見出し画像

同時受験まで「381日」〜愛情の反対は無関心〜

今日は長男(高2)の松くんの回です。

松くんは中学受験をして私立の中高一貫校に進学しました。
しかし、そこでは紆余曲折あり、とても学校生活に苦しみました。
その時の大きな原因は成績です。
思っていた以上に伸び悩み、どんどん授業を受けるのが嫌になってしまったのです。そして成績が伸び悩むと、隠キャになり、学校での生活も苦しいものになりました。
「理科の実験で自由に組みを作って良いと言われたけど、俺と組んでくれる人誰もおらんかった」と松くんが泣いて言ってきたのを今でも覚えています。

当時の(今もだが)パパはとても厳しく、「まずは勉強、それから部活や遊び」と教育していました。

中学3年生の時に、あまりにも成績が伸び悩み、また授業もまともに受けなくなり、テスト期間はズル休みしたり、もう大変な時期がありました。学校にも何度も呼び出されました。

そして苦渋の決断をしました。
当時、大好きだった部活、サッカー部に参加するのを禁止にしました。
その決断が良いか悪いかはわかりません。当時はそれがベストだと家族で話し合って決めました。
松くんの学校は、文武両道であり、部活も結構強かったです。サッカー部であり、当時どうしてもいなかったキーパーをやっていました。小学校からフィールドプレイヤーだった松くんは、あまりにもキーバーがいない現実を受け入れ、中学2年生ではキーパーをやると申し出ていたのです。
しかし、上記の通り、あまりにも勉強に力が注げず、部活をお休みすることにしました。
パパも部活の顧問にも説明に行きました。結構迷惑です、みたいに言われたのを覚えていますw

当時、小学校1年生から続けていたサッカーを禁止されたことは松くんにとって衝撃だったと今では言います。

「勉強に打ち込むために私立受験までして進学したのに、全く勉強しないなら高校を編入しようか」というところまで行きました。学年主任に呼び出された時にもそう伝えました。

そして、何度も何度も話し合って、時には涙を流して親子喧嘩をしたり、夜遅くまでパパも一緒に隣で勉強したり、ママとリフレッシュしたり、そんなこんなで徐々に松くんは勉強することに向き合えるようになったのです。

スパルタだ。人権侵害だ。と思う人もいるかもしれません。
でも、子供と一緒に寝られないくらい悩んで、考えて進めたことです。

3ヶ月ほど部活を休部しました。それから勉強に向き合えることを決意した松くんは部活に戻ることになりました。

もちろん、いろいろな人に迷惑をかけた松くん。部活再開の初日にみんなに謝ったそうです。(休部する時も謝ったと言っていました)

それからでしょうか。
やはり「やるべきことをしっかりやろう」と身が引き締まったのは。

パパとしては仮にテストの点数が悪くても良いんです。でもその結果に対して逃げる癖をつけてもらいたくないのです。

一度逃げると逃げ癖がつく。それが当時パパが伝えていた口癖でした。

どんなに苦手でも、どんなに弱くても、逃げたらダメだ。全力で取り組んで、負けたら涙が出るくらい反省して、また取り組んで、それでもダメなら仕方がない。
そこまでまずは自分を追い込もう。それを伝えていました。

松くんは、部活再開後の最初のテストは当然悪い点数で帰ってきました。

しかし、松くんが変わったことは、その時泣いて悔しがったことです。

「あんなに勉強したのに。あんなにクラスでヘラヘラしている奴らよりも点数が悪い。悔しい。負けたくない」

確かそんなセリフだったと思います。ジーンときました。

そんな想いをそれからの定期テストで何回か繰り返していくうちに、いつの間にか追いつけるようになってきました。

しかしそこまでいくには2年ほどかかったのです。

今は高校2年生。もうすぐ3年生になります。

あの時、自分と向き合えなかったら、もしかしたら高校卒業まで逃げ続けていたかもしれません。そしてそれを親が見て見ぬふりをしたり、「自由にしたら良い」という一見良いアドバイスのようで無責任な言葉をかけていたかもしれません。

パパはとっても厳しいです。それは子供達にとっては不幸かもしれません。
でも、愛情の反対は無関心です。

子供の成長を「自由」という一言で無関心にだけはなりたくないのです。

もっとうまい子育てがあるのは間違いないでしょうが、我が家にとっては、その都度頭を悩ませながら、親子で決めていることなんです。

多くのご家庭でも、いろいろな悩みがあると思います。
それは当事者でないとわからないことも多いでしょう。

当事者は常に真剣です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?