ここのね活動報告レポート|2023年1月
みなさんこんにちは。ここのね自由な学校です。
早いもので2023年も1ヶ月が終わりました。この1ヶ月をみなさんはどう過ごされましたか?
子どもたちは、いよいよ年間の学習発表に向けて動き始めました。どんなに用の発表になるのか?今から楽しみです。
さて、今月の活動報告レポートは保護者さんの体験記Vol.2となります。
どんな流れでここのねに通うようになったのか?そこでの葛藤や喜びなど、言葉の一つ一つを読んでスタッフも涙してしまう内容でした。
ぜひ最後までご覧いただければと思います。
【思いがけない我が子の登校拒否】
学校行きたくない…。まさか我が子が…
小2の冬、初めて「ママ、頭が痛い」と体調不良を訴えた娘。
「体調壊したのかな。今日はゆっくり休んだらよいよ」
と伝えた。
それが始まりだった。それから毎週月曜日の朝に頭が痛いと訴えるようになった娘。
そしてとうとう、1週間の中で何日も体調不良を訴えるようになった。
私は児童養護施設に勤務していた。学校へ行けず入所する子ども、学校へ行けなくなる子どもも何人も見てきた。
だからこそ、
「あら。これは学校に行けなくなったか」
とすぐにわかった。
しかし、まさか、我が子が学校へ行けなくなるなんて思ってもみなかった。
かつて施設で担当していた子が、「学校辞める!」といいだした。その時に
私が
「まあ、行くだけ行ったら。何かあったらいつでも話を聞くから」
と言った。するとその子は
「じゃあもし、ちいちゃんが学校行きたくないっていったらどうするん?そうしたら、私の気持ち、わかってくれるん?」
子どもから言われたことを思い出した。
我が子が「学校に行きたくない」と言ったときには、
(どうして?とかなぜ?我が子が…)
と落ち込んだりはしなかった。
でも、日が経つにつれ、だんだんと不安になってきた。
私が仕事ばっかりだから?
ストレス?
我が子をしっかりみれていなかった?
母親である自分を責めたことももちろんあった。
私の母は、
「ちいちゃんは、小さいのに学校へ行きたくないって言えるってすごいわ。だって学校ってみんないくところって考えしかない。
行かないって選択するってすごい」
と言った。確かにそうだ。
モジモジして意見を言わない娘が、行きたくないとはっきりいうのだから。
無理には学校へ行かすことはなく、みんなで娘のエネルギーをためるために
美味しいもの食べて力つけよう!と出かけたり、我が家の癒しスポットへでかけたり、好きな工作、人形の衣装作りをして過ごした。
それでも、娘は「頭が痛い」首を横に降り「行きたくない」といい学校へは足を向けなかった。
友だちとのトラブル?
いじめ?
勉強がわからない?
娘にはどれもあてはまらなかった。
新しい学年になって心機一転で学校へ行けるかもしれない。
一番の仲良しのお友だちと同じクラスなら…と少し期待した。
しかし、結果は、はずれた。登校は難しいかもしれないと思った。
やはり、翌日から登校はしなかった。
家でできるドリルや学校からのプリントをして学習する日。
だんだんそれもしなくなった。エネルギーぎれか…。
娘は、自然が大好きだ。
虫は素手で捕まえるし、泥団子づくりの博士だ。お花も大好き。
石が好き。とにかく自然が大好きだ。もの作りも大好きだ。
オリジナリティあふれる子だ。
私たちは、娘にあった居場所を探しはじめた。
ゴールデンウィーク明けから、市内のオルタナティブスクールの体験へもでかけた。
「体験したスクールと学校の給食、食べくらべしてみたら?」
と声かけすると、給食時間から学校へ登校するようにもなった。
(まあ、これで学校へ行けばいいか)
とひと安心。毎日ではないが、しばらくは給食時間から学校へ行けるようになった。
学校へ行けば、娘は友だちとも仲良く過ごすことができた。表情もよいと先生から言われた。
しかし、しばらくすると今度は、教室へ入らない日が増えてきた。別の教室へなら行くことができたが、それもだんだん難しくなり、ある日階段でうずくまり大泣き。拒否感が強かった。
これは、もう難しいなと思った。
そこで再び居場所探しをしようと決めた。
【ステキな場所「ここのね自由な学校」を知る】
ある日、私は「最近どう?」と友だちと雑談していた。
「実はさ〜」
と、娘が学校へ行けなくなっている話やフリースクール体験などに行ってみたことなど話した。隠すことなく、いろいろな情報を得たくて話しをした。すると、友達が
「私の繋がりある人が、豊後大野市大野町でフリースクールはじめてるよ。聞いてみようか?」
と言ってくれた。すぐにInstagramで調べてみた。
「なんて素敵なんだろ。ここだ!私が通いたい!」
母である私が通いたいと感じた。直感でここならきっと娘が行きたくなる場所だと思った。
そう、それが「ここのね自由な学校」だった。
きっと私と同じ感覚である娘も気にいるだろうと思った。私は娘へここのね自由な学校の写真を見せて、どんな場所かを伝えた。
「説明会や体験入学があるけど、行ってみる?どうしたい?」
ときくと
「うん、行ってみたい」
と娘は即答。こうして娘と見学に行くことになった。
【体験入学から入学まで】
すぐに1日学校説明会へ申し込み、親子で参加。
8月には1週間の体験入学もした。
わたし:「どうだった?」
むすめ:「楽しかった。」
わたし:「毎日行ってみたい?
むすめ:「行きたい!」
と娘は答えた。夫婦ともにここならと思った。
雰囲気がとてもあたたかく居心地がよい、安心できる場所。
自分が自分でいられる場所なのだと思った。
1週間の体験入学すると、娘の笑顔とやる気パワーが充電されていった。
(あら?もうすっかり馴染んでいて、ずっと前から登校している感じだ。)
まだその時は入学がきちんと決まってなかったが、早々と家族で登校手段も考えた。
仕事で送迎ができない日は、JRとバスを乗り継いで大野町までいけるようにと親子で夏休み中は何度も何度も練習した。
まずは列車だけ。次はバスだけ。少しずつ一緒に行きの練習、帰りの練習として行った。
ある日、娘は弟と一緒に子ども2人で三重町から列車に乗って帰ることにチャレンジした。
不安ながらも
「よし、やろう!」
姉と弟、お互いを支えあいながら手をつないでいく姿。
あの日の2人の後姿は、忘れない。
私もとてもドキドキした。
小学3年生の娘が電車とバスを一人で乗り継いで通えるのか、不安もあったからだ。
「大分からは遠いけど、ここのね通いたい!」
こうして娘は、ここのね自由な学校へ通うことを自分で決めた。
【娘のわくわくキラキラ】
2021年9月 ここのね自由な学校へ無事入学。
エネルギーが充電されていった。
娘が没頭したいことができて、毎日生き生きとしていた。
「よしよし。これでよかった。」
とひと安心。
しかし、これだけでは終わらなかった。
ある日、ここのねまで登校しても、娘は「帰らないで」と不安な顔をすることがあった。
そんな日に限って宿直勤務だった。
(間に合わないどうしよう… )
そう思うハラハラした気持ちが娘にも伝わった。
そして、そんな日に限って娘はここのねから家へ帰ることになった。
「列車とバスで帰りたくない、迎えにきてほしい!」
日中、娘の声を伝えるスタッフからの電話がかかることもあった。
さらに弟までも「ぼくだって幼稚園にいかん!」と言い出し、
末っ子までも保育園に連れて行けば、大泣き……。
ここのね自由な学校へ通い出してからの数ヶ月。
幾つもの色んな壁にぶつかり、
たくさんイライラもした。
仕事、間に合わない!やばい!
そんな時は、遅れて出勤して職場の仲間が理解してくれた。
ここのね保護者さんから、
「一緒に乗せて帰るよ。いつでも言って」という言葉にも助けられた。
ここのねスタッフの言葉にも救われたなぁ。
そして、私の話を聞いてくれる癒しの人や場所にも助けられた。
みんなのおかげで乗り越えてきた。
そして今の娘は、大好きなこと、やりたいことで溢れている。
素敵なスタッフやここのねに通う子どもたちと家族。
いきいきとした環境の中で娘は、成長している。
人前でもじもじしていた姿も、少しずつ堂々と人前でプロジェクトリーダーとして計画まとめることができる娘へパワーアップしていった。
娘は、日々成長している。
学校での学びではなく違った新しい学びが娘には合っていると思う。
学年や教科にとらわれず、本人にあった勉強法をし、必要となれば自分で学ぶ力が子どもには備わっているのだと実感している。
やればできる、知りたい、学びたいスイッチがはいれば、人は学べるってことを。
最近では、「掛け算の筆算にチャレンジしてみようかな」と自分で目標ももつことができる。やる気溢れている時にやれるのだ
スタッフやここのねに通う保護者さんたちが、娘の良いところをたくさんみつけ褒めてくれる。認めてくれる。
なんて素敵な人と場所なんだろう。
幸せだ。
そして、在籍校の校長や担当の先生に感謝だ。ここのねに通いはじめてから学校は登校扱いになった。娘が学校に登校すれば、校長室でここのねで過ごした1週間を絵を描いて楽しかったことを伝える環境も準備してくださっている。校長室の行事予定表の黒板には、娘が来る日のマークもある。
娘が安心して学校で過ごせるように
校長室→支援学級→教室と段階をふませてサポートしてくれる。
娘の調子がよいと、自ら進んで教室へ行くこともあった。
「マジックや、何億年も前の石の説明を伝えたい」
ここのねでの学びを披露したいと、「今日は公立の学校に行きたい」と自選んで登校する日もある。クラスへ行けば、友だちが温かく迎えいれてくれることもとてもありがたいことだ。
もちろんここのねにも、学校にも行けない日もある。
それはそれでよしとしている。
公立の学校での娘、ここのね自由な学校での娘。
どちらとも娘にとって必要な学校。
娘はみんなにあたたかく見守られて成長している。
今からどんな大人になっていくか楽しみで仕方ない。
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