死ぬまでにやりたいことのひとつ

どうせここは誰も見ていないんだ。そう思ってアウトプットの練習をしようと思う。

そうだ。色々な知り合いが見ているであろうTwitterでは書けないようなことを書こう。

どこにも書けない、心にある大きな岩

実は数か月前、ショックなことが起きた。
旦那さんの妹さんが私とほぼ同い年(正確には学年1つ上、という感じ)が子宮体癌を発症。検査をした段階でステージ4b、各所に転移が見られる状況であった。

今も彼女は1日1日病と向き合い、頑張っている。頑張って、という言葉が痛々しいくらいに、頑張っている。きっと毎秒毎秒、死と向き合っている。書いているだけで涙が出てくる。私と同い年だよ?

その知らせを聞いてから、彼女の病気のことと並行して私自身の命についても考え続けている。

死ぬまでにやりたいことは何か

彼女のことを受けて、死ぬまでにやりたいことはないかと考えてはいるが達成したいことが時間のかかる事ばかりで上手く進められていないことがとても苦しい。

バケットリストのようなものを書かなくちゃな、とも思っている。ただ、そんなものを書く以前に、自分の中に「これをやらずに死んだら後悔すること」として思い浮かぶものが一つあった。

しかもそれは、お金はかかるけど時間はかからないことだった。

吹奏楽が好きだった

私は中学、高校と吹奏楽部に所属し、多分全国的にみれば全然上手くはなかったが好きで続けていた。ホルンという長い管をぐるぐる巻きにしたカタツムリのような楽器が私の担当で、愛着を持って6年間吹き続けていた。

しかしホルンというのは吹奏楽の中でも高価なものである。恐らく構造の複雑さからくると思うが、私が高校を卒業すると同時に楽器から離れたタイミングで見たホルンの相場は30万円ほどだった。いや、高いって。

裕福でない家庭かつこれから数年学費がかかる専門学校生がポンと出せる金額ではなかったし、そもそもこれから自分が一生向き合う(…と思う)職業について学ぶわけだから、楽器をやっている時間なんてなかった。そうやってなんとなく「あーやっぱり無理だよな…」と思いながらホルンから離れたのだった。

そして専門学校を卒業し、色々と経験して、仕事をして、大人になった。そうやって時間をかけてゆっくりと、楽器への熱は引いていった。

楽器を吹くことを諦めたくなかった

でも、である。

こうして身内の一大事と自分の命の限りを重ねて考えるとき、ふつふつと「私はやっぱり楽器が好きだった」「もう1回、ホルンを吹きたい」「ホルンを吹いている時の自分が好きだった」と、吹奏楽への気持ちが湧きだして止まらなくなった。

ホルンが吹けないまま一生が終わったら、私は。

私は…。

怖くなった。
きっと病室で「あー…ホルン吹きたかったなー…」とか言いながら泣くに決まっている。

そんなことを考えたら、私個人の貯金が少ないだのなんだのはどうでも良くなった。明日死んだらどうすんだ。いや待て明日死んだら今日ポチッたところで楽器が届かない、いやいやそういう話じゃない。

早く、早く。

なんやかんやで吟味に吟味を重ねていたホルンをネットで買うと決断し、震える指でポチった。幸い私が楽器をやめてから10年以上時が経ち、今は10万円くらいで割と質の良い楽器が手に入る時代になっていたことも功を奏した。
※楽器をネットで買うことについては賛否両論あるとは思うが、それは色々と理由があるので一旦置いておく。結論から言うと、張り巡らせた予防線のお陰でとてもいい楽器が届いたので、今回の場合は心配無用である。

泣いた、ものすごく泣いた

数日して私の元にホルンが届いた。

何重にもなったダンボールを開け、楽器のケースが顔を出した。緊張しながら、ファスナーを開けてみる。金色の真新しいホルンが、ゆっくりと姿を現した。この世の物とは思えないほどキラキラと輝いて見えたのは、忘れたフリをしたいたけど心の奥底ではこの瞬間を待ち続けていたからなんだろうな。

よくわからないけど、涙が止まらなかった。

私やっぱり楽器が好きだったし
楽器を吹いている時の自分なら好きになれたし
ホルンの音が好きだし
とにかく
とにかく
よくわかんないな
よくわかんないけど

高校の文化祭でホルンに「バイバイ、またね」してから20年近く経って、また私のところにホルンが戻ってきた。やっとやっとやっと、今日にたどり着いたんだ。感情より先に身体が反応していたような瞬間だった。しばらく泣いていた。

気づかせてもらった

義理の妹の病気によって気づかせてもらったこと。一歩踏み出せたこと。本当に感謝している。今も彼女は闘っているし、きっと勝ってくれると信じている。

ただ彼女の闘病とは切り分けて考えるにしても、命の終わりというものは誰にでも来る。私の父はある日突然脳出血で倒れて旅立った。そんなことだって起こりえる。

自分の生き方そして人生のしまいかたについて今までもそれなりに考えてきたし、これからも考え続ける。ただしここから先は、自分の体と相談しながらもっともっと具体的に行動しようと改めて思った。

命が終わる瞬間までにやっておきたことは?
永遠の問いだ。


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