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お金は人を幸福にするか?

今回は一般社団法人ゆずり葉理事として参加した「ゆずり葉10周年記念 温かいお金 講演会」の開催報告です。

ゆずり葉は「より良い社会を次世代にゆずり渡したい」という想いから
経済優先の近代社会で見落とされ、見過ごされ、もしかしたら見捨てられてしまいそうになっているもの、例えば地域固有の風土、文化、自然、人、それらとの繋がりや知恵など、本当は大切にしたいものの価値を見出だし、守っていこうとする活動を応援する「ソーシャルファンディグ」から始まった団体です。

人と人とをつなぐコミュニティづくりも大切にしていて、そこから交流する場づくりやまちづくり事業なども展開してきました。

私自身は代表清水と親交はあったものの、団体に加わったのは直近2年?3年?くらいの新参者で、熊本県甲佐町で地域おこし協力隊をしていた時期に同地域でゆずり葉の取り組んだまちづくり事業「こうさてんプロジェクト」がきっかけでした。

ゆずり葉ではクラウドファンディングのプロデュース、サポートという形で、よりより社会の実現のために活動されている人、団体の資金調達をお手伝いしてきたのですが、「お金」をどういうものとして捉え、活動するのか、その根幹には哲学者内山節氏の提唱する「温かいお金」という概念があります。

一言で「温かいお金」とは何か?を説明するのは難しいのですが、お金を媒介として人と人がつながるような、新しい循環を生むような、お互い様、おかげさまという助け合いの気持ちが感じられるような、そんな「お金」だとイメージしていただくと良いのでしょうか?

単なる1000円、1万円ではなく、そこに込められたもの、数値化できない価値も含む存在とでも言えるでしょうか?

その「温かいお金」という概念をめぐって今、提唱者である内山節氏が何を語ってくださるのか?

お金は不幸の原因になることはあっても、お金自体は幸福の要因にはならない

お金は「お金自体」ではなく「お金とともにある関係」を考えていくことが賢明なのではないだろうか?という視点で、何と!和同開珎が作られた時代から、人々の営み、暮らし、日本人の精神性の変遷をまるでタイムマシンに同乗しているかのように時を巻き戻し、そこに「お金」の意味づけ、価値の変容を重ねてお話しくださいました。

めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、面白い「お金」と「ご先祖様」に出会う旅のような感覚。

明治以降、日本古来の大切な言葉の意味が変えられ、伴って日本古来の精神性とは異なった価値感が伝わってしまった・・・
桜=さ(穀物)+くら(蔵・場所)
自然=ジネン(元はNatureではなかった)
→自然の反対をイメージして出てくる言葉(人工的)(不自然)(文明)を考えると、この意味のずれがより感じられる気がします。 

内山先生は近代社会の始まりを「大航海時代」と捉えていて、それはなぜか?ということに加えて近代社会以前と以降では社会の営みが根本的に変わってしまったんだと説き、今我々が「お金」にもつ概念や価値感がどのように形成されてきたのかを話してくださり、ふむふむ・・・本当に腑に落ちる〜と思われた方も多くいたのではないでしょうか?

最後はお金は関係の中で扱われる「道具」だから、どういうふうな豊かな関係を持ったら温かさを道具「温かいお金」に変わっていくのか?そこに知恵を働かせ、考えてみようと提言されたように受けとめました。

お金自体は「道具」に過ぎない

 第2部にご登壇下さった新田信行さんもベースのお金観はここに根差していて、メガバンク他金融機関の要職をいくつも経験された方なのですが、ご本人曰く、メガバンク在籍時代にやったことは「バブルの後始末」

そのご経験から紡がれる言葉、「お金より大事なものがある」「お金を扱うほど楽しい人生からはずれていく」「お金はいくらあっても不安は無くなりません(あればあるほど、もっと欲しいと思うから)」など新田さんが語るからこそ、心に響くものがありました。

お金は使う人の鏡だから、自分がお金の神様だったら(と考えて)お金が喜んでくれるような使い方をしなさい。とお話しくださった一方で

お金はデタラメに使おう!

と提唱する内山先生。その心は近しいところにあるのだけれど、まさに多声性、異なる声が重ねられることで、自分自身の見方が揺さぶられ、

お金の使い方について考えさせられる第二部となりました。

多くの金言あふれる講演でしたので、どうぞどうぞ、アーカイブでご視聴いただければと思います。
まだ準備中ですが、ゆずり葉Facebookから準備ができましたらご案内致しますので、フォローいただけましたら幸いです。


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