

星月こうだい

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